掲載日 : [2004-11-10] 照会数 : 4921
<民論団論>国家保安法廃止法案私はこう思う(04.11.10)
[ 「国家保安法」をめぐる論議を前に、与野党対立で空転する国会 ]
韓国与党・ヨルリンウリ党は、歴史真相糾明・マスコミ改革・私学改革の関連法案とともに「国家保安法廃止法案」を国会に提出した。この4大法案をめぐって国論は二分し、与野党対立も激化している。「国家保安法」問題は、南北分断による葛藤を余儀なくされてきた在日同胞としても傍観はできない。民団には伝統的に談論風発の風土がある。「国保法」問題について忌憚のない意見を寄せてもらった。なお、当初の投稿規定では字数制限を設けたが、力作が多く無制限とした。
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北へは毅然と対応を…誠実さを促すためにも
権赫采民団愛知県本部前議長
国保法廃止案が国会に上程されたことに対し、やるせない憤りと強い不安をおぼえます。
部分的改正は理解
北韓当局が七・四共同声明、六・一五南北首脳会談をはじめ数々の南北間協約の履行に誠実な対応を示していない状況、特に「対南赤化統一戦略」を基とした綱領に、一言半句の変更もない現況のもとで、国保法廃止はあり得ないと信じます。
過去の政権のしがらみで、多くの人々が国保法に関連し、人権を侵害され犠牲を強いられたことに対してはいうまでもなく、前轍をふまないためにも関連条項の改正は必要でしょう。
韓統連問題は遺憾
しかし国内では、六・二五動乱北侵説とか、北の千里馬運動に高い評価を与え、セマウル運動は政権維持の方途にすぎなかったという説がまかり通っているばかりか、最近では大法院で反国家団体として規制を受けている在日の韓統連メンバー多数が、いわゆる民主人士として、正規旅券が発給され、国内で破格の称賛と待遇を受けている状況に対し、小生は敢えて法の改廃を論ずる前に、先ず法の遵守を訴えたいと思います。
素裸にはなれない
現今、北韓当局が、対話と交流に関連し、何かと条件をおしつけようとする所謂戦略次元での言い訳に対し、政府はむしろ国家安保にきぜんとした姿勢を堅持しながら、北をして平和統一への誠実な対応を促していくべきであると信じます。
核ミサイルをもって威嚇をほしいままにしている北韓当局に対し、素裸になって、民族共助、平和統一を叫ぶ如きの状況を表出するこの度の国家保安法の廃止案に、異議をとなえる在日国民は、小生だけでしょうか?
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外交基本は相互主義…政治は善意だけで動けぬ
金一男民団神奈川川崎支部副議長
1948年12月、同年8月の大韓民国と9月の北韓の成立による分断固定化と軍事対立の激化を背景として、「国家保安法」は生まれた。「反国家団体」の構成員およびその活動を「鼓舞・賛揚・同調」する者を対象として、最高刑は死刑である。
政権の維持に利用した歴史
その修正または廃棄が主張される理由は、「反国家団体」概念のあいまいさと、それ以上に「鼓舞・賛揚」の拡大解釈による連座法的な人権侵害のにがい事実にある。また、この思想統制立法の威力が、本来の目的から逸脱して政権批判への抑圧に振り向けられ、多分に権力維持の道具として利用されつづけてきた歴史にある。
修正の主張は、連座法的な「毒素条項」を削除して人権侵害と政治利用を防ぐことで、破棄せずとも、人権を保障しながら自由民主主義国家体制の保全という所期の目的を達成できるとする。
破棄が主張される場合、破棄後の代案としては、刑法による補完と代替立法との二つの選択肢があり、今回、与党ウリ党は刑法の補完を選んで、同法案の破棄を策定した。
これに対して、第一野党のハンナラ党はあくまで同法の存続を主張し、民主党はウリ党との分裂騒ぎによる確執から、また最左派の民主労働党は刑法による補完をも否定して、それぞれに反対している。ウリ党の中にも、党議拘束を拒む動きが伝えられている。
