朝鮮通信使400周年
写真記事 金井三喜雄
韓日またぐ夢 ついに踏破
鍛え合った絆 財産に
行く先々 民団が温かい歓迎
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勢ぞろいしたウオーク隊の旗と幟(4月9日=慶北・聞慶市)
江戸時代の朝鮮通信使来日からちょうど400年という節目の今年、各地で様々な記念行事が開かれる。私たちのウオークはその幕開けだ。ソウルから東京まで1、129㌔。北海道から九州までのウオーカー31人が、韓国の7人のウオーカーと友情の花を咲かせた。
特筆すべきは、ソウルから東京まで歩いた在日韓国人、康静春さん(広島県福山市)と李恵美子さん(大阪市東住吉区)の存在である。康さんは韓国側隊長の宣相圭・韓国体育振興会会長や韓楠洙さん、日本側隊長の小林昌仁・日本ウオーキング協会理事や遠藤副隊長などの通訳として、縦横無尽の活躍をしてくれた。また李さんは、韓国の風習や考え方などを適切に説明してくれた。重要な「接着剤」の役割に感謝している。
この2人の活躍によって、今回のウオークが当初の目的以上の結果を出せたのではないか、と、両国のメンバー全員が思っている。また、日本各地で民団のみなさんの温かい歓迎を受け、たくさんの差し入れをいただいたことも忘れられない。
足を痛めた参加者が韓国の病院で治療を受けた際に、ウオークの目的を聞き、「みなさんを応援します」と診療費を無料にしてくれるケースが続いた。
韓国の朝鮮通信使の道は、その多くがバイパスなどに変わり、面影を残す場所は少なくなっていた。一方で日本各地には、たくさんの書などが残され、昔の雰囲気を今に伝える場所が多くあった。しかしそれも、「便利さ」を求め、埋め立てや道路建設にさらされている。
同じ方向見て歩く
当然のことだが、韓日のウオーカーは同じ方向を見ながら歩いた。人は向き合って話すと、話題が無くなったりして、無口になることもあるが、同じ方向を見ながら歩くと、不思議に話題は尽きない。「朝鮮通信使」の道は、文字通り「善隣友好」という人間同士の歩む道でもあったのだ。
毎日スケッチを重ねていた崔悳基さんからは、メンバー全員に、それぞれの似顔絵を描いた一枚の絵葉書が渡された。その裏にはこんな詩が日本語で書かれていた。
夜明けに故郷の夢を見た
今日も荷を背負い遠い道を歩いて行く
人生とは遠く険しい道
良き友 傍らに居ると
軽やかな楽しい道になるんだね
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ウオーク隊の華だった在日の2人
李恵美子さん(左)と康静春さん(4月7日=忠州市)
「歩く姿に人生見た」
ゴールし抱き合い涙ぐむ
5月8日(掛川市・休養日)掛川市役所で戸塚進也市長が「日韓の文化事業は大切です。ウオークを通じての友好前進を願っています」とあいさつ。宣相圭・韓国体育振興会会長は「朝鮮通信使の平和精神が今に生きることを願って歩いています」と応え、握手を交わした。3使が泊まった天然寺や掛川城を見学。
9日(掛川市‐藤枝市=31㌔)急坂を登り終えると、緑の茶畑が広がっていた。韓国南部で見た茶畑も圧巻だったが、この茶どころの景観は驚くばかり。午後は日差しが強く、気温は30℃。大井川には川渡し人足の寄せ場の建物が残されていた。ひたすら国道1号を東へ。松並木が続く旧道を経て藤枝市に入る。
自然と闘う連続
10日(藤枝市‐静岡市・清水=36㌔)市街地を抜け国道1号線に出ると、風が前方から吹いてくる。風邪をひいている人が多い。声が出ない人やセキこむ人もいる。安倍川を渡ると、民団静岡県地方本部の金光敏団長やチマチョゴリ姿の女性たちが拍手で迎えてくれ、冷たい緑茶やお菓子を差し入れてくれる。宣さんは「今まで各地で民団の皆さんの温かい歓迎を受けました。とても疲れていますが、みなさんの励ましが大きな力になっています」と応えた。午後、突然稲光と共に激しい雨が降り出す。
11日(静岡市・清水‐富士市=32㌔)昨日の雷雨がうそのような晴れ。1時間で清見寺に着く。ここには朝鮮通信使が残した書などがたくさん保存されている。薩捶峠に立つと、富士山がスッキリと大きく見える。この季節では珍しいと地元のウオーカーが言う。由比の宿場の「望嶽亭」では、松永さだよさん(82)が「朝鮮通信使はこの茶屋で休憩し、お礼にとお皿を置いていきました」と、青い皿を見せて説明した。
