掲載日 : [2007-05-16] 照会数 : 11979
<検証>総連の言う「わが民族同士」とは
[ 韓国政府の対北食糧・肥料支援の一環として船積みされる肥料(昨年6月、蔚山港) ]
これを許せますか
わが民族=金日成民族
民族の領袖=金正日委員長
「わが民族=金日成民族」「民族の領袖=金正日委員長」「金日成・金正日父子誕生日=民族最大の慶事」という朝総連(北韓)の「3点セット」主張に、在日のあなたは同意しますか。韓統連(在日韓国民主統一連合)は、3点セットに異議を唱えず、「わが民族同士」をうたい文句に、朝総連の別働隊を演じている。6・15南北共同宣言7周年、6・25韓国戦争57周年を控えて、3点セットと朝総連および韓統連の唱えている「わが民族同士」の中身についてあらためて検討してみよう。(編集委員・朴容正)
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総連中央議長の報告
南北交流拡大後も不変
「朝鮮労働党の当面する目的は、共和国北半部において社会主義の完全な勝利を成し遂げ全国的範囲において民族解放及び人民民主主義の革命課業を完遂することにあり、最終目的は全社会の主体思想化と共産主義社会を建設することにある」(朝鮮労働党規約) 総連は、このような党規約に則った北韓当局の指示通りに、かねてから3点セットを積極的に支持し、北韓体制の存続による南北統一、すなわち「南北の金日成・金正日王朝化」の条件づくりをめざしている。
韓統連は、この民族・統一論に口をつぐみ、北韓の全体主義体制を擁護し、核実験・保有についても事実上支持している。
「わが民族同士」は、6・15南北共同宣言の文言に入って以来、北韓当局および韓国内の親北韓勢力、そして総連と韓統連によって、機会あるごとに強調されてきた。北韓の対外宣伝インターネットサイトの名称も「わが民族同士」だ。
これより先に、北韓(総連)は90年代に入り、「わが民族」は「金日成民族」だと宣言している(金正日国防委員会委員長「金日成逝去100日談話」、94年)。
金国防委員長の労働党総書記推戴を宣布した97年10月8日の党中央委員会、党中央軍事委員会の特別報道も「この地に金日成民族の隆盛と繁栄の新時代を開いたわが党と人民の偉大な領導者金正日同志」と伝えた。
総連は、「金日成民族」であることを至上の栄誉だとしている。徐萬述議長は「将軍様(金正日)を民族の領袖に戴くことは北と南、海外全同胞の大きな誇りであり幸福である」と宣言(2000年11月、総連中央委第18期第4回会議での報告。当時、第一副議長)。
02年4月に東京の朝鮮会館で開かれた「金日成誕生90周年記念講演会」では「すべての総連の活動家と在日同胞は、父なる首領様を永遠に奉り、21世紀の太陽である敬愛する将軍様の領導に基づき総連愛国偉業遂行においてさらに大きな進展を成し遂げることで金日成民族の栄誉を万国にとどろかせよう」と呼びかけている。
金父子誕生日の祝賀集会を、毎年盛大に開催しているが、徐議長は、今年の新年辞で「金日成誕生95周年と金正日誕生65周年」を「民族最大の慶事」だと改めて強調した。
ちなみに総連は、北韓を「南北すべての人民の総意によって建設された唯一正当な主権国家、唯一の祖国」と定め、「同胞を『共和国』(北韓)のまわりに総集結させる」ことを使命としている(「朝鮮新報」04年7月21日「総連改訂綱領を読む」)。
わが民族にとって金日成・金正日父子はどのような存在なのか。
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6・25韓国戦争の責任
死者だけで5百万人 同族相残の末、分断を固定
北韓軍の全面侵攻により引き起こされた6・25韓国戦争(50年6月〜53年7月)は、同胞だけでも数百万の犠牲者を出し国土を荒廃化したのに加え、南北分断を決定的にし、長期固定化させた。
