掲載日 : [2007-08-15] 照会数 : 5272
徴用韓国人遺骨 66年目の里帰り
[ 住職から金文奉さんの遺骨を受け取るおいの大勝さん(右) ]
市民団体と民団が連携
【岐阜】第2次大戦中、岐阜県飛騨市神岡町のダム建設工事で犠牲になった徴用韓国人の遺骨が曹洞宗と市民団体でつくる「全国連絡会」の地道な調査で見つかり、死亡から66年目にして故郷の済州道に安置された。民団岐阜県本部(呉俊植団長)などが遺族捜しに協力した。
改葬許可書を即時発給 飛騨市役所
遺骨は神岡町の臨済宗妙心寺派両全禅寺に安置されていた。市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」呼びかけ人の下嶌義輔さん(53)=会社員、中津川市=が昨年秋、情報公開請求を通じて遺骨の存在を突きとめた。遺骨を納めた木箱には金文奉という名前と韓国の住所が記されていた。下嶌さんは民団岐阜県本部を通じて本籍地を確認し、済州道在住のおい、金大勝さん(66)も探し出した。
強制動員真相究明ネットなどでつくる全国連絡会のカンパで訪日した大勝さんは7月28日、両全禅寺で遺骨と涙の対面を果たした。大勝さんは文奉さんの顔を知らない。ただ、「日本で行方不明になった」と聞かされていた。遺骨を前に静かに手をあわせた大勝さんは、「結婚もせず、子どももおらず、強制的に連れて来られたのであれば非常に無念だったと思う」と語った。
全国連絡会では「一刻も早く遺骨を持ち帰りたい」と希望する大勝さんの意思を尊重。住職から保管証明書を受け取り、飛騨市役所には改葬許可書を要請した。市の職員がこの日、休日にもかかわらず改葬許可書を寺に届けてくれたことで引き取りが実現した。これは曹洞宗が間に入ったことが大きい。
日本政府の方針としては目黒区の祐天寺で保管されている遺骨の返還を急いでおり、民間徴用者の遺骨返還については早くても来年以降としている。自主的に民間団体が遺骨の返還にあたっても政府からは、弔慰金どころか謝罪の言葉もない。
全国連絡会では大勝さんにしばらく待つよう説得したが、「自分が死んだら遺骨を取りに行く人は誰もいない」という大勝さんの決意は変わらなかった。下嶌さんも「遺族の思いを大事にしないと運動が続かない」と最後は折れた。
飛騨市とその周辺には戦前・戦中いくつかの鉱山があり、鉛と亜鉛は日本最大の鉱床を有した。なかでも三井鉱山神岡鉱業所(現・神岡鉱業所)は最大の規模を誇り、韓国人が多数動員された。1944年当事の神岡鉱山の全労働者6500人のうち、約20%が韓国人だったとされる。このほか、鉛の精錬に必要なダムや導水路の建設にも多くの韓国人が従事させられた。これらの工事は大林組や間組が請け負った。
(2007.8.15 民団新聞)