掲載日 : [2007-06-06] 照会数 : 7775
フラッシュ同胞企業人(5) 「秘伝の味」に夢を託す
[ 1952年大邱生まれ。嶺南大学中退。デザイナーめざし84年来日、文化服装学院卒業。京王百貨店勤務を経て95年に東京・四谷に(株)永明設立。1男2女。民団東京新宿支部副団長。 ]
百貨店で「韓国家庭料理」を展開
「妻家房」の呉永錫社長
韓国では、花嫁の家に花婿が訪ねたとき、「妻家房」に代々伝わる秘伝の味を披露し花婿を歓待する−−そのような思いで医食同源をモットーに韓国家庭料理の味を百貨店を中心に提供してきた。
「レストランを始めるとき、従来の焼肉店を出すにはカネが足りない。そこで思い立ったのが火を使わない家庭料理店。結婚式の披露宴に出る料理をメニューにした。家内が母から伝授された素朴な味をアレンジせずに出したのが受けたようだ」と振り返る。
折からの韓流と健康志向がマッチし、有名な百貨店に相次いで入居。今ではレストラン15店、キムチ販売13店を数え、キムチ販売量は月2㌧に達する。今年3月には名古屋三越別館のラシック店、六本木の東京ミッドタウンに入ったほか、年内にさらに3店舗を増やす。06年度売上は約23億円。社員はアルバイトを含め約350人。
転身につぐ転身
本来、食品分野とはまったく関係のない人生を歩んでいた。大学を中退しデザイナーを目指す。実力をつけるため来日。文化服装学院を卒業後、88年に京王百貨店婦人服部に韓国人として初めて入社した。「自分の人生で一番大きな出来事だった」
当時、韓国から流通とファッションの視察団がよく来日した。その案内役を任されることが多く、有名百貨店を回りながら店長らと親しくなる機会を得たが、後日、これが大きな財産となる。
京王百貨店では、ハングルのパンフレットを作ったり、店内案内放送に韓国語を導入するなどのアイデアで社長賞を受賞した。ソウル五輪が開催された88年には社内で韓国語勉強会を開いた。
92年、京王百貨店が食品売場をリニューアルするに際して、オリジナルブランド品のキムチコーナーを設けたいとの相談を受けた。これまでにないキムチブランド品を、料理の上手な夫人の柳香姫さんに任せられないかというのだ。「人生とはわからないもので、これがキムチ屋になる第一歩だった」
現在の本店、四谷3丁目に小さな店舗を借りた。屋号は妻家房。夫人が代表になってオリジナルキムチを売り出したところ好評で、以前知り合った都内の百貨店からも出店依頼が来た。「本格的にやろう」と決意、京王百貨店を退職した。
キムチ博物館も
ある日、「顧客から、キムチが腐っているとのクレームがあった」と百貨店から連絡があった。キムチが発酵食品であることを知らないための〞事件〟だった。正しく認識させるにはどうすべきか。小さいながらもキムチ博物館を設けた。
今年2月、経営革新や地域産業活性化などで優れた実績をあげた企業を表彰する「新宿区第7回活き活き経営賞」を受賞した。在日企業の受賞は初めてだ。「在日同胞はもっと韓国の文化を正しく伝えていかなければならない」
ソウル大学食品栄養科を卒業した長女とともに、韓国料理学校を開設するのが夢だ。「夢は大きく、現実は忘れずに一歩一歩実現していく」。
(2007.6.6 民団新聞)