掲載日 : [2008-06-28] 照会数 : 5364
統一問題への視点(6) 在日同胞の立場から
[ 1968年の1・21青瓦台襲撃事件で射殺された北韓ゲリラ ]
攻撃的な労働党規約(下)
韓国統治権力の空洞化狙う
増殖する親北勢力…大法院も「統一戦線」に警鐘
南の体制転覆可能性は存在
韓国の大法院が国家保安法を合憲と改めて判断し、廃止論を正面切って批判したのは2004年8月のことだ。その判決文の論旨を要約すれば次のようになる。
①韓国と北韓の間に交流・協力がなされていると言って、直ちに北韓の反国家団体性が消えたとか、国家保安法の規範力が喪失したと見ることはできない②北韓は赤化統一のために、武力南侵を敢行することによって民族的災禍を引き起こしたし、それ以降、今日に至るまで数多くの挑発と威嚇を継続してきており、今後も北韓があらゆる方法で私たちの体制を転覆させようと試みる可能性は存在する。
③国の体制は一度崩れれば回復は困難であり、国家の安全保障には一寸の隙や安易な判断は許されず、自ら一方的な武装解除を行うことには慎重を期さねばならない④いくら自由民主主義社会と言っても、自由民主主義体制を転覆させようとする自由まで許すことによって、自らを崩壊させ自由と人権をすべて失う愚行を犯してはならない⑤さらに今日、北韓に同調する勢力が増えて、統一戦線の形成が憂慮される状況であることを直視するとき、体制守護のために許容と寛容には限界がなければならない。
判決文の論旨は明確だ。自由民主主義のもとでは表現の自由、思想と良心の自由などが保障されねばならず、体制を威嚇する表現もその範疇に入るとする見解や、北韓には自由民主主義体制の転覆を試みる可能性がないとか、刑法上の内乱罪・スパイ罪などの規定だけで国家を保安できるといった主張に、逐条的に反論した。このうち②と⑤に注目したい。
⑤の北韓同調勢力の増加と統一戦線形成が憂慮される事態は、韓国のガン病巣と言ってもいいほどに深刻である。大法院が敢えて言及したのも、それだけ危機意識が強いことを示したと言える。国家保安法廃止論は主として、そうした北韓同調勢力によって提起されてきた。
在日社会にも策動のあおり
在日同胞社会もこの深刻な事態から免れてはいない。06年に民団を襲った「5・17事態」(「5・17民団・総連共同声明」などにともなう組織混乱事態)はまさに、韓国内のそうした状況の延長線上に起きたものであり、民団を親北韓勢力の下部組織に変換させ、北韓の統一戦線に組み込もうとする策動であった。
南北が現体制のまま接触・交流を深めれば、南側の内部社会における矛盾を増幅させ、さらには北側による混乱拡大工作が展開される可能性を織り込まなければならない、と本稿は前回で述べた。判決文が②で指摘したように、私たちは北韓の攻撃性を歴史的事実としても知っている。
南北の対立抗争において、韓国側の攻撃的政策は6・25戦争後の混乱期を経て修正され、もっぱら経済建設と治安対策に重点が移された。しかし、北韓側の労働党規約に象徴される攻撃的政策は「統一事業」の名で継承された。68年の1・21青瓦台襲撃ゲリラ事件とプエブロ号事件、東海岸武装ゲリラ侵入事件、70年代から80年代にかけての外国人大量拉致事件、83年のラングーン(アウンサン廟爆破)事件、87年の大韓航空機爆破事件と、大規模な破壊撹乱活動は続いた。
ただ、53年から68年までは休止期間と言えなくもない。これについては、61年からの「7カ年経済計画」の破綻と関連づけて見るべきだ。短期完成を誇った集団化が逆に農民の労働意欲を減退させ、水増し報告を蔓延させた。性急な重工業優先が日常生活にかかわる軽工業を押しつぶした。労働様式は常に強制的な突貫作業であり、意見対立は必ず粛清へとつながった。苦境のなかで北韓は、「統一事業」の美名の下に外的緊張を求め、再び対南攻勢に転じたのだ。
人民を裏切り自滅の前衛論
68年における攻撃的政策への再転換から、いくつかの結論が導き出せよう。一つは、朝鮮労働党の基本理念に巣食っていた、人民を道具と見なす思想の突出である。その典型が「全人民の武装化」だ。この路線は、彼らが信奉した前衛党理論‐人民に代わって犠牲を引き受け、人民の利益を守る‐への裏切りにほかならない。革命の目的である人民の幸福を顧みることなく、逆に人民を軍事的な道具にしてしまったのである。
もう一つは、攻撃的な政策と内政の破綻が表裏をなしていることだ。北韓は67年から、「革命の機は熟した」とのプロパガンダを強め、南にゲリラを大量に送りこんで南の人民による武装蜂起と偽った。1・21ゲリラ事件は、単純な冒険主義的行動ではない。「7カ年計画」の挫折によって失われようとする指導者への信頼を、武力統一の幻想によって回復しようとし、南の社会と経済を撹乱・破綻させて対南優位を築こうとする二正面作戦と見るべきであろう。
今日の北韓の破綻が「革命的」あるいは「統一」へのひたむきな努力の副作用だとするのは明らかな偽りである。彼らは権力欲のために革命の目的を裏切り、その結果、革命が彼らを見捨てたと表現すべきであろう。しかし、目論みがことごとく失敗した北韓に、有利に働く局面が韓国で生まれた。それは80年5月に光州市民らが示した民主化と反米機運の高まりである。
韓国民を直に絡めとる企図
この年の10月に開催された労働党6回大会以降、それまで「民族の不和と敵対をたくらむブルジョワ思想」として排撃してきた民族主義を肯定し始め、南に親北勢力を増殖させ統一戦線を形成する路線を強化した。それを象徴するスローガンが「わが民族同士の理念」なるものだ。
祖国統一問題は、南側においては民族主義的なロマンの立場から語られても、北側においては労働党規約が示すように最優先すべき闘争の次元にある。北韓は交流・協力の拡大によって、自らに及ぶリスクを最小限にとどめながら、韓国内に親北韓勢力を増殖させ、統一戦線を拡大して韓国政府を形骸化させ、国民を直に絡めとるために心血を注いでいる。大法院の国家保安法合憲判断はまさに、その事実を想起させ、警鐘を鳴らしたものと言えるだろう。
(2008.6.25 民団新聞)