6・25は、武力統一を夢見た金日成が、スターリン(ソ連)、毛沢東(中国)の了解(共同謀議)の下に周到な計画と準備を整え開始したものだ。このことは、旧ソ連の史料公開などによって、もはや誰も否定できなくなった。
ロシアの国際政治学者・歴史家のA・V・トルクノフは、極秘文書(3人の機密電報等)をもとに分析した『朝鮮戦争の謎と真実』(草思社)で、戦争をめぐる朝中ソの関係はスターリンが毛沢東、金日成に対して指令を下す関係にほかならなかったことを明らかにしている。
金日成は中国軍の参戦後、毛沢東の指示を受ける彭徳懐中国人民志願軍司令の指揮下に置かれ、戦争の作戦指導から完全に排除された。
6・25の人的被害について正確な統計はないが、岩波小辞典『現代韓国・朝鮮』では「北朝鮮側は250万、中国志願軍は100万、韓国側は150万、米軍は5万の死者を出した」(和田春樹)としている。
この戦争は、また南北1000万人と言われる離散家族を生んだ。休戦から半世紀以上になるのに、これまで南北間合意により再会を果たしたのはごく一部の家族にすぎない。北韓側の拒否により、自由往来・再結合はもとより、故郷訪問や定期的面会すら実施されていない。
金日成は、自らが開始した民族相残の戦争に責任を取っていない。それどころか「祖国解放戦争」に「勝利」したと逆に正当化して大々的に祝ってきた。
同時に、北韓側は、いまだに「朝鮮民族は、過去の朝鮮戦争で数百万の朝鮮人民を殺りくし、今日またしても、この地で核戦争を起こそうと狂奔する米国を絶対に許さないだろう」(「労働新聞」06年6月5日付論評)などと戦争責任を転嫁、しかも「戦争の脅威」を煽っている。
総連の機関紙「朝鮮新報」も、同様な欺瞞キャンペーンを続けている。徐議長は、05年9月の総連中央委第20期第2回会議報告で、北韓の「核保有国宣布」を支持し、「わが国に対する侵略野望を抱き南朝鮮を強占(占領)しながら朝鮮の統一を必死に妨害しようとする米国」云々と強調している(なお、同年9月28日付「朝鮮新報」日本語面に掲載された同報告要旨では、この部分は意図的に省略されている)。
韓統連もそれに同調し、北韓の核保有を積極的に擁護し、駐韓米軍の撤退を繰り返し主張、そのための行動を韓国国民や在日にも求めている。
わが民族に一大惨禍をもたらした「同族相残」戦争を美化したうえに、張本人の名を冠して「金日成民族」などと呼ぶことは、わが民族・同胞に対する重大な侮辱以外のなにものでもない。
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90年代大規模餓死の責任
核開発優先、見殺しに 「南北合意」不履行が拍車
「金正日=民族の領袖(最高指導者)」視も同様である。
金正日委員長は、94年7月の金日成死去により権力を世襲(それ以前から後継者として権力を行使)したが、その直後、わずか4〜5年の間に数百万もの餓死者を出した。
韓国の仏教系NGOの報告では95年から98年までに全人口の14%、約300万人が飢えにより死亡したと推測している。
北韓の食糧危機報道は95年の洪水被害以降であるが、それ以前から食糧不足は続いていた。現在もほとんどの住民が食糧不足から栄養失調状態にあるという。
飢餓は自然災害の結果だけでなく、当局の人為的政策の誤りの結果として生じた。アジアで初のノーベル経済学賞を受賞したインドのアマルティア・セン博士は『貧困の克服』(集英社新書)で「定期的に選挙が行われ、批判をはっきり表明できる野党が存在し、大規模な検閲なしに政府の政策の妥当性を問いただすことができる報道の自由がある民主主義の独立国家においては、大飢饉が本格化するようなことは一度もありませんでした。現時点において、深刻な飢饉が発生している北朝鮮とスーダンは、まさに権威主義体制の典型のような国々です」と指摘している。
