掲載日 : [2007-10-24] 照会数 : 5737
<布帳馬車>アイデンティティー
最近、イスラエルにネオナチが出現したというショックな報道があった。ドイツやロシアのネオナチとネットで連携し、アジア系移民に対する襲撃などを繰り返したのだ。旧ソ連からの100万人に及ぶ移民の、同化政策の失敗が背景にあるという。
ユダヤ人を虐殺したナチズムに共感するとは。そんな驚きが消えないある日、インターネット掲示板で「日本に帰化したのに友だちが今でも在日韓国人と言うので困っている」という書き込みを見た。でも、それはそれでいいんじゃない? 友だちのほうが正しいよ、と私は思う。
人は多面的であり、国籍だけでは量れない。本当に辛いのはアイデンティティーの屈折とか、ネジレとかではないか。イスラエルのネオナチに感じるのは、イスラエル人なのにイスラエルからはじかれているという、アイデンティティーの混乱から来るやり場のない怒りだ。
イスラエルのネオナチ問題に比べて、随分のほほんとした話しだが、自分の場合はずっと通名がなく、高校生くらいまでは親を責めた。その程度のことでも、今ではとても感謝している。
イスラエルのネオナチ問題とは土俵が違うが、親である在日2世世代には、アイデンティティーの屈折に悩み抜き、多くの不幸を生み出した歴史もある。だが、その苦闘の末に本名で通せる在日同胞社会があり、その土台の上に自分が存在している。そんなことへの感謝も改めて思い出している。(S)
(2007.10.24 民団新聞)