掲載日 : [2004-09-08] 照会数 : 4487
<エッセー>韓国民主化と韓流 鄭煥麒(04.9.8)
芸能軽視は過去の遺物に…友好促進の弾み期待
今年の春、私の遠縁にあたる美術学部の教授T氏が弟子の画家5、6人を連れて嶺南地方の風光明媚なところへ写生に出掛けた。川辺でキャンパスを立て、それぞれ絵を描いていると、孫をつれて通りかかった一人の古老がキャンパスを次々のぞきながら孫に、「学校で一生懸命に勉強しないとこんな人のようになるぞ」と、一行をさも憐れみながら孫に諭していたという。
私は教授からこの話しを聞いて、遠い昔を思い出した。
クレヨンをせがんだ日
小学4年になると週一時間、図画の時間がある。絵をかくにはクレヨンが必要だ。父にクレヨン代をねだった。父は愕いた顔をして「お前を絵かきにさせるため学校に通わせているのではない。学校は勉強するところだ。クレヨンは必要ない」と意外なことを言う。
5年生になると工作の時間もあり、小型のセットになっている道具箱を買うため父にせがんだ。すると父は「お前、大工になるとはとんでもないことだ。道具箱は要らない」と言下に拒否された。
しかし習字の時間に使う手本や筆、スズリ、清書紙などの学用品代は無条件でオーケーだった。 父が幼少の頃、村の書堂、日本でいう寺子屋で学んでいたのは、「千字文」の読み書きなどである。絵や大工のまねごとは教えない。だから学校は絵や工作などと無縁のところだと思っていたようだ。私は学友らが買ったクレヨン、道具箱を父に見せ、結局は買って貰った。
儒教の教えに厳しい李朝時代、両班階級は人の前で歌う歌い手とか芸をする役者、つまり芸能人や絵を描くのを職業とする人、塗り物、焼き物等、工芸品など手先の技術で物を作る人を賎しい職業とみなし、見下していた。
英知と創意、民族固有の精気を秘めた高麗朝の青磁や李朝の白磁など国宝、または国宝級の壺の制作者は無名の陶工であり、無心無欲の境地でつくった作品である。だから制作者の「銘」は刻んでない。
日本では、手先や機器で物を作る技芸の奥義、秘伝を親が子に伝授し、何百年もその伝統を継いで維持することが、昔から家門の誇りとして定着していた。朝鮮では、職業が社会的に評価されなかったので一代限りであった。
拉致陶工の悲哀しのび
豊臣秀吉が1592年、朝鮮を侵略した壬辰倭乱(日本は文禄・慶長の役)のとき、朝鮮で身分の低い陶工を多数日本に拉致した。これら陶工たちの技術を高く評価し、優遇したので薩摩焼、有田焼などが陶芸日本の文化発展に貢献した。
司馬遼太郎著「故郷忘じがたく候」に記述されているように、拉致された多くの人たちは一様に帰国をのぞんでいた。だが、朝鮮は身分制度が徹底しており、一部の両班と呼ばれる特権階層が長年大多数の常民、賎民を虫けらの如く使役してきた。拉致された陶工らは母国に帰れば両班の奴隷にひとしい身分に戻り酷使されるので、帰国を拒んだとも言われる。
李朝の為政者や特権階級が技術者や軍人を疎かにし冷遇したので、国の近代化が後れたのは言うまでもない。
現在の韓国でもタレントの社会的地位は、それほど高くない。それがここ2、3年来、海外から意外と高く評価されるようになったので、韓国人自身が愕いている。
一衣帯水の両国の親善
ドラマ「冬のソナタ」の主役、勇俊が来日した際のファンの熱狂的な歓迎ぶりなどがそうだ。 「冬のソナタ」のヒロイン崔志宇さんが、2005年を韓日文化交流拡大の「韓日共同訪問の年」と両国政府が決定したのを受けて、その韓国観光広報大使に任命された。7月22日に総理官邸で小泉首相の歓迎をうけるなど、やはり大変な人気だった。
日本の小泉純一郎総理は、純様人気が落ちたので「冬ソナ」の主役、ヨン様人気にあやかりたいとも言った。この韓流が一衣帯水の韓日両国民に真の理解と友好親善に大いに役立つよう期待したいものである。
冒頭の古老の時代とは、まさに隔世の感がある。封建時代に技術や芸能を軽視した悪弊も過去のものだ。韓国の教育も近年、理工系を充実し科学立国を標榜して一路先進国を目指す。映画をはじめ芸能面にも政府自らが力を入れている。韓国も民主主義国家の一員になったものだと、自負してもいいだろうと思う今日この頃である。
(民団中央顧問)
(2004.9.8 民団新聞)