「国家保安法」の存続が主張される理由は、同法がたしかに東西冷戦と分断対立の産物にはちがいないが、冷戦は過去であっても分断は現在進行形のものである以上、その全体が国家保安法の体系ともいうべき「北」の排他的な憲法体系や攻撃的な労働党規約が改善されないまま「国家保安法」を全面破棄するのは、あまりに一方的な社会的武装解除であり、自殺行為にひとしいとする。
公安活動の第一線でも、たとえば北の宣伝文書を所持している者がそれを学習資料だといえば、取締りがしにくいと主張する。また、今日までの韓国社会の発展は、結果として「国家保安法」に守られた側面があり、功罪の両面を評価すべきだとする。
具体的な代案提示せぬ野党
問題は、与党側の足場が、人権の優先限界に関する論議はさておき、いわゆる「先行的イニシアティヴ」の延長線上の極端、「太陽政策」の路線上の極端にあって、外交の基本原則である「相互主義」から大きく逸脱している印象を与えていることにある。
政治というものは、だれかれの善意の思惑だけで動くものではない。まして、韓半島のように、つねに国際的な政治力学の重心のひとつに位置している場所ではなおのことである。
一方、見逃されていることだが、「国家保安法」の破棄に反対する側にも問題がある。そして、このことの方がもっと重要な問題かもしれない。
ハンナラ党は、このような場合に当然行われるべき具体的な代案提示の義務を、実際には果たしていないのである。現状維持なのか部分修正なのか、修正ならばどういう内容での修正なのか、現在のところ、党論としての明確な集約がなされていない。もし修正の用意があるのなら、独自の修正法案を与党と同時提案し、その立場を具体的に示すべきであった。
しかし実際には、修正の含みを形式的には残しながら、破棄には絶対反対という姿勢だけが強くうち出されていた。与党の出方を見ながらひたすらカウンターパンチをねらっているだけの印象である。結果として、ハンナラ党は国民の前にみずからを目に見える選択肢として表現することをまたもや怠った。
具体的な修正法案の提示がない以上、ハンナラ党は「国家保安法」修正の意思なしとみなされることになる。伝えられるところでも、「鼓舞・賛揚」条項にたいする修正意見は党内でも少数派のようである。この7年間続けられてきた、改革にはなんでも反対の「足取り」戦術の継続であり、変化を恐れて現状維持に執着し、発展性に欠ける印象を国民一般に与えている。
世論調査では75%が反対?
世論調査では、国民の75%が「破棄」に反対しているとされるが、「破棄」にたいする反対は、「修正」にたいする反対と同じではない。むしろ、長期分断体制の緊張にたいする疲労感を背景に、破棄には消極的な反対、修正には積極的な賛成、というあたりが大勢と見られる。
ここにこそ、ウリ党内の急進派が強行策に出ることを可能にした素地があったのだった。なおまた、南北関係で超法規的な政策を打ち出してきたウリ党主流の「国家保安法」問題に対する姿勢には、後日の政権交代によるハンナラ党からの政治的報復への恐怖感が、あるいは作用しているかもしれない。
ともあれ、修正内容についてもっともらしい議論がなされてはいても、客観的に国民に提示されている選択肢は、「無修正の存続」か「刑法補完による破棄」かという、「修正存続」を排除した単純な二者択一となってしまっている。
この場合には、「存続」にたいする「破棄」の立場はかならずしも不利とばかりはいえない。何もかもこのままでいいのか、と問われれば、誰も「イエス」とはいえないからだ。
このような極論対立状況が、ウリ党内の急進派とハンナラ党内の多数派との背中合わせの合作としてつくり出されていて、このことは、ほかの三つの法案に関する議論の底流においても共通している。
ハンナラ党の主流派は、いまだに現実の変化に対応できないまま、後手にまわっていることに気がつかずにいる。この間の一連の政治的な敗北の本当の原因がどこにあるのか理解できないまま、盧武鉉大統領の二枚腰に舌を巻き、ウリ党の急進派に憎悪をつのらせ、すべてをインターネットの威力と若者たちの無思慮のせいだとしている。
臆病な保守と単細胞な革新
一方、国民は、かつて長期に政権を担った第一野党の理念不在・政策不在の現状をすでに熟知している。安保の危機を叫んでハンナラ党が吸収できる中間層の割合は、さほど大きくはないと見られる。
