掲載日 : [2004-11-04] 照会数 : 5777
<コラム・布帳馬車>蘇る震災の記憶
95年1月17日午前5時46分。あの朝を思い出すと未だに身震いする。阪神大震災が発生したとき、私は在日の密集地域である神戸市の長田区に住んでいた。
暗闇の中、突然ものすごい音が鳴り響き、体を下から突き上げた地震は、6千名を超える人々の命を奪い、町の姿を一瞬にして変えてしまった。
震災から一週間後、自宅が半壊した私たち一家は東京の親戚の家へと避難したが、多くの友人は家が全壊し、避難所生活を余儀なくされた。
被災から数日が経った頃、日本人の友人から自宅近くにあった民団の支部の前で、全国から集まった在日の人が救援物資の配給やキムチチゲの炊き出しを行っているという話を聞いた。飢えと寒さと不自由な生活に苦しむ被災者に、国籍を問わず惜しみなく提供された一杯の温かいチゲがどれほど心身を癒し、勇気づけたことか…。同じ在日として少し誇らしかった。
もうすぐあれから10年…。そんな矢先、新潟の地を大地震が襲った。新潟といえば万景峰号の入港や拉致問題などが、在日同胞社会にも暗い影を落としている。そんな今だからこそ、この地に共に住む人間として、多くの在日が救済の手を差し伸べてほしい。
一日も早い被災地の復興を祈るとともに、阪神大震災の後、神戸で育まれた在日と日本社会との友情が、多くの困難を乗り越え、新潟の地にも芽生えることを願っている。(K)
(2004.11.3 民団新聞)