12日(富士市‐三島市=33㌔)デイリー参加者は31人。海沿い堤防に出る。左に富士山と松林、右に大海原と伊豆半島が広がっている。この風景に刺激されてか、歩くスピードが速い、速い。時速6㌔を超えているんじゃないかな? 先頭との距離が500㍍以上になり、掲げる旗が小さく見える。三島の市街地に入り、威勢のいい祭り神輿と出会う。
13日(三島市‐小田原市=30㌔)デイリー参加者には地元の人に加え、東京や千葉からの人たちもいる。石畳の旧道に入ると、ヒンヤリして眠気が覚める。新緑がまぶしいほどに美しい。杉木立の石畳が続き、箱根越えの旧東海道は変化に富んでいて、まさに「峠越え」の気分を満喫。国道1号に合流し、宿に到着すると、民団神奈川県地方本部の黄昌柱常任顧問ら7人が待ち受けていた。箱根越えを祝ってビールで乾杯。
14日(小田原市‐藤沢市=38㌔)通学の高校生たちの自転車とすれ違う。歩道の幅いっぱいで、ぶつかりそうだ。酒匂川を過ぎると松並木。疲労困憊のためか、会話がとても少なく、黙々と歩く姿が目立つ。防風・防砂の柵が続く海浜歩道に出ると、打ち寄せる波の音が心地よい。砂が吹き溜まりのように道をふさいでいる。靴が沈み、砂が入り込んで歩きにくい。
騒音と排ガスと
15日(藤沢市‐川崎市=33㌔)デイリー隊用のコース地図が足りなくなり、急遽コンビニで20部をコピー。国道1号の交通量は極めて多い。甲高いブレーキ音、轟然たるエンジン音と排気ガスの臭い。強い風雨で置いてある自転車が倒れるくらい。20分で雨は上がり、今度はかんかん照りに。横浜駅近くでは、民団神奈川県地方本部のみなさんが、韓国旗を振って激励してくれた。到着地では、民団神奈川県川崎支部のみなさんが迎えてくれた。夜はゴールの前夜祭をホテルで行った。「歩く姿の中に人生を見た。《歩く》ことは《生きる》ことそのものだ、と教えられた」と語る韓国のメンバーも。
16日(川崎市‐東京・皇居外苑=20㌔)川崎駅には、60人近いデイリー参加者が集まった。ソウルをスタートした時の仲間全員も揃う。品川駅では民団中央本部の韓在銀副団長らがお茶のサービス。芝公園での昼食に、またも民団中央からおにぎりの差し入れ。ここからは韓国大使館の黄鉉卓・弘報公使も加わった。
日比谷公園で隊列を整え祝田橋の交差点に向かうと、たくさんの人が韓服姿や「お疲れ様!」の声で迎えてくれた。握手を交わしたり、抱きあったりしながら顔をほころばせ、そして涙ぐみながら、桜田門にゴール。皇居外苑では旗竿などが禁止のため、折りたたんでの静かな到着になった。全員で記念撮影を行い、デイリー参加者に宣さんからハングルで氏名が書かれた「参加証」が渡された。
難行苦行も 沿道の激励に支えられ
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韓国の難コース・鳥嶺峠の関門を越える(4月8日=聞慶市)
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女子中学生たちが花束を持って迎えてくれた(4月13日=慶北・義城郡)
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農楽隊の先導で永川市に着いた一行(4月14日)
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韓国コースのゴール地点・釜山の東莱温泉で足湯に浸って疲れを癒す(4月19日)
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ウオーク隊を励ます民団静岡本部の幹部たち(5月10日=静岡市)
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砂が重い。足を取られながら海岸を進む(5月14日=茅ケ崎市)
左下=こんな風雨の強い日も(5月1日=滋賀・彦根市)
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東海道の旧道を行く。石畳の登りはきつい(5月13日=箱根町)
(2007.5.30 民団新聞)