掲載日 : [2004-12-08] 照会数 : 5377
最高裁で棄却相次ぐ 韓国人が訴えた戦後補償請求(04.12.8)
[ 「不当判決」と抗議の記者会見をする原告と支援者たち(11月29日、参議院議員会館) ]
[ 浮島丸事件59周年の追悼集会(8月24日、京都府舞鶴市の殉難の碑前) ]
和解の時代に逆行する司法
立法で救済へ世論喚起を
司法の厚い壁の前に韓国人を原告とする戦後補償の訴えが相次いで退けられている。象徴的だったのは韓国太平洋戦争犠牲者遺族会訴訟と浮島丸訴訟上告審だった。最高裁は遺族会訴訟で憲法判断を避け、浮島丸では門前払いに等しいものだった。来年は韓日両国にとって節目となる「友情年」。韓日の明るい未来を切り開くための課題は何なのか。これらの裁判に関わってきた支援者、弁護士らに寄稿してもらった。
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太平洋戦争犠牲者訴訟
旧日本軍人・軍属とその遺族、元軍隊慰安婦ら35人が日本政府に人道に対する犯罪および国際法、または国内法での違法・不法行為に対して1人あたり2000万円の損害賠償を求め91年12月6日、東京地裁に提訴した。
一審、二審とも「(韓国への補償問題は解決されたとする1965年の)日韓協定などにより、賠償請求権は消滅している」と述べて、請求を退けた。
ただし、東京高裁控訴審では鬼頭季郎裁判長が「明治憲法下の国の行為で個人が損害を受けても、現在の国は責任を負わない」とする「国家無答責」の法理について、「正当性を見いだせない」と指摘していた。多くの戦後補償訴訟で請求棄却の理由とされてきた「国家無答責」を否定した判断は、高裁判決では初めて。
謝罪も賠償もなく…長期裁判、全く実りなし
有光 健(戦後補償ネットワーク世話人代表)
11月29日と30日、最高裁はあいついで韓国太平洋戦争遺族会訴訟と浮島丸訴訟の上告を棄却し、敗訴が確定した。「戦後60年」「韓日条約・請求権協定40年」の2005年を前に、日本の司法は懸案のケースの処理を急いでいるかのようだ。
第2次大戦中に旧日本軍の軍人・軍属、「慰安婦」だった韓国人と遺族35人が総額7億円(1人2千万円)の補償を日本政府に求めた韓国太平洋戦争遺族会訴訟は、91・92年に2次にわたって提訴された戦後補償裁判の先駆けの訴訟だったが、判決は「戦争被害や戦争犠牲への補償は憲法がまったく予想していない」「65年日韓協定に伴う在日韓国人の請求権消滅も憲法の平等原則に違反しない」として棄却し、外国籍の原告の戦後補償裁判としては最長の13年間を要した法廷闘争はほとんど得るものなく終結した。
原告の梁順任(ヤン・スニム)遺族会会長らは記者会見で、「謝罪も賠償もない判決は、日本が軍国主義の蛮行をまた繰り返すという予告」と厳しく批判。弁護団も判決を批判し、補償を求める声明を発表した。
敗戦直後に京都府の舞鶴港で旧海軍の輸送船「浮島丸」が爆沈した事件の生存者・遺族ら80人が国に総額約28億円の賠償と謝罪などを求めた訴訟は、2001年に1審京都地裁が生存者に限って1人300万円の支給を命じ、下級裁判所の良心を示した。
しかし、2審大阪高裁で逆転敗訴し、最高裁も「原告側上告理由は、単なる法令違反か立法府の裁量を論難するもので、認められない」と門前払いし、上告棄却を決定したが、被害者側にとってはとうてい納得できる理屈ではないだろう。
1991年以来、韓国人を原告とする戦後補償訴訟で、曲がりなりにも一部勝訴したのは98年関釜裁判山口地裁下関支部判決(「慰安婦」)とこの01年浮島丸訴訟1審判決だけだった。それらもあっさり2審で覆され、全敗記録を更新している。中国人強制連行訴訟が最近高裁でも勝訴している流れと際立った違いを見せ始めている。
