掲載日 : [2004-09-29] 照会数 : 5882
<SPECIAL WIDE>在日同胞と地域国際交流(04.9.29)
[ メインイベントのカーニバルパレード ]
[ 民俗競演に喝采 ]
多文化祭りは同胞を真ん中に
日本各地で国際色豊かな祭りや交流事業が盛んになってきた。三重本部をはじめ、民団の10月のマダンでも多くの外国人とのコラボレーションが目立つようになっている。多文化共生を目指す地域のイベントに、民団を中心とした同胞の存在は欠かせない。その意味で、注目したい二つの試みがある。一つは、今回が初めての「おうみ多文化交流フェスティバル」。これは外国人と地域日本人の大規模な交流祭で、同胞団体が定住外国人の先輩としてリーダーシップを発揮した。もう一つは、昨年が30周年の「堺祭り」に朝鮮通信使パレードで参加している民団大阪・堺支部が「対馬アリラン祭り」を視察、これを参考に通信使パレードの充実化を期していることだ。
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「おうみ多文化交流フェスティバル」を見る
共生社会へ先導役…定住外国人の期待強い
30カ国5万人終日にぎわう
「おうみ多文化交流フェスティバル」はこの19日、大津市なぎさ公園打出の森・びわこホール一帯で開かれた。会場は屋外が4ブロック、屋内が3カ所にまたがる広大なもの。それが韓国・朝鮮、日本をはじめブラジル、ペルー、ボリビア、中国、モンゴル、フィリピン、タイ、ベトナム、欧米諸国など、約30カ国の国籍や肌も目の色も異なる延べ5万の人たちで、午前10時から夜10時まで終日賑わった。
それもそのはず。びわこホール前大通りを1時間余も通行止めにして行われた目玉行事のカーニバルパレードが圧巻であったのに加え、硬軟取り混ぜた各種プログラムはそれすらかすませるほどに多彩であった。
打出の森広場のメインステージでは各国の本格的な民俗舞踊・歌謡公演が人権啓発クイズ、豪華景品抽選会などをはさんで連続的に行われた。アイヌや沖縄を含む24団体が出店した隣接ブロックの多民族料理コーナーも凄まじい人だかりが絶えず、在日大韓婦人会滋賀本部や滋賀朝鮮初中級学校のチジミや焼肉が飛ぶように売れていた。
におの浜広場の「こどもの国」では世界の遊び・大道芸・紙芝居・親子で世界のファッションショーなどがあり、遠く離れた両会場をつなぐなぎさプロムナードには、各国の民芸品を中心に17団体が出店する青空フリーマーケットが広がった。そのそばでは、ブラジルの格闘技・カポイエラの実演が人垣をつくり、やんやの喝采を浴びているといった具合だ。
屋内会場では「あなたも私も地球市民‐国際化社会の創造に向けて」と題したシンポジウムがあれば、ラテン学園やネパールの福祉事業など18団体の活動現況を紹介するパネル展示や民族衣装の展示・試着コーナーがあった。またステージではブラジルのサンバ、ペルーの国民音楽・マリネーラをはじめ、日本舞踊や長唄、狂言なども披露され、5時間にわたって民俗競演が繰り広げられた。
ボランティア中心に実行委
目当てのプログラムに応じて会場を移動する人の流れが複雑だったにもかかわらず、フィナーレの松明による「火の祭典」まで混乱なく進行した。複数の会場で同時進行した各種プログラムすべてが予定通りに消化されたからだ。運営体制がよく練れていた証である。
フェスティバル実行委員会は滋賀県や大津市など各自治体の国際協力機関をはじめとする24団体で構成されたが、実質を取り仕切る事務局は近江渡来人倶楽部に置かれ、実行委員長は同倶楽部代表幹事で民団団員の在日2世・河炳俊氏が務めた。同クラブは、「心豊かな多文化共生社会」の構築を目指して2000年に発足した在日同胞の団体である。
実行委員会の最大の特徴は、形式的には行政機関を含む各団体で構成されながら、実際は50人の本部スタッフ全員が個人資格で参加、その脇を140人の学生ボランティアによって固めたことだ。資金2000万円も自分たちで集めた。規模に比して経費を低く抑えることができたのも、運営スタッフはもちろん出演者のほとんどがボランティアだったからだ。
滋賀県には全人口の2%に当たる約80カ国2万6千人の外国人が居住している。各市町村には国際交流機関があり、外国人の社会定着を支援し、共生を推進する活動も活発だ。しかし例にもれず、外国人住民に対する理解不足やそれにともなう差別・偏見は重要な社会問題になっていた。日本人と外国人とが胸襟を開き、頭と体で互いの文化を知り、理解を深めることで、多文化交流への弾みにしたいというのが今回の企画である。
県内在住外国人の過半数はブラジルやペルーの日系人であり、彼らにとって地域社会における自己存在を生き生きとアピールし、日ごろの思いを発散させるまたとない機会となった。その点、韓国・朝鮮人は全体の4分の1に過ぎない。だが、フェスティバルの中枢にあったのは同胞たちであり、随所に韓国色が出た。
在日の先輩格同胞が前面に
総合司会はチマチョゴリの女性、メインステージのトリはサムルノリの人気グループ・SANTA、激励に駆けつけた国松県知事はパジチョゴリ姿であった。民団滋賀県本部も後援団体に名を連ね、実行委発行のプログラムには県知事、大津市長と並んで安相鳳団長の祝辞が掲載された。
