掲載日 : [2008-03-12] 照会数 : 7352
「在日少年少女」と「オモニ」 合唱団編成夢見て
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「歌で自分に出会えたら」
草の根交流歌手・金貞玲さんの願い
「韓国と日本の間には不幸な歴史がありましたが、歌曲を通して仲良くしてほしい」。日韓女声合唱団や韓国文化院での韓国歌曲教室などの活動を通して、韓日の草の根交流に尽力してきた韓国人ソプラノ歌手の金貞玲さん(68、横浜市磯子区)。来日から20年を迎え、「在日韓国少年少女合唱団」と、オモニたちの合唱団を作りたいと夢は膨らむ。横浜市西区の横浜みなとみらい小ホールで開催されるリサイタルを今月22日に控えた金さんに話を聞いた。
現在、日韓女声合唱団、韓国歌曲教室、神奈川韓国綜合教育院で在日韓国人や日本人に韓国歌曲などの指導をしている。特に歌曲教室や日韓女声合唱団は数々の合唱祭に参加、韓国の福祉施設への慰問公演、日本の地域での交流に参加するなど、積極的な活動をしている。
舞台に立つとき合唱団のメンバーたちはチマ・チョゴリを着用する。実はこの韓服、金さんの活動に共感したという女性からの寄付金でつくった。地道な草の根の活動は、着実に共感の輪を広げている。
日本に学んだ父の思い継ぎ
金さんはソウル出身。慶煕大学校、梨花女子大教育大学院で声楽を学んだ。21年間、高等学校で教壇に立った後、ソウル市教育庁で教育主事などを務めながら、ソプラノ歌手としても活動。この間、韓日のために自分のできることを模索してきた。父親から引き継がれた思いでもあった。
旧制第一高等学校(東京大学)に学んだ父親は、韓国の国会議員を務めた。現職中に韓国と日本の友好関係を築けなかったことを悔んでいた。金さんにとって日本は身近な存在だった。「両国の懸け橋の役割を担いたい」と思ってきた。
86年、金さんに転機が訪れた。ソウルで開かれたコンサートで、「荒城の月」を聴き、これまでにない深い感動を覚えた。88年に来日、東京芸術大学で瀬山詠子さんに日本歌曲の指導を受けた。卒業演奏では芸大始まって以来というチマ・チョゴリを着用し、洪蘭坡さんが1920年に作曲、民族の歌とも呼ばれている「鳳仙花」を披露した。
芸大を卒業した93年に初めてのリサイタルを開催。94年にはソウル世宗文化会館で、戦後初の日本歌曲のリサイタルを開いた。「日本の芸能文化が禁止されているときでした。卵を投げつけられないかと思い宣伝もせず、万が一のことを考えて私服警察も頼みました」。韓日の歌曲を10曲以上歌った。山田耕筰の名曲「赤とんぼ」「この道」では観客たちが一緒に口ずさんだ。「音楽は人の心を開かせる力がある」と実感した。会場は通路までも埋まった。
韓国の歌曲は大陸的、日本は叙情的だという。双方の歌の良さを両国の人たちに紹介したいと活動を続けてきた。金さんの新たな夢は「在日韓国少年少女合唱団」とオモニたちの合唱団を作ることだ。
文化の迷子にならないよう
以前、知り合いの在日韓国人子弟が米国に留学したとき、日本人と韓国人の集まりがあっても参加できなかったという。
「自分は日本人ではない、韓国人といわれても韓国語ができない。本当に文化の迷子になってしまった。日本では韓国語を話せなくても暮らしていけます。でも何十年住んでも韓国人は韓国人なんです。韓国にルーツを持つ子どもたちをどう育てていくのか。まずは母親たちにもっと韓国の文化に触れて自分を高め、子どもたちの教育に生かしてほしい」と、歌がその取っかかりになればとの思いを込める。
「やろうと思う心があればできます。在日韓国人の女性たちに頑張ってほしい」とエールを送る。
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22日・横浜でリサイタル
「ソプラノ金貞玲リサイタル」‐日・韓歌曲の調べ 3月22日 開演14時。自由席4000円、当日券4500円。当日は韓国で声楽を学ぶ姪の盧又煕さんも出演する。問い合わせは金貞玲後援会事務局(℡045・715・7687)。
(2008.3.12 民団新聞)