もともと、加害国の裁判所でどこまで海外の被害者の人権を救済できるのか、との疑念はあったが、日本の行政府だけでなく司法府も信用できないとの認識が定着しつつある。残るは国会を動かし、立法で措置するしかないとの考えが急速に広がりつつある。
「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」が12月1日参議院に再提出された。5度目の提案である。来年の通常国会には韓国人元BC級戦犯への補償法案も提出される。強制連行・強制労働被害者への補償法案も支援団体などから呼びかけられている。
しかし、連立与党の協力が得られないと法案は成立しない。問題は、与党側をどこまで説得できるか、残り少ない被害者の余命に間に合って立法が実現するかどうか、だ。
各国の被害者、支援団体だけでなく、広く世論を喚起して、与野党を巻き込んで「戦後60年」の風を起こし、永田町を席捲する必要がある。
情けない判断停止…アジアの信頼得られない
高木 健一(主任弁護人)
去る11月29日の最高裁第二小法廷での出来事は、前代未聞だった。
裁判官が「本件上告を棄却する」との発言直後、「不当判決だ」との日本語に混じり、韓国語で「こんなのは裁判ではない」「最高裁判所ではなく、最低裁判所だ」「私の父は日本の戦争に連れて行かれて、帰ってこない。それを認める裁判をするとは、国家の名に値しない」などの怒号が相次いだ。
裁判官は直ちに退廷していたので残った書記官や廷吏、警備員と法廷内のあちこちでもみ合いとなり、興奮した白いチョゴリのハルモニは、もみ合って倒れてしまう。裁判所の職員も手に余る表情をしていた。
この裁判は91年12月に提起された「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」による戦後補償を要求する裁判である。41人の原告の中には6人の元「慰安婦」が加わっていたため内外に大きな衝撃を与え、その後の一連の戦後補償運動と裁判の最も中心にあった裁判である。
その13年間の裁判の結実はわずか3㌻の理由しかなかった。
そこには最高裁判所の意見として戦争犠牲や戦争損害についての補償は憲法のまったく予想しないところであり、「単に政策的見地からの配慮をするかどうかが考えられるにすぎない」と述べ、1965年の日韓協定後に制定された韓国人のすべての請求権を一挙に消滅させる法律「昭和40年法律第144号」も戦争損害と同じく憲法の予想しないものであり憲法違反の判断はできないとしたのだ。
結局、日本の最高裁判所は、戦争と戦後処理に関わることについては判断停止状態という情けないことになるのを認めたのだ。
韓国では、憲法条文に明文がなくても政治との関わり合いを積極的に行い、その正義を実現しようとしているのに比較して、日本の裁判所の消極性は際だっている。
法的問題につき憲法判断を避け続けていては、違憲審査権を有している最高裁判所の名に値しない。その意味で、冒頭に記したハルモニたちの言動は決して的外れではない。
これで裁判には期待できないことが明確になったが、あとは日本社会自身の問題である。韓国も含め、アジアにおいて存在する膨大な戦争被害者についてこれを真剣に取り組まなければ、日本社会はアジアにおいて孤立し、信頼を得られないことははっきりしている。
自国民の拉致問題だけを大きく叫び、靖国参拝を是認していてこれでよしとするのでは、国際的に立ち行かないことを知るべきなのである。
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浮島丸爆沈事件の訴訟
日本の敗戦直後に京都府の舞鶴港で旧海軍の輸送船「浮島丸」が爆発・沈没した事件をめぐり、韓国在住の生存者と遺族計80人が日本国に約28億円の損害賠償や公式の謝罪などを求めた訴訟。
