2001年から始まったオリニジャンボリーは今回、10回目を迎えた。オリニと寝食をともにするリーダーや運営スタッフのボランティアは在日同胞青年・学生に日本語を学ぶ韓国内の大学生らも加えた約80人。今回、かつてオリニジャンボリーに参加した「卒業生」からは16人が志願した。2006年と08年に参加し、現在、20~22歳の大学生がほとんどだ。
10~12年を経てジャンボリーに戻ってきたボランティアたちに①最も楽しかった、または印象に残っているイベント②当時のリーダーに対する思い出③オリニジャンボリーの参加による自分自身の変化④当時、知り合ったオリニたちとのネットワーク⑤中学、高校、大学と成長する過程で民団や青年会、学生会への参加⑥ボランティアを志願した動機⑦今回オリニに何を与えたいか?または与えたか?⑧今後の民団社会への関わり-について聞いた。
◆当時のつながり今も
金志垠さん(22歳・新潟)
2006年(4年生)と08年(6年生)に2度参加しました。
最も思い出に残っているのは最後の夜の「キッズ大パーティ」かな。また、みんなではしゃいだ班別行動やロッテから頂いたケロロ軍曹のお菓子セットも感激しました。
当時、リーダーのオンニとオッパがいろんな話をいっぱいしてくれた。恋話とかもしてくれ、とても楽しかった。
残念ながら、中学、高校のサマースクールには参加するチャンスがありませんでした。でも、当時知り合ったオリニたちとは今でもつながりを持っています。
とにかく全国の仲間と楽しんだジャンボリーが大好きで、当時から大きくなったらリーダーとして参加したいと決めていました。あの時があるから、今の私がある。オリニたちに私が味わった以上の感動を与えたくて志願しました。
実際にリーダーを担当しましたが、オリニたちには一生の友人を作る大切さを伝えました。今後も学生会や青年会をはじめ民団のイベントに積極的に関わっていきたいと思ってます。
◆本名使用の原点に
金尚美さん(22歳・和歌山)
私が参加したのは2006年の小学4年生の時でした。思い出に残っているのは今年のように、スタンプラリーがただただ暑かったこと。学校体験入学でキムチを作ったのも印象的でした。最後のパーティーではみんなと別れるのが悲しくて、号泣したことをよく覚えています。最後の夜はオンニたちの部屋に行って、みんなでマッサージをサプライズでプレゼントしました。
リーダーにはよく怒られもしましたが、2人とも面白くて大好きで、すごく慕っていました。
当時は初めて在日の友だちができて、何か日本の子たちとは違った「繋がり」というものが子どもながらに嬉しさを感じました。また、普段は日本名を使っていたので、5日間、韓国名で呼ばれ、すごく新鮮な思いになりました。来年の就職から本名で生きていこうと決めたのも、このジャンボリーがきっかけです。
オリニジャンボリーに続いて、高校生になってから母国研修に参加しました。
大学生になったら必ずリーダーとして戻って、恩返しをしたいと思い続けていました。来年就職するため、学生時代最後の今こそ、このボランティアに参加したいと決めました。
オリニたちには「日本に住んでいても、自分が韓国と繋がりがあるということに誇りを持ってほしい」と語りました。将来リーダーになってほしいとも伝えました。
このような体験を踏まえ、今後も積極的に民団の活動にも参加させて頂きたいと考えています。
またオリニジャンボリーのようなすばらしい企画はずっとずっと続けてほしいと思います。私も少しでも貢献できるよう努めたいと思います。
◆あの感動をもう一度
張暎洙さん(21歳・東京)
2006年に参加しました。当時小学6年生でした。最も楽しく印象に残っているのは屋外での歓迎パーティーですね。あとエバーランドでたっぷりアトラクションを楽しんだこと、韓国の小学校での体験入学で本国の子たちと触れあったことも忘れません。
オリニジャンボリーに参加して、いつかウリマル(韓国語)を話せるようになりたいという気持ちが強まりました。また、在日どうしの大きなコミュニティを認識するきっかけにもなりました。