97年に韓国に亡命した黄長・元労働党書記は『北朝鮮の真実と虚偽』(光文社)で「北朝鮮の飢えたる人民を救おうと、国際社会が食糧援助を行っているというのに、父の遺体を保存するために(錦繍山記念宮殿造営)、このように莫大な資金をつぎ込むことが正しいというのか? 8億9千万㌦もあれば、トウモロコシを少なくとも6百万㌧以上買うことができる。北朝鮮で毎年不足している食糧が2百万㌧であることを考えれば、6百万㌧もあれば3年の間、食糧問題を解決することができる」と具体的に指摘している。
米国際開発局(USAID)の外国災害支援室の職員として96年春に平壤に派遣され救援にあたったスー・ローツェ女史は、USAIDへの報告書で「救援の食糧は特権層に配られた。北朝鮮は、食糧を買いつけるのに必要な外貨を保有していたが、穀物ではなく、兵器購入に使った」と証言(萩原遼『拉致と核と餓死の国』文春新書)。
ノーベル平和賞受賞者、作家のエリ・ヴィーゼル氏も、昨年秋に公開された北韓人権報告書で「90年代、飢饉の時に北朝鮮は自国民100万人以上を餓死させた。食糧に使う金を軍と核開発に使うためだ」と厳しく批判している。
国際政治学者の下斗米伸夫法政大学教授も「貧困にあえぐ社会主義国が独自の核ゲームに参入することにより国民に多くの負担と犠牲を強いて、飢餓を招くことは46‐47年のソ連、58‐59年の中国で経験済みであった。北朝鮮での90年代半ばの『自然災害』という名の飢餓は人為的なものであり、実際は核開発の代償であった」(中公新書『アジア冷戦史』)と分析している。
韓国と北韓は91年12月に、分断後初の南北総理会談を通じて「南北基本合意書」(南北間の和解・不可侵および交流協力に関する合意書)と「核兵器の生産・保有禁止」「再処理施設、ウラン濃縮施設の保有禁止」などを定めた「韓半島非核化共同宣言」に署名、翌92年2月にそれぞれ双方の国会の批准を経て発効させていた。
南北基本合意書は、双方が平和的に共存する道を選択、本格的に和解の道を歩み、軍事、経済、社会・文化など諸分野で協力関係を推進する枠組みを定めている。離散家族の再会はもとより、住民の自由な往来と接触、鉄道・道路の再連結などもうたわれていた。
だが、92年11月に北韓側が分野別共同委員会を一方的に中断させ、以後再開に応じず、形骸化させた。非核化共同宣言に基づき開始された南北核協議も同年末に打ち切ってしまった。
北韓が基本合意書と非核化共同宣言を順守・履行し、核開発を放棄して南北間平和体制の構築に力を注ぎ、韓国側に支援を求めていたならば、数百万同胞の餓死は避けられたのである。
その後の「飢餓の常態化」と10万〜20万にものぼる北韓住民の難民化と韓国入りという、新たな人道問題および離散家族問題も生じなかっただろう。
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金日成民族・核支持の韓統連
総連と「共闘」強める 人権抑圧体制を終始擁護
それにしても見過ごせないのは、韓統連の役割である。わが民族への愛と誇りがあるならば、「金日成民族」主張に一言あってしかるべきだ。
総連の3セット主張は、10年以上も前から行われており、秘密でもなんでもない。だが、韓統連は、表向き「韓国」と「自主」を装っている以上、言及なしではすまされない。
①韓統連は「わが民族同士」を最大のキーワードとして総連と行動を共にしている②行動を共にするからには「わが民族」の定義・認識で一致を見ている③6・15南北共同宣言以後も、総連は「わが民族=金日成民族」など「わが民族」3点セットを何度も明言しており、そのことに韓統連は一度も異議を唱えていない④したがって、韓統連が総連と一緒になって強調している「わが民族」とは「金日成民族」とみなして間違いない。
韓統連にとっての「わが民族」とは、「金日成民族」と同義語である。そのことについては伏せて、「わが民族同士」の団結・協力を呼びかけている。つまり、在日を欺いているのだ。
