掲載日 : [2005-03-16] 照会数 : 4987
<寄稿>60年目の在韓被爆者問題 中島竜美(05.3.16)
崩れた属地主義
長崎地裁は8日、在韓被爆者、崔季さんの遺族が長崎市を相手取って申請していた葬祭料の訴えを全面的に認める判決を言い渡した。「海外に居住する被爆者であっても援護対象に当然含まれる」とした司法判断は、大きな流れとして定着しつつある。一方で戦後補償の広がりを懸念する行政側の対応が遅々として進まない。被爆60年目を迎えたのを機会に在韓被爆者問題に詳しい中島竜美さんに問題点と課題を整理してもらった。
先行する司法判断 後手に回る法の運用
今年の新年早々1月19日に開かれた三菱徴用工裁判の広島高裁判決には一抹の不安があった。それというのも私自身証人台に立った広島地裁(95年12月提訴)では完敗していたからだ。
しかし、結果は予想を超えるものだった。強制連行については〞時効〟の壁に阻まれたものの、原爆被害については「被爆者法から在韓被爆者を違法に排除してきた四〇二号通達により、原告らは精神的苦痛を受けてきた」として、日本政府に一人につき100万円の慰謝料を命じた。在韓被爆者裁判では初めてのことである。
これは帰国後の健康管理手当(以下「手当」)の継続支給をめぐる郭貴勲大阪高裁判決(02年12月)で勝訴が確定以来、着実に裁判の流れが変わってきたことを示している。この郭裁判で問題となったのが、「わが国の領域を越えると失効する」とする前述の局長通達(74年7月)で、これが廃止されるまでに30年を要したのである。
そもそもこの局長通達は70年、密航した孫振斗さんが被爆者健康手帳(以下「手帳」)を求めて起こしたいわゆる「手帳」交付を認めてこなかった国が、さらにこのような措置に出たのは、将来の敗訴に備え、前もって〞出口〟を塞いだとしか思えない。
その後、孫振斗「手帳」裁判は勝ち進み、最高裁の勝訴判決では「法の根底には国家補償的配慮がある」ことを明らかにした。それ以来、在韓被爆者裁判には法の趣旨を基本に置く司法と、法の運用を主張する行政とが対立する構図が見られ近年、その差が一層明確になった。国側にも郭裁判以降、ようやく変化の兆しが見えるようになった。
具体的には大阪地裁勝訴判決(01年6月)に対して控訴する一方で、在外被爆者に関する「検討会」を設置、02年度からは渡日治療のための渡航費などの助成を行うようになった。郭裁判の確定によってすでに韓国をはじめ在外被爆者の居住国での「手当」支給が始まり、被爆者はどこにいても法的地位は変わらないことが実証された。
こうして国がこれまで建前としてきた属地主義は事実上崩れたが、打ち切られた「手当」の継続支給を求める申請手続きには、いまだに本人の来日を義務づけている。そのため、来日不可能な被爆者からは代理人による「申請」裁判が、在韓だけでなく在米・在南米被爆者からも起こされるようになった。
今月8日、長崎地裁で勝訴判決が下った崔季「葬祭料」申請裁判は昨年9月、「手当」申請裁判の勝訴を聞く前に原告が亡くなったため、代わって奥さんが「葬祭料」を求めていたものである。
在韓被爆者の平均年齢はすでに70歳を超えた。残された時間には限りがある。国はこれまでとってきた運用行政の姿勢を改め、昨年度以来滞っている居住国での医療費助成プランをこの際、大幅に拡大して抜本的な援護対策に踏み切るべきである。
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略歴
なかじま・たつみ。28年東京生まれ。フリー・ジャーナリスト。在韓被爆者問題市民会議代表。主な著作に『被爆者補償の原点−朝鮮人被爆者孫振斗裁判の記録』(編著)、『在韓被爆者問題を考える』(在韓被爆者問題市民会議編)、『日本原爆論大系』(全7巻岩垂弘、中島竜美編集・解説、日本図書センター)
(2005.3.16 民団新聞)