掲載日 : [2008-04-16] 照会数 : 6348
韓豪日グローバル家族こだわり在日記<6>
汚れ、傷つく北帰国記念碑
今年、素晴らしいオーストラリア人女性に出会いました。主人が私のために新聞から切り抜いてくれた『北朝鮮へのエクソダス』の書評がきっかけでした。題名の面白さに魅かれて読んだその本の筆者は、オーストラリア人でしかも、長女が卒業したオーストラリア国立大学の教授でした。
当初は内容に関して半信半疑でしたが、読んでいくうちに事実だと確信に変わっていきました。1959年に始まり、9万3340人が北送された北朝鮮帰国事業。世間では在日や北朝鮮の要請で、日本の政府と日本赤十字が人道的立場から手助けをしたと思われています。
テッサ・モーリス・スズキ教授は、帰国事業に関する秘密指定が解除された公文を調査するため日本、ジュネーブ、アメリカそしてオーストラリアを訪ね、驚きの事実を発見されました。事実は本当に悲しいものでした。公文によると帰国の要望が出るかなり前から、日赤は帰国を推進しようとしていました。帰国した同胞は日本に残って差別をされるか、知らない北朝鮮に渡るかの苦渋の選択を迫られていました。
筆者に連絡を取りオーストラリアで会いました。私が、オーストラリア人がこの研究をすることを不思議に感じると同様に、彼女もまた、在日韓国人社会で生きる私が珍しい存在と思えたそうです。
その後主人と新潟に行きました。本で紹介するポドナム通りにある記念碑を訪ねました。帰国実現記念 朝・日友好のシンボルはひどいものでした。驚きました。汚れて、傷つけられ、字が読めませんでした。このようなひどい記念碑は他にあるかと思いました。
9万3340人の純真な魂があの記念碑のように侮辱され、忘れ去られていく運命にあると考えると涙が出ます。ぜひ、その記念碑のひどい状況を見て、夢を持って北朝鮮に行かれた方々のことを思い出して頂きたいと思います。
(スーザン・メナデュー・チョン)
(2008.4.16 民団新聞)