歩いたこの道 平和の道に
箱根越え→ゴール…お疲れさま2193人
箱根越えの17日、出発地点・三島市の坂公民館からは富士山が間近に見えた。昨夜の雨が山頂に雪を積もらせ白く輝いている。韓国ウオーカーはみな富士山をバックに記念写真。これで3日連続の「富士山日和」だ。「峠」にちなんで「アリラン」を合唱して歩き出した。
新緑と深い杉木立の中、風が谷から吹き上げて気持ちがいい。
箱根峠から芦ノ湖畔へ急な坂道を下る。昼食後再び、外輪山の峠まで石畳のきつい上りが続いたが、さわやかさにみな満足げだった。
18日、小田原からは民団中央本部の哲恩さんや3回連続参加の川田茂さんら旧知のウオーカーが加わる。旧東海道、国道1号を経て湘南の海辺を進む。風が強く、飛んできた砂が口の中に入る。藤沢のゴールでは市役所や神奈川県ウオーキング協会に歓迎された。宿では民団湘南中部支部から差し入れられたビールでノドを潤した。
19日は卓明淑・韓国婦人会横浜支部会長も加わり川崎へ。日曜日で国道1号は車の騒音がすごい。民団神奈川会館前で冷たいお茶がふるまわれた。川崎の宿ではゴール前夜祭が行われ、お互い旅の苦労をねぎらった。
最終日の20日は雨の中をたくさんのデイリーウオーカーが加わり、今回最多の95人に。天気予報は「雨上る」のはずだったが、1日中あいにくの歩行になった。
くじけずに完歩の感動
ソウルから歩き通した初参加の在日2世・李光吉さん(68=京都市)は「とても疲れた! 歩き始めてすぐに足に大きなマメが出来て、どないなるんやろ? と思った。でもアボジの故郷にも寄れたし、よかった。朝鮮通信使のこと、これから勉強するで」と話す。
連続4回参加のベテラン、佐藤恵子さん(76=秋田・大館市)は「洗濯担当」として夕食後は連日忙しかった。「でも、今までで一番よく歩けたんだ。足の痛みもなかったし」とたくましい。
一方、初参加で当初は韓国だけ歩く予定を全コースに変更した森紀子さん(66=東京都)は「日本に入ってからは何度も帰ろうかな、と思いました。だって、風邪ひいて熱は出るし歩けない日もあったし。でも、今日こうして仲良くなった韓国のお友達とみんなでゴール出来るのが最高」とはにかんだ。
皇居のお堀端からはノボリを横にして進む。朝鮮通信使はかつて、江戸城で将軍に面会し、朝鮮国王からの国書を手渡した。現代の通信使は静かに二重橋を見ながら、ゴールの日比谷公園へ。
公園入り口では、鐘を鳴らしてたくさんの人たちが口々に「お疲れさまー。よくがんばったねー」と日韓の小旗を持って歓迎してくれた。握手、握手。そして抱きあって泣き出すウオーカー。中でも足の骨折のため途中で断念したウオーカーとの再会は感動的だった。
韓国ウオーカーの中で一番元気だったが、箱根あたりから体調をこわした金重石さん(66=ソウル市)は「四国遍路に比べてとても厳しかった。でもたくさんの日本のウオーカーと生活を共にすることで連帯が実感できた。1人旅には無い素晴らしい経験だ」と目を細めた。
また、ソウルから東京まで1人で「隊旗」を手に先頭を歩き通した押川晃三さん(74=大阪市)は「ついにやっちゃったよ。強い風の日はきつかった。腰痛の再発が心配だった。最後の一週間は痛みがつらかったけど、看護師ウオーカーの金恵京さんのハリ治療が効いて何とか乗り切れた。恵京さんに感謝! 感謝!」と手を合わせた。
場所を移して行われたゴール記念パーティーには、たくさんの支援者が参加した。民団中央本部の呉公太団長は「ソウルから東京まで歩いてきた皆さん、お疲れ様でした。今の韓日関係は大変ですが、みなさんは大切な懸け橋です。これからもウオークを通して両国の親善にがんばってください」と激励した。
隊旗が「正使」役の宣相圭・韓国隊長から宮下充正・日本ウオーキング協会会長に渡された。川越の「唐人揃い行列」メンバーが用意した通信使の衣装を着た宣さんは、「400年前の友好を再現し、その道を韓日のウオーカーが歩くことで、平和の道にしなければなりません。もっと若者にも参加を促しましょう」とあいさつした。
2年後には第5次開催
今回のウオークの参加人数は合計で2193人(延べ人数=韓国920人、日本1273人)。2年後の15年は日韓国交正常化からちょうど50年。これを記念して、「第5次 21世紀の朝鮮通信使 ソウル‐東京 日韓友情ウオーク」が行われる予定だ。
(写真と文=金井三喜雄)
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富士山もお出迎え 海を見下ろす静岡県・薩 峠の登り道を上がると、はるか向こうに冠雪の富士山が望めた(5月15日) |
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静岡県・安倍川の橋を渡る際には伝統衣装に身を包んだ民団静岡地方本部のサムルノリ隊が先導してくれた(5月13日) |
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半世紀ぶり初対面 金重石さん(左)は中学生時代に文通していた遠藤純代さんと清水駅前で半世紀ぶりに初めて対面、抱き合って喜んだ。遠藤さんを捜していることが朝日新聞の地方版で報道され、それを見た遠藤さんが駆けつけたのだ(5月13日) |
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ゴール記念パーティーには呉公太民団団長(右)も駆けつけ、一行をねぎらった(5月20日) |
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雨の中をやっと忠清北道・水安堡に到着した夜。がんばった足に感謝して全員が手をつなぎ「アリラン」を合唱した(4月6日) |
朝鮮通信使の歩いた道では最も厳しい忠州市の鳥嶺峠は雪化粧。一歩一歩がんばって難所を越えた(4月7日)
(2013.5.29 民団新聞)