01年8月の一審・京都地裁は生存者15人について「国は強制的に日本で就労させており、安全に朝鮮半島まで送り届けるのは条理上当然だった」と1人あたり300万円、計4500万円の慰謝料の支払いを国に命じた。一方、03年5月の大阪高裁判決は「旧憲法は国の個人への賠償責任を認めていない」とする「国家無答責」の法理から一審判決を取り消し、原告の請求を全面的に退けた。
真相、究明されず…行き場失なう犠牲者の霊
金賛汀(作家)
11月30日、最高裁判所第3小法廷は日本の敗戦直後、舞鶴湾で爆沈した浮島丸犠牲者遺族の賠償と真相解明、日本政府の公式謝罪の要求を棄却した。
青森県大湊(現むつ市)の日本帝国海軍警備府は連合国の侵攻に備え、防空壕などの建設に朝鮮からの数千人の強制連行者を就労させていた。日本の敗戦で過酷な強制労働が占領軍によって犯罪に問われることを恐れた大湊海軍警備府の上層部は日本政府の指示も仰がず、日本の敗戦7日後、急遽強制連行者を朝鮮に送り返す決定をして、浮島丸にその輸送を命じた。浮島丸は数千人の朝鮮人強制連行者とその家族を乗せ、大湊を出港したが、浮島丸はなぜか命じられた釜山港でなく舞鶴港に入りそこで爆沈した。
この浮島丸の爆沈について日本政府は浮島丸爆沈後、艦長が打電した電文による「米軍の敷設した機雷に触れ爆沈」と発表し、日本政府が把握した死亡者525人の名簿を公表しただけで、爆沈原因や犠牲者についての詳しい調査は何もせず、日本政府の責任を一切認めない姿勢を取り続けてきた。
私がこの事件の真相究明に取り組んだ1982年当時、事件についてのまとまった報告書は存在せず、事件は放置されたままだった。在日の人々の間では日本海軍による同胞虐殺事件として密かに語り継がれていたが、それを具体的に証明する証拠は存在しなかった。
私はまず防衛庁戦史研究所に保存されている記録を漁り、爆沈の原因から究明に乗り出したが、書類には「触雷」以外の記述はなかった。記録から事実関係が判明しないのなら関係者からの証言で事件を構成するしかないと考え、浮島丸乗組員、乗船者の生存者、大湊と舞鶴の当時の関係者を捜し出し、聞き書きを取り続けた。
事件後40年の歳月は関係者にとって短い年月ではなかったが、記録をまさぐり様々な証言をして頂いた。私の聞き取り調査は①爆沈の原因②なぜ敗戦直後政府の命令もないのに強制連行者を急遽朝鮮に帰そうとしたのか③乗客数と犠牲者の実数④なぜ舞鶴に入港したのか、などである。
多くの証言から当時の浮島丸を取り巻く状況、強制連行者の処遇、舞鶴に入港するに至った理由などは大筋で判明したが、爆沈の原因が解明できない。艦長や航海長は「触雷」だと沈痛な面もちで言葉少なく語るが、機関長は「あれは乗組員が朝鮮に行きたくなくて、爆破事故を起こして鑑を沈没させたと思っている。大湊出港のときから乗組員の中に機関の一部を爆破して船が運航できないようにしようという噂が流れていた」と相反する証言があり、爆沈の現場を見た舞鶴の人々も、海軍関係者は機雷の爆発にともなう水柱が立ち上がったと証言し、現地の民間人は黒い煙が上がったと機雷以外の爆発原因を窺わせる証言をしており、真相究明にはいたらず、歯がゆい思いをした。
私の『浮島丸釜山に向かわず』(講談社刊)のレポートが出版され、テレビドキュメンタリーが放送された頃から韓国では、生存者や遺族を中心に日本政府に対して真相究明と公式謝罪、賠償を求める声が強まり、88人の関係者が京都地方裁判所に提訴した。長い裁判の末、京都地裁は2001年8月23日、日本海軍の安全配慮義務違反を認め、慰謝料の支払いを命じる判決を下したが、真相解明、公式謝罪の要求は却下した。
そして日本国が控訴した大阪高裁では原告の要求はすべて却下され、最高裁も大阪高裁の判決を支持し、浮島丸事件の裁判は結審した。これで浮島丸の爆沈で犠牲になった人々に対する日本の責任は法的にすべて不問に付せられた事になる。