今の国会論議で勝っても負けても、責任ある政策政党としてのハンナラ党再生のチャンスは、このままではますます遠ざかるかもしれない。そのことはしかし、国家的に大きな損失となるだろう。健全な保守の登場が期待されているのである。
ハンナラ党は、その提言が十分に尊重される制度的なシンク・タンクを党内に形成して、長年のボス支配の体質から完全に脱皮すべき時がきた。変化の時代に保守であるということの本質は、むやみに改革を恐れることではなく、改革にたいする断固たる決意のもとで、改革の内容とその幅に現実性を与える努力を怠らないことであるはずだ。
臆病な保守と単細胞な革新との茶番は、一日も早く清算されるべきである。国政を合理的な軌道に乗せるため、ウリ党とハンナラ党の双方に自戒を求めたい。
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過去の清算は不可避…「今だから」扱える諸課題
朴一大阪市立大教授
韓国では、与党が通常国会で成立を目指す「過去史真相糾明法」の制定と「国家保安法」の廃棄をめぐって、激しい議論が起こっている。
「過去史真相糾明法」は「親日真相糾明法」と呼ばれていたもので、「日本統治時代に暗躍した親日派を探しだし、彼らがどんなことをしたのか」、その真相を明らかにしようというものである。また、「国家保安法」は解放後の反共イデオロギーに基づく国家運営の中核となった法律で、国内外の共産主義勢力の封じ込めに大きな威力を発揮してきた。
日本の植民地支配が終わって60年も経つのに、なぜ韓国人は、今ごろになって親日派糾明にこだわるのだろうか。また北朝鮮で核開発の脅威が叫ばれている今、与党はなぜ「国家保安法」を廃止しようとするのだろうか。
親日派という言葉に違和感を感じる日本人や在日コリアンもいるだろう。日本語で「親日」という言葉は、一般的に「日本に好意をもつ」というような肯定的意味合いで使われるからだ。この法律の真意を理解するためには、韓国において「親日派(チニルパ)」という言葉がもつ特殊な意味合いや、その歴史的背景を理解しておく必要がある。
親日派問題と連動
まず韓国語の「親日派(チニルパ)」は、日本語の「親日家」とは異なり、「日本の朝鮮支配に協力した人物やグループ」を指す言葉である。もっとも具体的に言えば、植民地時代の朝鮮人官僚や警察官など、当時の「対日協力者」を親日派と呼ぶのである。
こうした親日派の責任を明らかにしようという国民運動は、盧武鉉政権になってから高まったわけではない。実は、初代大統領・李承晩政権の時代にも、国会で親日派の責任を追及しようという動きはあった。
だが、解放後も生き残った親日派勢力などの妨害工作によって、一度制定された「反民族行為処罰法」が廃案に追い込まれ、植民地時代の対日協力者を清算しようという国民運動は、頓挫してしまった苦い経験がある。
韓国で親日派の責任を追及しようという声が再び上がるのは、それから40年近く経ってからのことである。
民主化運動を弾圧
1987年の「民主化宣言」以降、韓国では民主化が進展し、長らく言論統制下で事実上禁じられてきた親日派研究も容認され、大学の歴史講座でも親日派研究が盛んに行われるようになった。1990年代に入ると、多くの歴史研究者から親日派の真相糾明が叫ばれるなか、数多くの親日派に関する研究書が出版された。いずれも、日本統治下における親日派の正体と、彼らが行った反民族行為の実像に迫っているが、こうした書物が問題にしているのは植民地時代の話だけではない。その多くは、むしろ親日派勢力が解放後も親米派に姿を変えて権力の中枢に居座り、植民地時代の民族解放闘争の流れをくんだ民主化運動を弾圧してきたことを問題視している。
そしてこのとき、民主化弾圧に利用された法律が「国家保安法」であった。1970年から80年代にかけて、民主化運動の指導者たちが反国家団体の担い手という理由で「国家保安法」の犠牲者となり、過酷な弾圧を受けたのである。
そうした意味で、「過去史真相糾明」と「国家保安法」の廃止は切り離せない関係にあるとともに、すぐれて現代に問われた課題でもある。まさにこの二つの問題は、「今さら」ではなく、韓国の民主化が成熟期を迎えた「今だから」こそ扱える課題といえるだろう。
