掲載日 : [2004-09-15] 照会数 : 5687
<SPECIAL WIDE>韓国の世代対立 どう融合(04.9.15)
[ イラスト・金永悦 ]
[ 時局宣言文を発表した元老たちは、青瓦台に向け街頭行進を行ったが、警察隊に阻止された(9月9日=EPN) ]
産業化世代VS民主化世代
歴史に断絶はない
産業化あっての民主化
韓国では政治・経済、言論・芸能など各界で、いわゆる「386世代」の活躍が目覚しい。しかし、特定の世代が、特定の政治的主張を持って突出するとその反動も大きい。危機意識を募らせた「逆386世代」が反撃に打って出た。国家の根本にかかわる政治的な争点を軸に、「心理的内戦状態」ともいわれる世代間の葛藤は、突き詰めれば、経済成長を成し遂げた「産業化世代」とその後の「民主化世代」のアツレキだ。産業化がなければ民主化はなく、民主化がなければさらなる産業化もないはずだが…。
「時局宣言」に元老千5百人
韓国で9日、元首相7人、元国会議長5人をはじめ、長官、政党代表、国会議員の経験者174人を含む1500人もの長老が「自由と民主主義を守る時局宣言文」を発表した。
宣言文は、「現在、韓国はアイデンティティーと国家理念が重大な挑戦を受けている非常時局」にあるとの認識を示し、「代議政治と市場経済を基礎とした自由民主主義国家が、運動圏出身の386世代をはじめ、親北・左傾・反米勢力の手中に入っている」と指摘、首都移転・親日派清算・国家保安法廃止・言論改革などの一方的な推進を中断するよう訴えた。
宣言文には、「過去糾明という美名のもと、左右対立の理念葛藤を再燃させ、大韓民国の根を剖棺斬屍(死後に大罪が発覚したとき、棺を取り出して処刑するという意味)している」との苛烈な文言もあった。首都移転を除くこれらの争点は、韓国という国の在り方と対北韓関係の根幹、まさしく国家アイデンティティーと国家理念にかかわる問題だ。これが世代間の価値観対立と連動していることに深刻さがある。
「386世代」とは年齢が30歳代で、民主化運動最盛期の80年代に学生時代を過ごした、60年代生まれのことだ。いわば韓国の団塊世代であり、人数が多いことも目立つ理由になっている。10余年先を行く日本の団塊世代は全共闘世代であり、組織社会では「一言多い」と煙たがれるものの、挫折感も引きずっている。その点、韓国の団塊世代には民主化運動の達成感がある。その半数はすでに40代の「486世代」となって働き盛りであり、発言力は弱まりそうにない。
民主化運動で力つけた世代
ある調査によればこの世代は市民・文化活動、ベンチャー企業、政治活動に積極的で、前世代に比べて社会的な寄与度が高いと国民の過半が見ている。韓流の原動力になった映画やテレビドラマの製作スタッフも、ほとんどがこの世代だ。しかし、政治絡みになると肯定と否定に真っ二つだ。 肯定的な側面としては、開放的で社会参加型の意識構造、世代交代主導、組織・集団化の追求、平和統一指向などがあがる。一方、否定的な側面では、敵味方を峻別して敵愾心を煽ることや、行過ぎた政治指向性、年功序列の無視、社会主義への偏向、国際感覚の不在などが指摘される。
この世代が最も高く評価されているのは、韓国民主化の原動力だったことだ。その運動過程で育った重要な特性に注目しておこう。
社会主義理論を急速に取り入れた彼らは反独裁民主化闘争の中で、現代韓国と深くかかわった米日両国を新旧植民地勢力と位置づけ、4・19学生革命の四反理念ならぬ反独裁・反外勢の二反理念で闘った。反独裁は成就したものの反外勢を残し、外勢に対する不信と敵愾心を払拭しないまま閉鎖的な民族主義を根付かせるに至っている。
発言し始めた逆386世代
反米とその対極にある親北傾向、親日反民族行為糾明などはその流れから出たものだ。彼らは国内政治に没入するあまり、韓国の置かれた国際的な条件を重要視しない。国際感覚がないとの批判はここから出てくる。これは、イラク派兵問題などをめぐって、「386世代」が押し上げた現政府・与党の安保・外交政策とも摩擦を招くほどである。
