掲載日 : [2005-01-26] 照会数 : 5103
青春の怒り・叫び・恋… 話題映画「パッチギ」を語る(05.1.26)
[ 映画「パッチギ」の一場面 ]
1968年の京都を舞台に、対立する朝鮮高校生と日本人の間に芽生えた恋や友情を描いた井筒和幸監督の最新作「パッチギ」が22日から、東京のシネカノン有楽町、アミューズCQほか全国で封切られた。この作品は、民族や立場の違いを乗り越えようと葛藤を繰り返しながら、未来へ向けて歩む若者たちの姿をとらえている。パッチギは頭突きの意味。上映初日、映画を鑑賞した本紙記者たちが感想を語り合った。
民族の違い〞頭突き〟
ケンカ通じ明日にらむ
A ずしっと胸にくる。W杯サッカー予選の「日朝」戦の前に一人でも多くの若い在日、日本人に見てほしいね。
B 登場人物たちと近い世代としてノスタルジーを感じたし、在日の歴史はあらゆる意味で、闘いの連続だったなと改めて思った。
C ショックが大きかった。日本の友だちに早く会って、映画の内容について語りたい。
B 日本の人は在日のことをよく知らないし、南も北も判断がつかない。当時、朝鮮高校をどう見てたと思うか。
A 日本側から見れば朝鮮学校は怖い存在だし、朝鮮学校から見たら日本はずっと民族を痛めつけてきた側だということを小さいころから教え込まれている。お互いに歩み寄ろうとはせず、対立の構造を引きずってきたから、1回ぶつかると仕返しをするという悪循環をずっと続けている気がする。この対立は朝鮮学校と日本の高校生ばかりではなく、民団系の民族学校と日本の学生との間でもあった。
C 映画では同胞と日本人の間にある民族や国籍の壁を、鴨川という河で象徴したと思う。主人公は好きな朝鮮高校の女の子のために、その河を愛で乗り越えようとする。映画の中でハラボジから「日本人のお前は何も知らない」、好きな女の子から「もし、結婚することになったら朝鮮人になれる?」と言われても主人公は何も答えられない。映画は僕の親の世代の話だけど、こういう瞬間って、自分の世代でも続いていくと思うから、河の存在を感じて映画みたいに乗り越えていけたらいい。
A あの当時、差別は当たり前のようにあったし、人対人の関係が敵対し、出口の見えない不安や緊張を暴力でもって、解消していったのではないかと思う。
B 暴力でも崔洋一監督の「血と骨」では、アボジが暴力を家族へ向けてしまう図式が辛い。はけ口があまりにもない。
A 「血と骨」で描かれていたのが、1世の凶暴な親父を中心に見た家庭や社会だったが、「パッチギ」は青春グラフィティーで、登場する人間がそれぞれ熱く生きている。嫌になったり好きになったりを乗り越えて、人として物事を見るという姿勢が貫かれていると思う。行定勲監督の「GO」に比べて社会性が強いのも好感が持てる。
胸に迫る「イムジン河」の調べ
C 対立関係などを乗り越えてほしいというメッセージと受け止めた。友だちになった朝鮮高校生の通夜の日、主人公は黙って帰り、河まで来てギターを壊す。やっぱりその河を乗り越えることはできないと思って、ラジオ局に行って「イムジン河」を歌う。そこで主人公は乗り越える。
A あの時代は好きとか嫌いという前に、目の前にいる人間と渡りあわないとだめだった。今のように北朝鮮は嫌いだと言ってしまったら、発展のしようがない。今この時代に「パッチギ」を制作したのは、懐かしい青春という1コマを描きながら、生き方みたいなものを一緒に考えていこうよ、というメッセージなんじゃないかと思う。
C 結局、喧嘩もぶつかり合い、政治の意見もぶつかり合い。本音でぶつかって相手のことを理解するというのがある。
A 食わず嫌いでは物事は解決しないし、逆に食わず嫌いにしてしまっている責任の一端が北朝鮮バッシングだと思う。相手を化け物みたいに描きすぎてて、一般の人が引いてしまう、これでいいのか。
B そういう意味でこの映画は一切合切をさらけ出してくれたと思う。今後、この映画を見た人たちがどう判断し、どういう点数をつけるか分からないが。
A ミーハーの言い方だが、主人公の女の子が可愛かった。恋愛対象として南、北、在日、日本だなどと国籍や民族が違うからだめだじゃなくて、人は人を自然に好きになるもんだなと、当たり前のことを描いてくれてほっとした。
B 見ながらその当たり前のことを、そうなんだと再認識している自分がいた。登場人物が皆、人間臭いのがいい。
A 乱闘シーンがありながらも、日本と在日の関係がもっと良くなってほしいとか、いろんな物事を乗り越えていけそうだという可能性を見せてくれた。河をメタファーというか、それが大きな題材になっている。
C 僕はそれを考えながら見ていたけど、悲しくてやりきれなかった。僕はまず、日本人の友人に見てもらいたい。友人からすごく軽い感じで、帰化したらいいじゃないかと言われる。河が僕たちの間にも流れているのを気づいていないし、知らない。日本人が在日の歴史や存在を知ろうとしないことは、あの時代からずっと変わっていない。これを見て、在日も日本人ももっと河の存在を意識してもらいたい。
(2005.1.26 民団新聞)