そもそも3点セットの固執は6・15共同宣言を冒涜するものである。なぜなら金大中大統領が韓国の最高指導者として「わが民族=金日成民族」視に同意して同宣言に署名するなどとはありえないからだ。
3点セットは、「わが民族同士」の団結・協力の推進をうたった「6・15共同宣言」とは根本的に相容れるものではない。
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6・15共同宣言の冒涜
「民族」悪用にNOを 核放棄と基本合意の蘇生へ
3点セットおよび北韓全体主義体制への絶対・無条件支持・擁護の論理的帰結は、「南北統一=南北の金王朝体制化」となる。南北同胞と共に在日の願う祖国統一は、「民主的先進国家への発展的統一」であり、「全社会の主体思想化と共産主義社会を建設」という名の「南北の全体主義・金王朝化統一」では決してない。
それにもかかわらず、韓統連は、これまで以上に総連と積極的に連帯し統一行動をとることによって、「金王朝体制」擁護と「南北の金王朝・全体主義体制化統一」支援の役割を果たそうとしている。
非核化共同宣言に違反して核兵器の開発推進・保有まで宣言した北韓の政策を積極的に擁護しているのもそのためだ。北韓の全体主義体制と核開発・保有への批判・抗議者に対しては、「在日同胞と民族に対する背信行為として指弾されるべきだ」と声高に主張するまでに至っている。
かつて岩波書店の月刊誌「世界」に「韓国からの通信」を「T・K生」の匿名で連載(73年〜88年)し、韓国の民主化を訴え続けたことでも著名な池明観氏(宗教哲学者)は、03年3月にKBS(韓国放送公社)理事長として平壌での平和会議に出席した時の「衝撃」を次のように語っている。
「とにかく、北の人々と話せないのです。目の前に同胞がいるのに。議場ではあちらの代表に会いますが、本当の対話はできません。ホテルの自室で独り言も言えない。盗聴がありますから。心にあることをひと言も話せない重い日々でした。/南北対話による統一というのも…南北の指導者が、自分たち権力を持っている側ではなく、国民全体の将来的利益のために譲歩しつつ統一というのが理想ではあります。だが、それは北の体制が民主化されるということです。そんなことがありうるのか」(「東京新聞」03年9月15日「『T・K生』のジレンマ」)。
真の民族・同胞愛とは、過酷な状況が続くなかで沈黙を余儀なくされている北韓の普通の人々のために声を大にすることではないだろうか。
3点セット支持は、同胞の生命・尊厳より核開発を優先する現体制の永続を支持し、抑圧・貧困・飢餓に苦しむ北韓同胞に現在の状況にひたすら耐えるよう求めることにほかならない。
しかも「南北の金王朝・全体主義体制化統一」は、在日の総意(コンセンサス)としての統一国家像「民主的先進国家」建設と正反対のものだ。
南北同胞と在日が切望している真の南北統一の実現には、南北間平和体制の制度化と共に、北韓自身の改革・開放を通じた民主化推進が不可欠である。
韓統連が、「在日」のための「自立」した「自主」組織であり、字義通りの「民主統一」を目指しているのであれば、3点セットと「南北の金王朝・全体主義体制化統一」に反対をしなければならない。そして、北韓当局に非核化共同宣言に立脚しての核兵器破棄・開発放棄を促すと同時に、6・15共同宣言の具体化促進のために、少なくとも南北基本合意書の蘇生を提言すべきである。
南北基本合意書は、南北双方、つまり「わが民族同士」が、92年に非核化共同宣言と合わせて、その順守・履行を、内外に公約したものだ。
だからこそ2000年の南北首脳会談の時、金大中大統領は南北基本合意書の重要性を指摘、分野別共同委員会再稼動の必要性を強調した。6・15共同宣言に基づき開始された南北長官級会談でも、この問題の真剣な協議を韓国側は促したのである。このことが、今一度想起されるべきである。
(2007.5.16 民団新聞)