掲載日 : [2018-08-14] 照会数 : 11614
韓国の鉄道、交通の主役に…列車にみる70年の歴史
[ 豪華な特急「観光号」 ] [ ピドゥルギ用ディーゼルカー(右)と蒸気機関車(鉄道博物館) ] [ 「セマウル号」末期の食堂車 ] [ KTX山川(江陵駅) ]
韓国の鉄道は、1899年9月にソウルの鷺梁津と仁川との間で開通して以来、約120年にわたって韓国の公共交通と物流を担ってきた。1948年の独立後は、韓国戦争など苦難の時代を経たが、現在では約4500㎞に及ぶ路線網を誇る。一時は高速バスなど自動車にシェアを奪われたが、近年は高速鉄道KTXの拡大、都市鉄道の急速な発展など、再び交通インフラのトップに返り咲いている。1948年の韓国独立から70年。交通史を彩った列車たちを通じて、韓国の鉄道を振り返ってみよう。
◆韓国戦争で大きな打撃
1948年に大韓民国が成立してから韓国戦争休戦までの5年間は、鉄道にとっては茨の道だった。車両や施設の多くが北側にあったため、荒廃した設備の復旧がなかなか進まなかったからだ。それでも、残された車両やアメリカから輸入された車両を活用して運行したが、直後に韓国戦争が勃発。戦闘により185両もの蒸気機関車が失われた。そこで、戦時中に鉄道を管理していた国連軍は1951年から米国製ディーゼル機関車53両を韓国に緊急投入。休戦後、その一部が韓国国鉄に譲渡され、鉄道近代化の礎となっていく。
◆休戦後初の特急走る
1955年、鉄道の運営権が国連軍から韓国側に移管され、ソウル~釜山間に、休戦後初の特急列車である「統一号(トンイルホ)」が運行を開始した。所要時間は9時間だったが、2年後には7時間に短縮。さらに1960年に全国ダイヤ改正が実施され、ソウル~釜山間の所要時間は6時間40分となって解放前に日本が走らせた特別急行「あかつき」の所要時間に並んだ。ソウル~温陽温泉間に新婚旅行専用車「ハネムーンカー」が運行されたのもこの頃で、社会が落ち着いてきたことがうかがわれる。
優等列車が少しずつ発展する一方、庶民が利用する普通列車は、まだ十分な輸送力を確保できていなかった。鉄道は貨物輸送が優先され、車両も解放前から酷使されてきた古い車両がほとんど。主要駅には、乗車券を求める人々が果てしない列を作った。
この頃、鉄道が力を入れていたのが、韓国東部の太白山脈から産出される石炭・セメント輸送だ。1955年、栄州~鉄岩間の栄岩線(現・嶺東線)が全通し、産炭地がソウルと鉄道で直結された。当時は暖房と炊飯の燃料として練炭が使われており、太白山脈で産出される無煙炭はその重要な原料だった。鉄道による無煙炭の安定供給は、人々の生活向上に直結した。
◆超特急「観光号」が登場…まだ石炭輸送優先の時代
1963年、交通部(現・国土交通部)鉄道局が独立して鉄道庁が発足。その頃から、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長時代に突入した。そんな中、1969年に登場した列車が、ソウル~釜山間の超特急「観光号(クァングァンホ)」だ。新型専用客車を使用し、普通車にあたる3等車を連結しない豪華特急列車で、機関車も米国製の新型ディーゼル機関車を投入。5時間45分を要していたソウル~釜山間を、4時間50分に短縮した。
表定速度(停車時間を含む平均速度)は92㎞台は、当時としては世界トップレベル。2018年現在、日本の私鉄最速の近鉄特急アーバンライナーが表定速度91㎞台であることからも、その俊足ぶりがわかる。
ソウル~釜山間には、「観光号」のほか「統一号(トンイルホ)」「鳩号(ピドゥルギホ)」「再建号(チェゴンホ)」といった特急が運行されたほか、ソウル~木浦間に「太極号(テグクホ)」、ソウル~麗水間に「豊年(ポンニョンホ)」と、各路線に特急列車が運行された。これらの列車は、いずれも3等車を連結しない高級列車で、まだ特別な存在だった外国人旅行者に対応するため、英語を話せる女性乗務員が乗務していた。一方で、2・3等車で構成された急行列車も増発され、鉄道はいつでも乗れる公共交通機関となっていった。
こうして、韓国の鉄道は最初の全盛期を迎えたが、「観光号」登場の翌年、京釜高速道路が全通する。ソウル~釜山間で高速バスの運行が始まり、鉄道と高速バスがスピードと安さを競う時代を迎えた。鉄道は本来貨物輸送が主役で、政府は旅客列車の高速化よりも高速道路網の整備を優先した。次第に鉄道は安価できめ細かく運行される高速バスに乗客を奪われていったのである。
◆「セマウル」から「ピドゥルギ」まで
種別ごとの愛称が揃う
1974年、韓国の看板列車だった「観光号」が、当時朴正煕政権が推進していた農村近代化政策「セマウル運動」にちなんで「セマウル号」と改称された。しかし、全斗煥政権となった1980年には愛称が廃止され、「超特急」「優等」「特急」「普通」の4種類に整理されてしまう。列車は慢性的に混雑していたが、1963年に53%あった鉄道のシェアは1981年には25%にまで落ち込み、都市間交通の70%以上をバスが占めるようになった。