当時、知り合ったオリニたちとはつながりが途切れてしまいましたが、中学生のときに一度だけ、母国研修に参加して仲間と再会しました。
ジャンボリーでの体験が、ひとりでも多くのオリニがルーツやアイデンティティーを捉える手助けができればと思い志願しました。
また、幼い頃、自分がいたあの場所に大学生になった今、再び足を運び、当時の感動をもう一度味わいたいという気持ちもありました。
オリニたちにはとにかく楽しい時間を与えたいと思い行動しました。オリニたちと同じ目線に立って一緒にジャンボリーを楽しむように心がけました。私もあの頃に戻った気分でオリニたちと心をひとつにできました。
◆「チングを大切に」と
朴紗愛さん(20歳・京都)
思い出深いのは歓迎パーティーでのスタッフたちによるコスプレ。アニメやヨン様など、人気キャラクターが次々と登場しとても楽しかった。また、ソウル市内のスタンプラリーとロッテワールドも忘れられません。
私はオリニジャンボリーに参加する前までは、日本人の友だちに韓国人である事を知られたくないと思いながら生活していました。しかし、オリニジャンボリーに参加した事によって、全国のチングに出会えて母国である韓国はとても素晴らしい国だと感じ、在日韓国人である事を積極的に発信しようと思える機会になりました。本当に感謝しています。
いまでも当時、知り合ったオリニ仲間とはSNSで連絡を取り合うのはもちろん、今回のオリニジャンボリーでもお互いリーダーという立場で参加し、自分たちがオリニだった頃が懐かしいねと語り合いました。
多くの方が学生会や民団の行事に誘ってくださり、様々な経験をさせてもらっているなと感じています。そして何より出会いの輪がとても広がりました。
私が小学5年生で参加した際、学校体験入学やキッズ大パーティーなど、日本の学校では経験できないことに刺激を受けました。当時、班を引っ張ってくれた3人のリーダーの姿がとてもカッコ良かったため、自分もリーダーとしてオリニとともに過ごしたいと思い志願しました。
今回私は、オリニたちには『チングを大切にする気持ちと感謝する気持ち』を知ることを伝えました。4泊5日という一瞬の時間ではありますが出会いは一生で、同じ在日韓国人である仲間だと思います。
これまで1世や2世の方々が在日同胞の法的地位確立へ命をかけて闘ってくれたからこそ今、私たちが日本で安心して暮らせているのだと思います。
祖先たちのバトンを今の私たちがしっかり受け継いでいきたいと強く感じています。
◆韓国を知ってほしい
趙蓮美さん(20歳・大阪)
私は2008年、小学5年生のときに参加しました。何よりもはじめての一人での韓国旅行だったので、強烈な印象が残りました。そしててロッテワールドと最後の夜のキッズ大パーティーでのダンス大会と派手な花火がすごく綺麗だったのが記憶に残っています。最後の夜は別れが悲しくて大泣きしました。
リーダーはすごく優しいオンニ・オッパでした。帰って来てからも連絡を取ってたのですが、今では連絡が途絶えてしまったことが悲しいです。
日本の学校に通っていたので通名だったのですが、帰ってから自分の意思で「本名で通いたい」と親に言って本名で通うようになりました。
中学生になって母国サマースクールに参加し、また新たな仲間ができました。今、韓国に母国修学中です。今回志願したのはもっと確かな目標を得たかったのと、子どもの世話をすることが本当に大好きだからです。
今回オリニたちには、在日としての自尊心と誇りを持って欲しいことを言い聞かせました。大人になった時、何事にも堂々と立ち向かう勇気を持って欲しいからです。私が担当したオリニの多くが初めての韓国訪問だったこともあり、日本と韓国の文化の違いや韓国の素晴らしいところを発見する機会であってほしいと心がけました。
日本に戻ったら青年会のイベントに積極的に参加したいと思ってます。私に新たな出発の機会を与えてくれたオリニジャンボリーにマンセー!
(2018.08.15 民団新聞)