掲載日 : [2008-06-11] 照会数 : 8794
フラッシュ同胞企業人<23> 軽さと弾力に技術の証
[ 1934年慶尚北道の永川生まれ。慶州商業高校卒。18歳で渡日。66年に大海産業(神戸市長田)設立。民団兵庫顧問。2男4女・孫8人。
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靴の底材専門メーカー
大海産業の孫秀海会長
同胞の街、神戸市長田。その多くが神戸の地場産業であるケミカルシューズにかかわってきた。とりわけ長田では製造工程が細分化され、型屋、底屋、甲屋など、複雑な工程は70にものぼる。家内工業的な下請けによって出来上がったものを、メーカーが1組の靴に仕上げる。
ソール(本底)と呼ばれる靴の底材を専門に、ラバー、ウレタン、スポンジなどさまざまな原料の長所をいかしたオリジナルの革新素材「セルテック」を提供する。ショールームには常時、素材や形状、意匠などの異なる500種類以上のサンプルを取りそろえている。
「靴の底はサイズや形、厚さなど、人間の足が皆違うようにすべて異なる。1㍉の世界をめぐりいかに作るかで争うことが多く、種類は数え切れない。いくら合理化を進めても、機械化には限度があり、微妙な違いは手作業でやるしかない」と指摘する。
来日後、博多から北陸まで各地を渡り歩いた。親戚を頼って長田に来てから、靴づくりを始めた。数年の修業を経て自立、66年に大海(おおみ)産業を設立した。
「納期に間に合わせるため、寝る時間を惜しみながら頑張った。徹夜の作業もざらだった。当時は朝早く出て、夜遅く帰宅したので、隣に住むおばさんの顔すらわからなかった」ほど、忙しい日々を送った。
大震災にめげず
70年代のオイルショック、バブル崩壊、95年の阪神大震災を体験した。「なんといっても、信用がなければ、この世界では生きていくことはできない。危機に直面するたびに、周囲が助けてくれた」と感謝する。
特に、阪神大震災で工場が全壊するなど、打撃は甚大だった。「長田全体が廃墟の街同然だった」。民団西神戸支部の副団長職にあった関係で、同胞の家を1軒1軒回りながら市場調査を行った。「底材の業者も半減し、今では10軒ほどしか残っていない」
半世紀近く作り続けてきた経験から、「まじめさ・納期厳守・高品質が大事。コツコツと辛抱強く、欲を出さない」と強調する。材料の仕入れ先には創業以来の長い付き合いもあり、信用を積み重ねてきた。現在の社員は20人ほどで、07年度売上額は約6億円。
2000年に長男の政弘さんに社長職を譲り、会長になった。震災後は靴の完成品も手がけ、自主開発に力点をおくようになる。「底材にも流行があるが、軽くて、かえり(弾力性)のある靴は、技術がないとできない。金型は中国でできても、完成品の仕上げはこちらでするしかない」
デザインに注力
以前はメーカーからの依頼で作るのがほとんどだったが、代替わりとともに、デザインを研究してメーカーに提案することが多くなった。
「流行は繰り返すというが、10年周期ほどで変わるようだ。普通の靴底の厚さはせいぜい2、3㍉。変えようとしても、変えようがない。意匠がちょっと変わるだけだ。あくまでも良質のゴムで品質の良い靴づくりが大事だ」と強調する。
◆大海産業(株) 神戸市長田区西尻池町1の3の37(℡078 641 2255)。
(2008.6.11 民団新聞)