1984年、列車愛称が4年ぶりに復活した。かつてのような列車ごとの愛称ではなく、種別ごとの愛称となり、「超特急」は「セマウル」、「優等」は「ムグンファ」、「特急」は「トンイル」、「普通」は「ピドゥルギ」となった。座席は一般室(普通車)と特室(グリーン車)の2等級制で、現在まで続く韓国鉄道の体制ができあがった。
「ピドゥルギ(鳩)」は、各駅に停車する普通列車。通勤タイプのロングシートや、向かい合わせのボックスシートを備え、冷房はなし。そのぶん運賃が安かった。しかし、韓国の生活水準が向上した1980年代、古くて遅い「ピドゥルギ」の乗客はどんどん減っていった。客車の老朽化も進み、2000年までに「トンイル」に格上げされて全廃された。
「トンイル」は、旧型車両を使った特急列車だ。窓が開き、冷房を装備していない車両が多かった。1990年代に入ると「ピドゥルギ」に代わって普通列車の役割を果たすようになったが、2004年の高速鉄道KTX開業と同時に次の「ムグンファ」に格上げされて姿を消した。
「ムグンファ」は、韓国の国花であるムクゲの花を意味する列車で、現在もKORAIL(韓国鉄道公社)の在来線列車として活躍している。座席は日本の在来線特急によく似たリクライニングシートで、2000年代までは食堂車を連結した列車も多かった。「トンイル」廃止後は、従来の特急タイプと、「トンイル」から引き継いだ各駅停車タイプが混在している状態だ。「ピドゥルギ」「トンイル」の相次ぐ廃止と格上げは、実質的な値上げであり、韓国の経済力の向上を映していたといえる。
「セマウル」は、「観光号」をルーツとする最高グレードの超特急だった。大田と東大邱のみ停車し、1985年からはソウル~釜山間を4時間10分に短縮した。座席は一般室と特室があり、一般室の座席も日本の新幹線のグリーン車並みに広かった。食堂車を営業していたのも特徴だ。高速鉄道KTXの開業後は、KTXが停車しない中小の都市に停車する列車となったが、車両の老朽化によって2018年春に運行を終了した。今は、その後継となる電車特急「ITX‐セマウル」が最高時速150㎞で運行されている。
◆消えた食堂車
「セマウル」と一部の「ムグンファ」では、2008年まで食堂車が営業していた。かつては鉄道庁の直営だったが、1983年からは高級ホテルのソウルプラザホテルが営業を担当。ハンバーグやステーキといった洋食中心のメニューを提供し、1990年代にはプルコギ定食やコムタンといった韓国料理も登場するなど話題を集めた。しかし、スピードアップによって乗車時間が短くなると、わざわざ割高な食堂車を利用する人は減る。次第に食堂車は採算が取れなくなり、2008年を最後にすべての定期旅客列車から食堂車が姿を消した。
食堂車廃止後は、売店や飲食スペース、ネットカフェなどを備えたカフェカーが登場したが、近年は駅の売店が充実しており、こちらも姿を消しつつある。
◆全国に高速鉄道網
目標時期は2025年…第2世代KTXで
韓国で、高速鉄道建設の検討が始まったのは、1983年のことだ。フランスTGV方式の採用が決定し、1992年に着工。2004年4月1日、世界5番目の高速鉄道として、ソウル~釜山・光州・木浦間が開業した。当初は最高速度300㎞で走れる高速専用線はソウル郊外の始興から大田までと、大田から東大邱までに限られたが、それでもソウル~釜山間2時間30分台を実現し、大幅な高速化が実現した。
KTXが社会に定着するには少し時間が必要だった。運賃が高く、座席が従来の列車よりも狭かったため、急がない乗客は引き続き「ムグンファ」を利用したからだ。開業から数年、特にソウル~釜山間の「ムグンファ」は指定券が取りづらい状況が続いた。
2005年、鉄道庁が改編され、列車の運行のみを担う韓国鉄道公社(KORAIL)が発足した。その頃から高速バスよりも速くて快適な高速鉄道の利便性が、社会に認知されていく。バスとのシェア争いは、2011年にはバス60%、鉄道35%に回復した。
元々、韓国の都市はソウルから300~500㎞圏が多い。これは鉄道が最も得意とする距離帯だ。建設交通部(現・国土交通部)は、「国家鉄道網構築計画」と題し、2025年までに全国の鉄道路線を高速化して時速200㎞台の準高速鉄道網を構築すると発表した。実現すれば、ほとんどの都市がソウルから2時間以内で結ばれる。2010年には純国産技術による第2世代車両、KTX山川も登場した。
平昌冬季オリンピックの開幕を前にした2017年12月、KTX江陵線が開業。バスで3時間近くかかっていたソウルと江陵が、1時間58分で結ばれた。江原道の原州市や平昌郡は、今ではソウルの通勤圏だ。全国に準高速鉄道網が整備されれば、そうした地域はますます増えるだろう。
韓国の未来は、鉄道の発展にかかっていると言っても過言ではない。
フォトライター 栗原 景
くりはら かげり
1971年東京生まれ。旅と鉄道、韓国をテーマとするフォトライター。出版社勤務の後、2001年からフリー。韓国に3年間の留学経験があり、雑誌やウェブなど幅広いメディアに鉄道旅行を中心とした記事や写真を寄稿している。主な著書に「改訂版3日でできる超入門ハングル書き取りノート」(アルク)など。日本の鉄道に関する著作も多い。
(2018.08.15 民団新聞)