歴史取り戻すため
「過去史糾明法」は親日派に「民族の裏切りもの」のレッテルをはり、彼らを処罰しようとするものではない。また「国家保安法」の廃止を求める声は、北の脅威を軽んじた結果ではない。
「国家保安法」を廃止し、過去史を糾明しようという真意は植民地時代から権威主義の時代を通じて「国民の負の歴史を自ら省み、過ちがどこにあったのか学ぶ」(姜萬吉『毎日新聞』04年9月14日)ところにある。韓国人にとって、「親日」と「国家保安法」は民族の歴史を取り戻すために、どうしても乗り越えなければならない歴史の壁なのである。
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修正存続こそが正道…北へのメッセージ誤るな
朴健市民団千葉県本部民生部長
法律の専門家ではなくとも、国家保安法に両刃の働きがあったことは分かっているつもりだ。国家ならぬ時の政権のための「政権保安法」という別称の存在が、「国家の安全と国民の生存及び自由を確保する」本来の目的以外に、大いなる力を発揮してきたことを象徴している。
拙速な「廃止」法案
しかし、修正法案を与野党で煮詰めて国民的な合意を形成する努力なしに、きわめて拙速に「廃止法案」が出され、それに対抗する形で「存続」が主張されるようでは、この国の政治とは一体何なのか、疑問が膨らむばかりだ。
そもそも、この法律の主対象である北韓の実情や対韓戦略・戦術についてのまともな分析すらなされていない。国の根幹にかかわる重要問題であるにもかかわらず、与野双方とも韓国内の歴史的な対立を引きずり、感情的に増幅させているだけではないか。
与野党双方に失望しつつも、「国保法」については仕掛けた側、つまり与党の発想が持つ問題の大きさを指摘しないわけにはいかない。
どこの国にも道路交通法があるだろう。ふだんは意識にのぼらないことだが、日本では自転車の片手運転は違反である。雨だからと傘をさすことも、買い物袋を手に提げることも、走りながらでは禁止なのだ。まともに適用されていたら、一昔前の蕎麦屋の出前などあり得なかった。ともに安全運転義務違反である。それに、酒を飲んだら自動車ばかりか自転車もダメなのである。
もちろんこれくらいの違反なら警官はとがめない。そんな法律があることを忘れている警官もいるはずだ。
しかし、歩行者との接触事故など、いったん事があれば大いに威力を発揮し、自転車側に厳しい結果を下すことになる。法律とは本来、そういうものではないか。イザというときに、物事を裁く伝家の宝刀なのだ。
不当運用は消えた
要は解釈、運用である。80年代に民主化が大きく進展したのを受けて91年5月、拡大解釈と国民の基本的人権を不当に制限することを禁止する条文が新設された。それ以降、金泳三政権、金大中政権、そして現政権と続くなかで、不当な拡大解釈の事例があったとは思えない。法はそのままでも、韓国はすでに変わったと言えるのだ。
一方の北韓ははっきり言って、対韓撹乱・破壊路線を変えていない。北の大砲をそのままに、南は自ら空気銃に格下げしようと言うのか。北韓に操られた勢力によって、民団が乗っ取られかねない事態が度々あった。そのような勢力がまだ存続する以上、民団防衛に体を張った経験から言っても私は黙っていられない。
国民合意が不可欠
国保法問題は存続・廃止の二元対立であってはならない。東北アジアの変化に対応しつつ、国民的な合意のもとで修正し、北韓に対して、交流・協力関係の増進を保障しながらも、挑発・撹乱策動は断固排除するとの強力なメッセージとすべきなのだ。
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多数の2世を餌食に…今も許せない北の路線
李成俊民団兵庫西宮支部団長
まさか、国家保安法廃止法案が与党・ヨルリンウリ党内部でも十分な合意ができないまま、国会に上程されるとは。あまりに重要な問題であってみれば、かろうじて過半数の与党がそんな冒険を冒すとは考えにくかったのだ。
大法院判決と矛盾