そんな事でいいのかという思いが長年この事件を追った私の胸を締め付ける。浮島丸の同胞が水死体となって流れ着いた舞鶴の下佐波賀の漁村の人々は「毎日毎日水ぶくれになった水死体が波打ち際に打ち寄せ、村中にその死体の異臭が立ち込めた。子どもを抱きしめて死んでいる女性の遺体もあった」と当時を回想していたが、日本の裁判所の判決で彼らの霊は行き場を失ったと思った。
歴史の事実を正しく直視する事で日本と朝鮮半島の過去史を清算し、両民族の明るい未来を構築する道を日本政府は無視しようとしているようで腹立たしい限りである。
徴用連行の責任不問…遺骨返還も香料も拒否
青柳 敦子(訴訟支援グループ代表)
浮島丸裁判は、在日一世の故宋斗会氏の発案で始まった。原告団80人を組織したのは、太平洋戦争犠牲者光州遺族会(李金珠代表)と、忠清北道の永同新聞である。
宋斗会氏は、1973年には、樺太の朝鮮人から委任状を取り寄せて帰還を求める裁判の道を開いたが、1989年からは韓国の徴兵徴用の被害者に公式陳謝と補償を求める裁判を呼びかけ、翌年、22人が本人訴訟で初めて提訴していた。宋斗会氏は、「日本は強大であり、勝訴できないが、泣き寝入りするな」と、韓国の被害者に呼びかけたのである。
私は宋斗会氏の下で、事務局として裁判に携わり、資料の収集、事件の調査を担当した。
宋斗会氏の言う通り、裁判は敗訴した。しかも最高裁は、上告申立てを認めずに棄却した。判決文さえも作らなかったのである。敗訴は予想していたが、朝鮮人徴用の責任を認めず、日本人だけに補償する民族差別に、私は怒りと悲しみを感じずにおれない。
浮島丸事件は、事件発生当初から朝鮮人大量虐殺の疑惑があり、真相究明が原告たちの大きな目的だった。しかし日本は、事件についてほとんど説明しなかった。また、家族が同郷の生還者から肉親の死を知らされていても、死亡者名簿に名前がなければ、日本は認めなかった。
裁判を起こした遺族のうち、17人が遺骨を受けとっていない。遺族は祐天寺の遺骨の返還を求めたが、日本は個人への返還を認めなかった。提訴後数年して、遺族個人への返還を求めたが、日本は謝罪も、たった10万円の葬祭料も拒否した。
日本海軍は、朝鮮人軍属たちに帰還を命じて乗船させた。虐殺事件であるか否かにかかわらず、事件の責任は日本にある。しかし日本は、事件の調査、被害者の認定、遺族への通知、遺骨返還という金銭以前の最も基本的な責任を認めない。そして、遺族に対してさえ謝罪せず、香典も包まずに遺骨を返すと言う。それを日本の裁判所は認めるのである。
私は浮島丸事件以外にも、光州千人訴訟、BC級「戦犯」訴訟、中国籍朝鮮人のシベリア抑留訴訟にかかわったが、ほとんどの判決が次のように言う。
「戦争による被害は広範囲で甚大なものであり、国民等しく耐え忍ばなければならない。また、限られた国家予算において、どの範囲の人々に補償するかは国会の判断である」。
判決は、戦前、朝鮮人は「日本国民」だから、日本人と等しく戦争被害に耐えよと言う。それでいて、日本人だけに補償しても構わないというのである。
日本は、戦後も、国が堂々と民族差別を行い、裁判所がこれを認める。第二次大戦後の世界では決して認められないことが、日本では大手を振ってまかり通る。
イギリス、フランス、アメリカ、イタリアも植民地出身者を戦争に動員したが、責任を負わず補償しないのは、世界で唯一、日本だけである。私は韓国の被害者や弁護士とともに、徴兵徴用の戦後責任を求めて国連人権委員会に申立ての準備をしている。
なお、被害者たちは事件を虐殺と確信しているが、そうではない事を私は裁判の準備書面で丁寧に説明した。私は弁護団と資料を収集し、事件を検証したが、真っ先に救助に駆けつけた地元の人々が、爆発直後に船全体が、船底もろとも「への形」に大きく盛り上がったことを目撃している。これは船の外部、下で爆発(触雷)がなければ起こり得ないと私は考えたのである。日韓の専門家による検証が行われることを、私は強く望んでいる。
(2004.12.8 民団新聞)