掲載日 : [2004-11-17] 照会数 : 6325
帰らぬ凍土のしかばね 橋田欣典(ジャーナリスト)
中越地震で一週間余り、被災地の取材をしていた。田中角栄元首相が旧新潟3区に築いた新幹線、高速道、農村道のコンクリート・ネットワークは、自然の力の前にずたずたに切り裂かれた。
土砂崩れに巻き込まれた母子三人の悲劇が全国の注目を集めた。母、姉はほぼ即死。弟が奇跡的に救出された。姉の遺体が収容されたのは半月後。その間、遺体のない葬儀をしなければならなかった遺族の悲しみは涙を誘った。
遺族にとって遺体、あるいは遺品は、いつの時代も大切なものだ。第二次大戦の戦没者約二百四十万人のうち、遺骨が日本に戻ったのは半数だけである。
最近、DNA鑑定という技術が、遺骨の帰りを待ち焦がれる遺族に光をもたらした。判明率は必ずしも高くないが、比較的、遺骨の保存状態が良く埋葬者リストなどがあるシベリア抑留者のケースなどでは有効な鑑定法とされ、期待を集めている。
しかし厚生労働省は、シベリアの墓地の一部について遺骨調査を拒否している。
理由は「日本人以外の」兵士が埋葬されているからにほかならない。旧ソ連内務省の資料によると、シベリアで死亡した捕虜は日本人約六万二千人、中国人百三十八人、朝鮮人七十一人など。墓地内の外国人遺骨の扱いが国際問題になることを恐れ、日本兵の遺骨も含めて放置しているのが実情である。
国はなぜ旧植民地の兵士、軍属の遺族を探し、遺骨を返す努力をしないのか。その理由が「事なかれ主義」であるならば、それは許されないことだろう。
(2004.11.17 民団新聞)