「だが待てよ」と感じはじめたのは、民団新聞(10月20日付)が掲載した民団中央組織局長の談話で、事態はそこまで進んでいるのか、と驚かされてからだ。
談話には、韓国大法院が「反国家団体」と規定し、それに基づいて民団が「敵性団体」と規定した在日韓国民主統一連合(韓統連)の構成員多数が、韓国政府から正規旅券の発給を受け、韓国を訪問することに対し、大法院の判決が変更されていないのに理解に苦しむ、納得のいく説明を求める、とあった。
善悪はともかく、法は法である。なし崩しにすることが許されるのだろうか。しかも、その対象は何らの反省・総括もしていない。
北の工作での犠牲
私は60年代初の高校時代から、同胞サークルや学生運動にかかわったお陰で、痛恨の思いを今も残している。韓国における反独裁・民主化運動が持ったまったく別の側面にある、北路線に奉仕する親北勢力を増殖しようとする工作の犠牲者を何人も知っているからだ。
北韓は朝鮮労働党による一党支配の国である。朝鮮総連はその労働党を支持し、労働党に従属する組織だ。この労働党‐総連の図式のほかに、労働党が直接動かす工作員がいる。在日同胞を対南撹乱工作の道具にしようとする勢力は、民団内部を含む至る所に根を張っていた。
これに対し民団は、綱領に「大韓民国の国是遵守」を謳うだけで、特定の政党・政治勢力を支持もしなければ、従属もしない団体であり、政治意識も自ずと緩やかである。このような民団にあって、民族を愛し、祖国統一を願う素朴な心情がゆえに、どれだけ多くの二世たちが政治的な餌食になり、前途を失ったことか。
こうした工作グループが個別工作では物足りず、民団を根こそぎ我が物にしようと画策したのが、60年代末から70年代初にあった「民団不純分子乱動事態」である。これは明らかに、「南朝鮮人民」が統一革命党を結成し、活動しているかのように喧伝し、その統革党が暴力革命を起こし、親北政権を樹立した後統一するという、当時の朝鮮労働党の路線に符合するものであった。
民団はこの時、左傾化し、在日同胞を日本の革命・階級闘争に動員しようとした在日朝鮮人連盟と決別して創団して以来、おそらく初めて、敢然と政治的な闘いをしたのではないかと思う。その時に民団から排除された不純乱動分子の寄せ集めこそ、現在の韓統連である。
韓統連は今回の一件で政府に公認されたとうそぶいている。しかし、民団は韓国の法がどうなろうと、「敵性団体」を応分の反省なしに許すわけにはいかない。また、韓統連が反省しても、団体としては受け入れるはずもない。そもそも民団に組織内組織は不要だ。
特定勢力は排除を
民団の構成員は公序良俗に反しない限り、個人の政治的・宗教的な信条を理由に排除はされない。したがって、正式脱退し、個人資格での入団なら別問題であろう。
民団は特定の政治・宗教勢力に利用され、影響されることも断固排撃したからこそ今日がある。国がぐらぐらしている時だからこそ、創団時から一貫する生活者団体としてのこの身上を、改めて確認しておくべきだ。
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国家保安法とは
第1章総則=「この法律は、国家の安全を危うくする反国家活動を規制することにより、国家の安全と国民の生存及び自由を確保することを目的とする」(第1条1項)。「この法律を解釈適用する場合には、第1項の目的達成のために必要な最小限度に止めなければならず、これを拡大解釈し、または憲法上保障された国民の基本的人権を不当に制限することがあってはならない」(第1条2項。91年5月新設)。「この法律において〈反国家団体〉とは、政府を僭称し、または国家を変乱することを目的とする国内外の結社または集団であって指揮統率体制を整えた団体をいう」(第2条。91年5月改正)。
1948年12月に初めて制定されて以降、廃止・緩和・強化を繰り返し、現行法は80年12月、国家保衛立法会議によって制定され、その後一部改正が5回施された。①反国家団体の構成または加入、その目的の遂行または支援する行為②反国家団体やその構成員、もしくはその指令を受けた者の活動を賛揚・鼓舞・宣伝する行為の処罰規定が柱になっている。
(2004.11.10 民団新聞)