民団を中心に展開された指紋押捺撤廃運動で、在日同胞は永住者だけの撤廃にとどまることなく、一般外国人に対する制度撤廃にまで突き進んだ。全定住外国人の人権問題に果たした先駆的な役割として記憶に新しい。その精神は今後とも、多文化共生社会の実現にとって重要だ。
「おうみ多文化交流フェスティバル」は、日本人や外国籍住民から高い評価を得て、継続を要望する声が早くも高まっている。同様の企画が同胞主導で、各地に広げられる可能性を示したものと言える。
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「対馬アリラン祭り」に学ぶ
呉時宗(民団大阪・堺支部監察委員長)
「朝鮮通信使」パレード
堺祭りでも充実期す
毎年10月第2土・日曜日に行われる「堺祭り」に「朝鮮通信使パレード」で参加し、「祭り」の歴史も参加者数も行政の予算規模も格段に違う「対馬アリラン祭り」を参考にしたいと考えてきた民団堺支部にとって、民団・婦人会の役員20人による「アリラン祭り」研修旅行は実り多いものだった。
韓日のかかわり実感
8月6日から2泊3日の日程で、第1日目は対馬島最北端にある民団対馬島地方本部の李新演団長を表敬訪問し、団長らと昼食をともにした後、朝鮮通信使が日本に到着して初めに泊まった西福寺などを案内してもらい親交を深めた。西福寺に当時の観音様が残されていることに、団員一行は一種の感懐を抱いた。
釜山市が見える韓国展望所にも立ち寄った。大谷大学教授の鄭早苗さんから、韓国にかかわる日本の近・古代史の解説を聞き、その日はホテルで郷土料理を囲んで旅の疲れを癒し、一行の親睦を深めた。
第2日目は、船上より対馬金田城跡を見学。白村江の戦いで敗れた日本が、新羅・唐に対する防御の一環として築いた朝鮮式山城のうちの一つが金田城だ。1330年余も前のことである。
元町会議員でレストラン店主の案内で、海に鳥居がある和多都美字神社にお参りし、待望の「アリラン祭り」にバスで出発、対馬島の南西に位置する厳原町で「朝鮮通信使」パレードを見学した。
480人のパレード参加者が、色彩豊かで豪華な衣服を身に着け練り歩く時代絵巻を眼前にして、団員たちは「すごい、すごい!」の連発であった。それもそのはず、正使役は釜山市の副市長、副使役は釜山市市議会議長であり、対馬市長が宗対馬守役であった。
パレード参加者の60人は釜山市からで、420人は対馬の市民と行政の人たちだ。韓国から来た人たちが自分たちの祭りのように熱中し、日本人がチョゴリを着ていることに、団員一行は感激を新たにした。
断絶から友好回復へ
「アリラン祭り」の予算は2000万円。そのうち、「朝鮮通信使」パレードは500万円だという。時代考証された衣装には3000万円をかけ、韓国に発注したとのことであった。その夜、「対馬アリラン祭振興会」の人たちとの懇親パーティに招待され大歓迎を受け、屋上ビアガーデンで打ち上げ花火を見ながらのビールは格別だった。
対馬は日本本土よりも韓半島に近く、その地理的条件を生かして島民は古くから韓国との交流を営み、生活してきた。豊臣秀吉の朝鮮侵略によって両国の断絶は続くが、対馬藩の努力によって善隣友好が回復し、徳川時代の200年の間に12回もの「朝鮮通信使」が訪れた。一行は400〜500人で組織され、物資の交流だけでなく、学術、文化の交流が盛んに行われ、今日の日本の文化に大きな影響を与えた。対馬市ではこの善隣友好の史実を讃えようと、行政と市民が一体となり、約40年前から「対馬アリラン祭り」を行っている。
今日に受け継ぐ意義
民団堺支部の「朝鮮通信使パレード」は27年前に辛基秀先生、民団堺支部の当時の役員、そして「対馬アリラン祭振興会」の初代会長などの尽力で立ち上がった。今回、初代会長の息子さんである直前会長の庄野さんは我々との奇遇に、涙を流して喜んでくれた。
最終日は、対馬最南端を見学。エメラルドグリーンの海の目前に、古い灯台があり、朝鮮海峡と対馬海峡の分岐点であるとのこと。宗家に政略結婚させられた李王家宗家結婚記念の碑、対馬宗家の菩提寺である万松院、歴史資料館を見学した。帰り道、体育館でボランティアの人たち10人ほどが、前日の「朝鮮通信使パレード」の衣装を洗濯していた。1週間かかるとのこと。町ぐるみの取り組みを改めて見る思いであった。
町の人、行政、関係外郭団体の人たちみなが、私たちを心温かく迎えてくれた対馬で、200年続いた韓日友好の朝鮮通信使の歴史と、雨森芳洲が秀吉の朝鮮侵略を明確に批判した「欺かず」「争わず」の外交理念を学び、今日に生かしたいとの思いを強くした。
国際都市を自負し、政令指定都市を目指す80万余の堺市にあっても、「朝鮮通信使パレード」に予算を計上してもらい、国際理解を広めたいものだ。日本の街々でこの歴史的意義を学ぶ機会が増えれば、在日への理解が進み、平和共生社会への礎が築かれていくのではないか。民団堺支部は「朝鮮通信使パレード」の意義を継承し、発展させなければいけないという認識を新たにした。
(2004.9.29 民団新聞)