掲載日 : [2007-08-15] 照会数 : 5031
<光復節特集>南北1千万離散家族
[ 涙、涙の再会(今年5月の第15回団体面会行事) ]
[ 新潟から出港する第1次北送船(1959年12月) ]
後回しにされる最大の人道問題
南北赤十字本会談開始から35年
実現は1万6千人だけ
南北分断と6・25韓国戦争(50年6月〜53年7月)にともなう離散家族の再会問題は、最優先的に解決されなければならない南北間最大の人道的問題である。今年8月で、同問題解決のための南北赤十字本会談が開始されてから35年になる。1千万離散家族のうち、これまで再会を果たしたのは16回の再会事業で約1万6000人(家族・親戚含む)にすぎない。高齢化によって再会を果たせずに亡くなる家族が後を絶たず、時間との勝負となっている。(編集委員・朴容正)
高齢化で時間との勝負に…現行方式では解決不可能
急を要す 拡大・制度化…自由な面会・故郷訪問など
「書信交換」すらいまだに不実施
1千万人にのぼるとされる南北離散家族は、韓国内に約767万人いる(03年8月末現在)。このうち離散1世は123万人と推定されている。特に60歳以上の高齢離散家族が69万人を数え、そのうち70歳以上だけでも26万人にのぼる。これらの人々に残された時間は限られている。
南北離散家族の再会問題は、72年の「7・4南北共同声明」に基づき、同年8月に南北赤十字間で正式に協議が開始された。離散家族の再会が実現したのはそれから13年後の85年9月。解放40周年を期して南北から各50人が平壤とソウルを相互訪問した。この1回だけで継続されなかった。
その後2000年8月、南北首脳による「6・15共同宣言」(第3項=人道的問題を早急に解決していく)に基づき、15年ぶりに平壤・ソウル相互訪問の形で離散家族対面が再開された。
02年4月からは、北側にある金剛山地域を会場とする形式に変更され、何度か中止・延期を繰り返しながら行われている。3泊4日の厳しい制限・監視下の対面で、行事後に再び会うことはできない。計16回の再会事業に参加できたのは双方合わせて約1万6000人である。
今後、常設面会所が金剛山地域に1カ所設けられ(来年上半期中に完工予定)、仮に毎年1万人ずつの面会が実現したとしても10年で10万人にとどまる。単純計算して100年で100万人。
現行方式での離散家族再会問題の解決が不可能なことは明白だ。
家族同士の再会は、もっとも基本的な人道問題であり、南北双方とも加入している「市民的および政治的権利に関する国際規約」など国際的な宣言や取り決めに明記された基本的人権である。
離散家族の苦痛を少しでも軽減するためには、常設面会所を金剛山に限定せず、1人でも多くが早い時期に自由に再会できるようにしなければならない。さらに、「せめて死ぬ前に故郷の土を一度踏んでみたい。そして両親の墓参りをしたい」との離散1世の願いを早急に叶えてやらなければならない。
北韓の金正日国防委員長は00年8月、平壤を訪問した韓国のマスコミ社長団との会見で「来年には(離散家族が肉親の)家まで行けるようにする」と強調した。だが、この約束は7年後の今日なお実行されていない。
そもそも、「南北離散家族と親戚間の自由な訪問と自由な再会」は35年前の第1回南北赤十字会談の開催に際して合意をみていたものである。
南北首脳会談より9年も前に、南北の総理が署名し双方の国会で承認した「南北基本合意書」でも、「離散家族の往来と再会および訪問を実施し、自由意思による再結合を実現する」ことが明記されている。
それにもかかわらず、いまだに、離散家族の自由な南北往来と自由意思による再結合はもとより、定期的な再会と書信の交換すら保証されていない。6・15共同宣言後、故郷訪問・墓参については、南北間で公式に討議すらされていない。北側の拒否のためである。
離散家族の苦痛が制度的に軽減されるならば、同族・同胞としての情愛がいっそう深められ、南北の一体感もさらに強まる。離散家族問題の解決は、南北関係の発展拡大、統一推進に大きな位置を占めている。
「同胞愛」は6・15共同宣言のキーワードである「わが民族同士」の根底をなすものである。離散家族問題は最優先的に解決されなければならない重要課題である。
金大中前大統領も、就任直後の「読売新聞」との記者会見(98年3月)で、「50年以上もお互いに生死も分からない。そして離散家族はどんどん老けていく。毎日毎日この世を去っていく。(南北)両方の政権が離散家族の問題を解決しないというのは、人道的立場からもとうてい許されないことだ。ほかのことは後回しにしても、これは後回しにできない問題だ」と強調していた。
民間統一運動団体の結集体とされる「6・15南北共同宣言実践委員会」は南・北および海外地区委員会共同の祝典で毎回「わが民族同士」を強調した「宣言」などを発表している。にもかかわらず、離散家族問題の早期解決を、南北当局に提言したことは一度もない。離散家族問題は言及すらされず、完全に無視している。それでいて、「民族統一時代に突入」などと喧伝している。
「わが民族同士の理念」を大事にし、その実践を切望してやまぬならば、「わが民族最大の苦痛」である離散家族問題の解決へ、「家族再会のための移動(旅行)の自由」の早期実現を北韓当局に促してしかるべきだ。
