掲載日 : [2007-07-19] 照会数 : 6894
<民論団論>「東海」削除 嘆かわしい友好後退
[ 鳥取市琴浦町の日韓交流公園にある友好記念碑 ]
[ 碑文から「東海」の2文字が削除された ]
民団鳥取本部団長…薛幸夫
鳥取の記念碑 まず原状回復を
違いの理解こそ交流の要
鳥取地方本部(鳥取市)から西に70キロほどのところにある琴浦町に、日韓交流公園ができたのは2003年のことだ。この園内にある友好記念碑の碑文から、「東海」の2文字が削除されたこと、民団鳥取本部や民団中国地方協議会が町当局に厳重抗議したことは、民団新聞などを通じて報道された。
この公園は江原道雪岳山に似せた石塔や鐘、韓国風東屋が立ち並ぶ韓国公園である。鳥取県と琴浦町が江原道との交流10周年を記念して造ったものであり、その折には地元国会議員や有志、東京から韓国大使や中央団長も来賓として参席、当然、設置主体である知事、町長が取り仕切り、盛大な祝典が開催された。
しかし今、ここには右回りの内へ、内へという強い風が吹きつのっている。場所の名は別名、「風の丘」。碑文は94年に県や町が、まだ無の状態、ゼロの状態から、韓日交流を立ち上げようと、文政2年(1819年)、この地に来着した漂流朝鮮人を当時の鳥取藩や人々が手厚く持て成し、半島へ送還した歴史資料(漂流朝鮮人の絵図掛け軸)を引っ張り出して顕彰し、作ったものである。
それを94年当時、私は「して遣った交流」と嘲笑していたが、当時の総務部長であった前知事の片山義博氏は、「汚かろう、拙かろう、劣ったもの」という朝鮮、韓国認識をまず払拭し、県民の認識を上げるためには、とっかかりが必要と始めたものだ。
この度の事件は県内で10数年を経た韓日交流が、この程度のものどころか、大きく後退したことを物語るものだ。町は碑文削除後2転、3転した新碑文案を再提出したが、(右からの強風にあおられ)その文面は日本語版では東海を削除して日本海だけ、韓国語版は「嵐で」と表記してトンヘはおろか「海」の文言まで排除したものだ。
本件をもう一度整理、考究して見るに、事件発覚後、私が力説してきた「まずもって、原状回復」とは、本件の共通認識を共有するための手段であって、最終的な目的ではない。共通認識の共有とは、歴史認識と国際交流への認識の2点に収れんされるだろう。
まず、歴史認識とは、この海域での現代におけるペットボトルを含めた多くのゴミや漂着物をまつまでもなく、最近の研究では江戸時代、半島からの漂流事件は1千件に及び(列島から半島へは10分の1であるという)、つまりは古代より、海流と風に乗りさえすれば物とともに人々も文化も、渡来している事実。そして近々の歴史的事実として、94年からのこの地を介しての経緯をひも解けば明らかだ。
この海域の歴史認識を
前段でも述べたように、この琴浦町(旧赤崎町)に文政2年、来着した漂流朝鮮人とその資料(掛け軸)を契機として、片山県政は国家の枠を超えて地方レベルで自治体間、民間レベルでの韓日交流を促進してきた。これは今年も東北アジア地方政府サミットが開かれるように、韓国はおろか中国(吉林省)、ロシアとも、この海域をはさんだ国々、否その地方、地域と交流を発展させてきた。
その国際交流の評価を如実に現したのが、知事自身が北韓を訪問し、交流を呼びかけてきたことだ。時流もあったではあろうが国民国家の枠を、国境の線引きを超えた、不可避の国際交流をこの鳥取県で体現せしめた歴史的事実はおさえなくてはなるまい。
それらの歴史もこの琴浦の地で始まったことを考えるならば、この度の削除事件によって露呈したものは、この海域を越えてなされた、近代日本の半島や大陸への侵略、植民地支配という負の歴史を直視せず、ある意味能天気な「して遣った交流」を起点とした、歴史認識の限界であったか、と思わせる。
日本海・東海併記譲れぬ
もう一点の国際交流の認識とは、当然背後に呼称問題があるのであるが、極論すれば、「日本海」「東海」どちらが正しいか、という呼称の正当性ではなく、現在当該海域を日本では「日本海」と呼び、韓国では「東海」と呼ぶのが一般的である事実を尊重することだ。そうした表記のズレは、韓日両国民の認識のズレでもあるが、お互いに異なる立場や文化を尊重しながら、ズレを克服し、お互いに相手の気持ちを思いやり、共存共栄をはかるというより高い次元の国際交流の問題なのである。
それら歴史認識と国際交流のあり方の認識と実践は、つまりはまずもって、原状回復「日本海(東海)」であるが、より水準の高い成熟した国際理解として、望むべくは「日本海・東海」の併記であり、「イルボンヘ・トンヘ」の併記である。
そのあり方こそ韓日交流の要であり、共生の要である在日にとっての社会的、歴史的使命でもある。さればこそ百歩譲って「まずもって、原状回復」なのである。再言すれば、2転、3転した「改正案」はその精神が生かされておらず、ましてや「平和と友好の海を祈念して」というその「海」自体を排除するなど、海をはさんだ韓日交流を放棄し、実体的に生身の人と人の出会いをも捨て去ろうとする、国際交流の廃絶を意味するものだ。
我々民団の立ち位置は変わらない。「まずもって原状回復」と、より高い次元の国際交流のあり方を町、県民と共通認識として共有することにある。
(2007.7.18 民団新聞)