掲載日 : [2007-07-04] 照会数 : 6413
<寄稿>韓流は何をもたらしたか
[ (おぐら・きぞう)
京都大学大学院准教授。1959年東京都生まれ。ソウル大学哲学科博士課程単位取得。専門は韓国哲学。 ]
京大大学院准教授小倉紀蔵
新しいアジア創造への一歩
知識欲を自己啓発…切っても切れぬ隣国と知る
韓流はずっと続くのか。それともいつか終わるのか。数年前から、このような質問を私は多く受けた。いつもこう答えた。「ブームはいつか終わる。しかし韓流は日本で日常化する」と。
日本の中高年女性が韓国の俳優に群がる珍奇な現象は、もうマスコミでは飽きられた。高い視聴率や多くの観客を勝ちとるドラマ・映画が連日報道されるということはなくなった。つまりブームは去った。しかし、日本の新聞やテレビに、キムやイやパクなどといった隣国の人名が頻出しても、誰も不思議には思わない。そういう時代にはなった。つまり、韓流は日本社会の中で日常化したのである。
韓流の最大の功績は、このことだった。韓国や韓国人が、日本社会の中にがっちりと組み込まれた。もう、切っても切り離せない存在になった。欧米の人の名前より、韓国人の名前のほうがかっこいい、すてきだと思う日本人が増えた。
もっと日常化を
先日、リュ・シウォンの熱烈なファンの女性たちと話をした。彼がきっかけとなって日韓のさまざまなことに関わるようになり、まさに生き甲斐を得た、とみなさん語っていた。韓流は、ふつうの日本人に「生きる喜び」を与えた。そしてもっと自分を高め、もっと隣国を知ろうとする。韓流はまさに自己啓発であり、生涯学習なのだ。
しかし、まだ足りない。韓流によってもたらされると期待した成果のうち、まだ実現していないものがたくさんある。韓国や韓国人が、日本の中でもっともっと日常化しなくてはならない。もっとふつうに往き来をし、もっとふつうにつきあい、もっと互いの言葉や文化や歴史を学び合うようになりたい。
このような結果にまだ達しえていない理由は、いろいろある。
暗い面にも目を
まず韓流ファンの性格。彼女たちは知的で学習意欲が高く、ITや韓国語を積極的に学び、韓国のことをよく知ろうとしている。この点はいいのだが、もっと貪欲に、歴史の暗い面や「自分にとって心地よくないもの」に対しても心を開いてほしい。もう少しだけ、知的な意味で勇敢になってほしい。
真剣な批判も
ふたつめは、韓流に対する真剣な批判が足りないこと。どんな文化でも、本当の力を持つまでには、一級の批評家による強烈な批判を栄養としてきた。韓流にはこれが足りない。よいしょの記事が多すぎるし、ファンもまだ甘すぎる。韓流を本当に愛するのだったら、もっと韓流に厳しくあるべきだ。
学び合う流れ
しかし、何といっても、「韓流以前」と「韓流以後」では、日韓関係はずいぶんと変わった。長い目で見ると、この変化は、われわれが「新しいアジア」をつくってゆく第一歩だったといえる。それは、「クリエイティブなアジア」である。欧米からだけ学ぶのではなく、アジアの人びとがアジアから互いに学び合い、文化的・政治的・経済的・学問的に真に創造的な価値をつくりあげてゆく、そういう新しいアジアをつくる。韓流は、それが可能だということを教えてくれた。
(2007.7.4 民団新聞)