北側は72年の南北赤十字本会談開始に際し、「赤十字機関の関与なしで家族、親戚、親友たちが任意で南北を往来して当事者たちを確認する」ことを主張。また85年の赤十字会談では「当事者が赤十字発行の委任状を持ち、別れた当時住んでいた場所に赴き、1カ月滞在して調べる」と「自由往来」を主張していたのだ。
離散家族問題は、政治的取引として扱われてはならない。離散家族の再会は、純粋に人道的問題として、制度的に推進されなければならない。
むなしく響く「わが民族同士」
「6・15」後も墓参許されず
金剛山地域での対面に限定
厳しく問われる南北の「同胞愛」
98年末から始まった韓国国民の金剛山観光訪問が150万人を突破し、それとは別に訪北中心の南北間の人的交流も昨年1年間だけで10万人突破したという(98年から06年の累計は約27万人。訪北26万6931人、訪南5538人)。それなのに、なぜ最も急を要する離散家族再会は35年間で1万6000人にすぎず、手紙のやり取りすら実施されていないのか。
旧東西ドイツ間の家族往来を知る世界の人々の目には、離散家族問題の解決を後回しにし、事実上置き去りにした「わが民族同士」の「大合唱」は、この上なく奇異に映っているに違いない。
南北双方の為政者だけでなく、わが民族全体の「同胞愛」が厳しく問われている。
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籠(かご)の鳥の北送同胞
生死確認・往来 早期実現を
帰省・墓参などいっさい認めず
在日にとっては、より身近で切実な離散家族問題として、「帰還事業」(59年〜84年)で北韓に渡り、一度も帰省を許されていない約9万3000人(日本人妻含む)の同胞家族・親戚の問題がある。
「祖国は地上の楽園」との北韓当局・総連および日本マスコミの鳴り物入りの宣伝に踊らされ、そして日本政府・政党の積極的協力によって「人道事業」として推進された。だが、現実はまったく違っていた。
多くの「帰国同胞」は、「南への帰郷も、日本との往来も遠からず可能になる」との北韓および総連の宣伝を信じていた。「3年後には里帰りできる」と総連関係者に言われて夫に同行した日本人妻も少なくない。
しかし、北韓当局は、現在まで一貫して「出国の自由」を保障していない。
総連では79年8月から「在日同胞短期祖国訪問団事業」がスタートし大型旅客船が新潟を往来するようになり、家族や親族訪問の道が開かれたとしている。だが、日本からの一方(片道)通行で、「北送家族」の日本への帰省や墓参りすら、北韓当局は、いまだに認めていない。
例外的に、裕福な商工人家族が日本にいる者や総連大幹部の家族らは、巨額な寄付・補償によって単独で、あるいは訪日代表団のメンバーの一員として密かに帰省していることは周知の事実だ。この場合も、家族ぐるみでは出してくれないが。
「脱北在日同胞」約140人が日本に
生死・住所の確認と在日家族・親戚との自由な再会・相互訪問が、一刻も早く実現されることが望まれている。
長年にわたる差別・抑圧と慢性的な食糧不足という過酷な状況に絶えられず、北送同胞家族の一部が、命がけで北韓を脱出して日本に戻ってきている。その数は約140人にのぼるとされる。
このような「脱北在日同胞」らに、総連中央は支援の手を差し伸べるどころか、「裏切り者」「犯罪者」「脱落者」視して、かかわることを拒んでいる。のみならず、民団の「脱北者支援センター」の活動を非難して、その中止を要求していた。
「同胞愛」と「わが民族同士助け合い」の精神はどこに行ってしまったのか。
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旧東西ドイツの場合
「家族的事由」で往来
東独〜西独 年間130万人も
分断国家であった東西ドイツの場合、離散家族の再会は、韓半島南北間で行われている相互訪問団といった1回ごとの行事ではなく、人道的問題として制度的に保障され、実施された。
東独は61年に「ベルリンの壁」を建設したが、63年に西ベルリン当局と、クリスマスや新年の休暇シーズンに西ベルリン市民が東ベルリンの親戚を訪問することを可能にする協定を結んだ。
東独は、60年代の半ばからは年金受給年齢(男65歳、女60歳)に達した高齢者の西独訪問を認めるようになり、その数は70年には100万人にのぼった。
その後、東独と西独は71年12月に「ベルリン通行協定」を締結。さらに72年10月には「両独基本条約」が締結された。
両独の市民は出生、死亡、結婚、銀婚式、金婚式、重病など「緊急な家族的事由」が発生したときには、いつでも政府の承認を得て相手方の地域を訪問できるようになった。
「緊急な家族的事由」に該当する家族の範囲は父母(義父母を含む)、兄弟、姉妹であり、訪問期間は年間30日ずつ。
これにより、年金生活者以外の東独市民も西独に住む家族・親戚を訪れることが容易になり、引き裂かれた家族の再会の機会が一層拡大された。東独からの西独内家族・親戚訪問者は、70年代後半には年間のべ約130万人に達した。
「両独基本条約」締結後、89年までに1600万人の東独市民のうち、500万人が家族訪問などを含め西独を旅行している。
なお、西独から東独への旅行は、東独政府が入国ビザを出してくれる限り、なんの制約もない。年間500万〜700万人が東独を訪問していた。
(2007.8.15 民団新聞)