掲載日 : [2004-12-01] 照会数 : 4441
強制退去迫られる京都・ウトロ町同胞(04.12.1)
[ 地元民団関係者の説明を聞く鄭華泰総領事(左から3人目) ]
行政に人道配慮要請…韓国政府関係者
羅大使ら相次ぎ視察
【京都】京都府内で最大の在日同胞集住地、宇治市伊勢田町のウトロ町から立ち退きを迫られている住民を慮って、韓国政府関係者が相次いで現地視察に訪れている。政府関係者自らウトロ町を訪れたのはこれが初めて。京都府知事、宇治市長らとの面会の席では法律以前の人権問題だとして、特別な配慮を求めている。
韓国政府が動き出したのはすでに最高裁で住民側の敗訴が確定、いつ強制執行が行われてもおかしくない状況のため。にもかかわらず、地方行政は見守るだけで具体的に動き出す気配はない。
これまでウトロ町に入った政府関係者は羅鍾一駐日大使をはじめ駐大阪総領事館の鄭華泰総領事、外交通商部の李俊揆・在外国民領事局長ら。9月に韓国で開かれた居住環境問題国際会議で、住民代表がウトロ町の窮状を訴えたことも大きかったようだ。
11月22日にウトロ町を視察した李領事局長は、ウトロ町内会副会長の厳明夫さん(民団南京都支部事務部長)や日本人支援者らと面談した。支援者らは「出て行けといわれたところで、高齢者はどこにも行くあてがない。ホームレスが出てくる。人道上の問題として解決に取り組んでほしい」と要請した。これに対し、李領事局長は「視察していて胸が痛んだ。韓国政府として何ができるのか、これから具体的に検討していきたい」と約束した。
李領事局長に先立って11月17日、ウトロ町入りした鄭総領事は宇治市庁を訪れ、原田和久副市長と懇談した。席上、鄭総領事は「最高裁で建物を収去し立ち退けとの結論が出ているとはいえ、ウトロ町には現に人が住んでいる。居住権・人権上の問題として対処してほしい」と要請した。原田副市長も「外務省に人道上の問題として訴えていく方針だ」と回答した。
会談後、記者団の質問に応じた鄭総領事は「宇治市とは『人権』『人道』上の問題との認識で一致した」とほっとした表情を浮かべていた。
なお、羅大使はすでに11月9日、山田啓二府知事に対し特別な配慮を要請している。山田知事も「まちづくりの中で何ができるか、地元自治体と相談したい」と答えた。
現在、ウトロ町には65世帯203人が住む。このうち、65歳以上の高齢者を含む世帯は半数近い。高齢者のみの世帯も16世帯20人を占める。
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心強い励まし
ウトロ町内会の厳明夫副会長の話
「大使が府知事にウトロの要請をしていただいたことは画期的でした。総領事や在外国民領事局長の励ましも心強く感じました。日本政府(行政)への牽制になるでしょうし、世論の高揚にもつながります。強制執行には今後も住民は団結して闘います」
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行き場のない高齢者代替住宅建設を要望
地元の民団と総連
ウトロ町に在日同胞の集住地区が形成されたのは第2次対戦中の38年、日本政府が宇治市内に「京都飛行場」の建設を計画したことによる。
用地買収は府が行い、工事は国策会社として設立された「日本国際航空工業」が担当して40年から始まった。工事に従事した約2000人のうち1300人が「募集」によって各地から集められた韓国人労働者だった。
工事は日本の敗戦と同時に中止になった。韓国人労働者とその家族は混乱のさなか、なんら生活の保障も帰国のための支援もなく、飯場に取り残された。これが現在のウトロ町の前身となる。生きるがため周辺の土地を耕し、米軍の演習場で砲の破片を拾って生活の糧としてきた経緯がある。
終戦後、土地の所有権は日本国際航空工業を母体とする「日産車体」に移った。しかし、「日産車体」は住民に知らせることなく、87年にウトロ町の土地約2㌶すべてを約3億円で売却した。新たな土地所有者となった不動産会社、西日本殖産は88年末、各戸にあてて内容証明郵便で立ち退きを迫っていった。
これに対して、住民は居住の権利を主張して裁判闘争を展開。「地上げ反対!ウトロを守る会」を結成した。この間、3回にわたる和解交渉も持たれたが、金額面で折り合いがつかないまま2000年11月、最高裁で住民側の敗訴が確定した。
地元の民団と総連は、強制執行されればどこにも行き場のない高齢者と生活保護世帯のための代替住宅を建設するよう行政側に求めている。
(2004.12.1 民団新聞)