彼らの特性を象徴的に表現すれば、親北的で閉鎖的なナショナリズムとグローバルなコミュニケーション手段であるインターネットを結合させていることであろう。
「386」という言葉が登場したのは4年前の総選挙で、この世代が立候補者の一割を占め、猛威を振るった落選運動の主役になってからだ。これに対抗すべく、今年の4・15総選挙に際して古参議員の間から起こったのが「逆386世代」論である。30年代生まれで、80年代に政界入りし、60歳代以上の自分たちも「386」だという意味を込めたものだ。
本来なら「逆386」よりは、「先386」というのが正しいはずだが、それはともかく、この思いに同年代の共感が広がり、やがて有識者の多くがインターネットで「逆386世代」のメッセージ(別掲参照)を発するようになった。その内容は、若い世代を諭すように自分たちの生きた時代を語りかけるものになっている。
盧武鉉大統領は先の光複節慶祝辞で、親日反民族行為や軍事独裁政権下の不法行為など、歴史の真相糾明と清算問題に注力することを強調する一方で、「現在の私たちは、100年前の中国と日本、西欧列強間で四分五裂し、国権を奪われた力のない国ではありません」と述べ、「私たちの50代、60代、70代はそれこそ無から有を創造しながらここまできました」と語った。
盧大統領は「時代」という表現を避け、年代に置き換えたものの、紛れもなく「産業化」時代を評価したのである。
まさに無から有を創造した
「逆386世代」のメッセージはまさに、盧大統領が言及した「無から有を創造」し、「力のない国」から決別したこの時代を歴史として共有するとともに、その時代人の心情に想像力を働かせてもらいたいとの呼びかけになっている。
この問題で自ずと焦点になるのは、解放前は日本軍に、解放後は左翼活動にかかわった経歴を持ち、韓国の今日につながる経済成長を牽引した故・朴正煕大統領の歴史的な評価だろう。「朴正煕の顔」と題した中央日報のコラム噴水台(8月25日付)は、「光に目がくらんで彼の陰まで美しいと主張する醜態にも注意してほしい」としたうえで、こう書いている。
「影ゆえに彼が発散する光にまで顔を背けてはならない。彼の光は貧困脱出と自主国防だ。国の生存体制がその時代に備わった。朴正煕以後の民主化価値と国民的自負心は、堅固な生存体制から育った花だ。暗い部分は明らかにしても、それを包容してあげればと思う。朴正煕の光はみなが誇らしく共有すればよい」。
産業化がなければ民主化もないのは、韓国に限らない歴史的な法則である。同時に、民主化がなければいっそうの産業化はなく、世代間の葛藤が続けば国の健全な発展はない。
何より優先は耳の傾け合い
冒頭に紹介した「時局宣言」は、かつての民主化運動の過程で政権に批判的な元老や知識人たちの有用な現実参与手段だった。攻守ところを変えたと言うべきか。
「時局宣言」に対して、若者の代名詞・ネチズンの間でも賛否両論が渦巻いている。「進歩の仮面をかぶった親北、左派、反米勢力が横行する中で、沈黙していた多数の怒りを元老たちが痛快に代弁してくれた」という声があれば、逆に、「軍事独裁時代、政権の下で不当な利益を享受していた人物が、いまさら国の将来を云々するのは吐き気がする」といった意見もある。
波紋が広がるなかで、「社会のあらゆる分野を代表する人たちが集まっているのに、果たして一概に保守右翼と罵ることができるのか」と問い、「国の発展に一翼を担った方々の声であるだけに政派、理念を問わず耳を傾ける価値がある」とする主張も見え始めた。そう、まずは耳を傾け合うべきだ。
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「逆386世代」の真情
切なくも誇り高き若者たちへメッセージ
未来見すえ団結を…先達の道標に学び
霞みがちだった「逆386世代」の声にも耳を傾けよう。若い世代に宛てた二人のメッセージを紹介する(抜粋・要約)。この世代の切なくも誇り高い自意識が見えてくる。
