掲載日 : [2008-05-14] 照会数 : 11586
<民論団論>「親日人名事典」の異様性
[ 民族の灯だった舞姫
崔承喜の「仏陀の祈り」=「世紀の美人舞踊家崔承喜」(高嶋雄三郎・鄭浩編著・エムテイ出版)より ]
「民族精気」歪める
〈恨〉は自己発展の触媒に
解放からもうすぐ63年になるというのに、韓国国民の一部には高齢世代を中心に、日本へのルサンチマンが根強く残っている。これ自体に、非を唱えるつもりは毛頭ない。民族性を蔑まれ、奪われ、日本人の忠実な従僕として改造されようとした植民地時代の記憶は忘れられないと思うからだ。
しかし、そのルサンチマンが内にこもって、陰湿な身内攻撃に終始するのか、それとも、外からの侮りを二度と受けまいと、自己発展を遂げるエネルギーに転化するのか。これは東西を問わず、旧・被支配民族の将来を左右する分かれ目となってきた。
朴元大統領も舞姫崔承喜も
韓国の場合、二つの立場の関係は後者の優位で推移してきたが、盧武鉉政府のもとで逆転し、現在もその余波が続いている。前者の立場に立つ人々は、自身の民族的な正義が後者の立場にあった歴代政権によって不当に抑圧されてきたという思いがあり、それが二重のルサンチマンとなっている。韓国社会の抱える桎梏と言えるだろう。
「日本帝国主義によるファシズムの残滓(ざんし)を清算する」との趣旨で設立された民間シンクタンクの民族問題研究所と、同研究所が主管する親日人名事典編纂委員会は先月末、親日人士として1686人の実名を公開した。3年前に公開された3090人と合わせて、建国60周年に当たるこの8月にも計4776人を収録した事典が発刊される予定だ。
その中には、国家発展の最大の功労者として、国民が最も尊敬する指導者に圧倒的な支持で選ばれた朴正煕元大統領も含まれている。親日行為があったかどうかよりも、日本軍の尉官級以上にあった者を親日人士とする基準に従ったのだという。30年代から40年代にかけて日本を中心に国際舞台で活躍し、「朝鮮の舞姫」「東洋の真珠」と称賛された舞踊家、崔承喜(11〜69)も収録された。文化芸術分野の場合、社会的な影響力の大きさから、基準のより厳しい適用がなされたそうである。
崔承喜の境遇はあまり知られていない。彼女は解放後の46年に越北し、北韓で文化芸術団体ばかりか南北統一の宣伝団体などの要職を務め、67年に粛清されて消息不明となり、69年8月に死亡したとされる。北韓の集団主義芸術論の犠牲となったのだ。そして、03年2月になって突然、崔承喜の遺骸は平壌の「愛国烈士陵」に絶大な賛辞とともに移葬された。
崔承喜は南では「反民族親日行為者」として規定され、北では舞踊芸術の基礎を築きながら粛清の憂き目にあい、死してなお「愛国烈士」としてプロパガンダの生贄(いけにえ)とされている。いずれも、歴史のかなたに去った人々を、特定の価値観でもてあそび、切り刻むようなものではないか。
朝鮮の舞姫・崔承喜によって、植民地時代の同胞はどれほど励まされたか知れない。民族の灯であり、希望であったのだ。芸術家にとって表現こそ命であり、日本帝国主義権力と一定の協調があったにせよ、わが民族はその「表現」に喝采をおくったのである。
安易な基準の排他的名分論
植民地時代の同胞は、独立運動家と親日行為者だけだったわけではない。ほとんどが普通の生活者として、自身の誇りを失わず人生を全うしようと努力してきた。その過程にあった選択によって、「親日行為者」に括られた同胞もいよう。逆に、たとえ親日派のそしりを受けようと、敵の懐に入ってでも学ぶべきは学び、自己実現を果たそうと考えた同胞も少なくないはずだ。
そうした植民地時代のしたたかな努力の蓄積を抜きにして、第2次大戦後の独立国でありながら、驚異的な発展を遂げた韓国の歴史は語れない。過去を整理すると称して「親日行為者」を安易な基準で特定し、歴史に残そうとする行為は、狭量な民族主義的名分論による排他行為であり、安っぽい自尊心を自慰する行為であるとしか思えない。
わが民族の自尊心がその程度のものであっていいはずがない。民族精気を体現するほどの独立運動の志士であれば、愚かな行為だと叱りつけたはずである。なぜならば彼らこそ、「内に鬩(せめ)げど外その侮りを許さず」の気概の重要性を熟知しているからだ。
わが民族の歴史を概観すれば、大きな外敵を眼前にしても、小異を凍結させて一致結束するのではなく、むしろ一致結束を名分に対抗勢力を排除し、身内を純化せずにはおかないとする力学が働いたケースが多い。外敵に迫られても内紛をやめず、むしろ激化させてきたのである。
「親日人名事典」は、軽薄な「民族精気」の発露として、わが民族の新たな恥部となるだろう。そのような事典を編纂しようとした体質こそ、植民地への転落を招いた最大の要因であることを知るべきだ。
「(ナチスの残虐行為の)責任者をさすだけでは、恥ずかしさは消えない。しかし、責任者を示すことで、恥じる者の苦しみを克服することはできた。責任者の糾弾は、恥じる者の苦しみをエネルギーに、行動に、攻撃性に置き換えた」(『朗読者』=ベルンハルト・シュリンク著/松永美穂訳。新潮社)。
ドイツ国民は一時期、すべての責任をナチスに負わせることで精神的な安定を得ようとした。しかし、その限界を自ら突き破り、ナチスの出現そのものがドイツ国民の責任であると受け止めるようになった。「日帝残滓清算」を唱える人の多くは日本に対して、歴史清算をドイツに見習えと主張するだろう。その前に自らがドイツに学ぶべきである。
(大阪府・崔邦明 学習塾講師)
(2008.5.14 民団新聞)