掲載日 : [2007-05-16] 照会数 : 9469
<鳥取>韓日友好碑から「東海」削除
[ 琴浦町の韓日友好交流公園にある説明碑(左手前) ] [ 削られた「(東海)」の2文字 ]
琴浦町、一部住民の苦情入れ独断
民団鳥取本部が原状回復求め抗議
県にも善処を要請へ
【鳥取】江戸時代の韓日交流の史実を今日に伝える韓日友好記念碑の説明碑に刻まれていた「東海(トンヘ)」の文字が、ごく一部の県民からの苦情を受け、地元琴浦町によって削除されていたことがこのほど、わかった。事実関係を確認した民団鳥取県本部(薛幸夫団長)では15日、琴浦町に原状回復を求める抗議文を提出した。また県に対しても近く善処を要請する。
説明碑は鳥取県と琴浦町が03年、韓国江原道との交流10周年を記念して琴浦町に建てた日韓友好交流公園内にある。碑文には「記念碑は将来にわたり、日本海(東海)が日韓両国にとっての平和と交流の海であることを記念し…」とハングルと日本語で記してあった。しかし、「東海(トンヘ)という部分は不要ではないか」との指摘が昨年9月に県民からメールと電話で2件あり、町内部で協議した結果、今年3月に削除したという。
これについて琴浦町の田中満男町長は10日、民団鳥取本部を訪れ、「一緒に韓日友好公園づくりに取り組んできた民団に事前になんの相談もせずに事を進めたのは軽率だった。削除は私の判断だった。ただし、これからも日韓友好の立場に変わりはない」と弁明したという。不在の薛団長に代わって応対した金泰鎮事務局長は、「町の説明は釈然とせず、納得できるものではなかった」と話している。
金局長から報告を受けた薛団長は「日韓の相互理解を後退させる行為」と憤りを隠していない。県も「削除は町の判断」と静観しながらも、「これで韓国との交流が途絶えるのは困る」と困惑の表情を見せている。
これについて碑の文を書いた金振先江原道知事は10日、国内記者との懇談会で「東海の表記は国家レベルから互恵的にやってきたものだが、地域レベルで消されたのは望ましくない」「これは江原道と鳥取県の友好協力ムードにプラスにならない」と、遺憾の意を表明した。一方、鳥取県内のある小学校教員は「鳥取では小・中学生が韓国に行って交流しているというのに、足下の相互理解は思ったほど進んでいなかった。全国外国人教育研究協議会で何らかの行動提起をと呼びかけている」と話していた。
説明碑には1819年、東海を航行中の韓国商船が暴風雨に遭い、松谷海岸に漂着したのを当時の鳥取藩が救助、乗組員12人を丁重にもてなして帰国させたことを記している。説明碑は合併前の旧赤碕町がこの海が平和と友好のためにあるようにと祈り、碑とともに94年11月にポート赤碕西側に建設。琴浦町が03年8月、日韓友好公園「風の丘」に移設した。琴浦町は江原道麟蹄郡と慶尚北道蔚珍郡と交流関係をもっている。
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国際交流の精神踏みにじる行為
薛幸夫団長の話
お互い異なる立場で尊重しあいながら相互のズレを克服し、相手の気持ちを思いやり、共存共栄を図っていくという「国際交流」の精神を踏みにじった点。および、石碑、碑文を建立した多くの人々がいだいていた当時の温かい「友好親善」の心を踏みにじった事を思うにつけ、これは「歴史的事件」である。
さらに、誰かが個人的にそのような挙に及んだとして、そうした行為が如何に誤っているかをきちんと指摘し、糺すのが行政の立場である。
行政が先頭に立って「東海」「トンヘ」を削除するなどということは論外であり、あってはならないことである。この点を鑑みるにつけ「政治的事件」でもある。民団として琴浦町には最低限、原状回復と今後の改善策を提示するよう求めている。県には指導、監督を徹底するよう求める要請文を提出していきたい。
(2007.5.16 民団新聞)