まずはKさん。軍事畑一筋の人物だ。「大韓民国の将来を担い、改革と進取の主体である若者よ、君たちは50・60歳世代が経験した痛みをいくらかでも知っているか」で始まる。
「朴正煕氏の5・16革命直後、当時のケネディ米国大統領は革命を認めず、我が国への経済援助を中断した。彼は急遽渡米した朴正煕氏に会ってもくれなかった。手ぶらで帰国しなければならなくなった朴正煕氏と随行員は、帰り支度しながらホテルで泣きに泣いた」。
「貧しい韓国に金を貸してくれる国は地球上にどこもなかった。わずかに、東ドイツと対峙していた西ドイツ政府が米国の妨害を受けながらも、1億4千万マルクを貸してくれることになった。ただし、人手不足の西ドイツに韓国から看護婦と炭坑夫を送り、その給料を借款の担保にするという条件だった。そのため炭坑夫を500人募集したところ、4万6000人が応募した。学歴は高卒で十分なのに、大卒学士の応募も多かった」。 「送られた炭坑夫たちは、ドイツ人が8時間働くところを10時間働いた。看護婦たちは田舎の病院に送られて、最初の仕事は献体用の死体を洗浄することだった。韓国から来た炭坑夫や看護婦は泣き言も言わず、一生懸命働いた。西ドイツの人々はその姿を見て、看護婦にはコリアン・エンジェルという賛辞を送ってくれた」。
「朴大統領が激励に西ドイツを訪れたとき、5百人ほどを収容できる講堂は、貴重な時間を割いて集まった炭坑夫や看護婦で超満員となった。異国で働く人々は祖国の大統領の激励に泣き、朴大統領も泣いた。そのとき同席していた西ドイツのリュプケ大統領ももらい泣きした。朴大統領はホテルに帰る車の中でも泣き続けていた」。
Kさんは、当時の一人当たり国民所得がタイ国220ドル、フィリピン170ドルに対して韓国は76ドルの最貧国であり、やっと100ドルになったのが64年、輸出1億ドル達成が65年で、その原点は炭坑夫と看護婦の給料を担保にした資金だったと述べ、ベトナム戦争派兵、灼熱砂漠への労働力輸出にも触れたうえで、こう結んだ。
「オリンピックやワールドカップを開催して、韓国が世界から無視できない国になったのは、君たち若者が守旧勢力と非難する世代の、涙と血と汗に負うところが大きいのだ。韓国が最先進国となり、未来がより明るいものとなるために、もう一度世代を超えた団結を訴える」。
◇
もう一人は出版社代表で詩人のRさん。39年生まれで80年代に会社を起こした60歳代だ。典型的な「逆386世代」ということになる。
「我々は《韓国街道》という同じ道を歩き続ける旅人だ。世界中の人々は必ずどこかの道を歩いている。どの道も最初に拓いた人がいて、その後を続々と人が歩いて道を踏み固め広げていった。私が学生時代に歩んでいた《韓国街道》は、でこぼこの荒れた道だった。雨が降ればすぐにぬかるみができ、強風の日には砂ぼこりが舞った。それでも私たちは、後からこの道を歩む人のために、もっと歩きやすいようにと不十分ではあったが舗装もした。その舗装はすぐに剥げたり戦車が踏み荒らしたりもしたが、舗装する努力は怠らなかったつもりだ」。
「ところが道が立派になると、後ろの方を歩む若い人々は、道は初めから舗装道路だったと思い込んでいるように見える。立派になったように見えても、この道にはまだまだ不十分なところがいっぱいある。ここで自己満足や自己過信してはいけない。謙虚さこそ、進歩への《道しるべ》なのだ。油断していると、今は立派なこの道も、またいつ荒れた道に逆戻りするか、絶対に後戻りしないという保証はないのだ」。
「《韓国街道》というこの道では、同じ道を歩むもの同士の仲たがいが絶えなかった。そういう先達の悪行だけは見習ってはいけない。この道を歩んだ人々は、良くも悪くも《道しるべ》をたくさん残している。それをしっかり見届けながら歩みを進めなければならないのに、貴重な《道しるべ》の幾つかが壊されてしまったようだ。私たちは同じ道を先に歩む者の義務として、新たな《道しるべ》を設置したいと思う。この道が、世界一の立派な街道になるために」。
(2004.9.15 民団新聞)