掲載日 : [2005-04-27] 照会数 : 13899
<社説>2500号 生活者の視点、今後も
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本紙2500号 新たな決意
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生活者の視点、今後も…同胞は民団理念の側に
同胞の魂に触れる紙面
本紙はこの号で紙齢2500号を数える。
46年10月3日に結成された「在日朝鮮居留民団」の機関紙として、翌47年2月21日付で創刊された。下に示した「民團新聞」創刊号1面の黒々とした題字のそばに、「週刊。1部金3円」とあった。60年代初頭の一時期には、日刊体制をとったこともある。題字も「民團新聞」から「民主新聞」、「韓国新聞」と変遷、再び「民団新聞」になった。
2500号特集をつくるに当たって、縮刷版を総ざらいした。特に、草創期に吸い寄せられた。残念ながら抜け落ちた号も少なくない。しかし、時代を感じさせる記述の行間から、得るものは多かった。なぜ民団を結成したのか。同胞たちは当時、どのような思いを抱いていたのか。まるで大先輩たちにインタビューしているようで、現存する公式文書だけではつかみにくい心情のひだまでが読み取れたような気がした。
機関紙の編集作業には、組織のさまざまな力学や配慮が働き、組織全体の空気が反映される。意気軒昂な草創期とはいえ例外ではない。むしろ、談論風発、百家争鳴の伝統がある民団のこと、編集方針を定めるべくスタッフの間に葛藤があったはずである。しかも、新聞編集には週刊紙とはいえ、出たとこ勝負にならざるを得ない面もある。
新聞は生ものだ。であれば、いずれ鮮度は落ちる。しかし、手前味噌からではなく、創刊時の本紙に今なお尽きない生命力を感じた。現在の民団に、ほとんどストレートにつながる理念、キーワードが散りばめられているからだ。なかでも、「生活人の正しき信念」、「普遍的な信義を尊重する国際人」というフレーズは含意が深い。
解放から間がない45年10月、すでに活動していた主な団体だけでも300余を数えたにもかかわらず、思想・信条、主義・主張を超えて、まさに全同胞が在日朝鮮人連盟(朝連)に糾合された。しかし、大同団結は幻に終わった。朝連とそれを継承した在日朝鮮統一民主主義戦線(民戦=58年8月結成)の指導部は、民族問題を日本の階級闘争に従属させ、日本革命の成就なしに朝鮮革命の遂行はないとして、同胞を過激な運動に駆り立てた。
在日再編に脈打つ精神
祖国、居住国いずれの保護にも恵まれない寄る辺なき民であった同胞たちにとって、唯一の支えは自らの共同体のほかにはない。この本然の欲求から大きく逸脱すれば、共同体は破滅の淵に追いやられる。この危機意識から結成されたのが民団だ。「生活人」・「国際人」の概念は、民団が自ら思想・政治団体ではなく、特定の政治的な主義主張とは一線を画すことを繰り返し表明してきたこととあわせ、共同体を守ろうとする切実な思いの表れだった。
共同体とは歴史的、文化的な背景を同じくするものの、多様な価値観を持った生身の人間集団だ。本紙の歴史から浮かんでくるのは、そうした共同体を政治的に利用するのではなく、故郷のかつての村落に対する愛着のようにその本然の在りようを尊重する姿勢である。
「全員が帰国するまでの自治機関」であった民団が、居住が長引くことによって多様で複雑な問題を抱え込まざるを得なかった同胞の生活権を確保し、同胞のライフサイクルに密着したサービスを提供するために、準政府機関あるいは地方公共団体的な性格を帯びたのも必然だった。そして、生活者団体として強まる民団の求心力は、在日同胞が民団理念の側にあることを示している。
ばかりではない。本紙の論調を貫いてきた「生活人」・「国際人」の二つのキーワードは、民団を地域社会に密着する国際団体として認知させ、今日すでに多くの地方自治体や市民団体に共感を広げている多民族・多文化共生の理念を正面切って提唱する資格を民団にもたらすことになった。
同胞共同体を破滅の淵から引き戻し、朝連に対しともに共同体を育もうと呼びかけて来た創団精神は、今後とも在日同胞社会の再編を担保するものとして命あらしめたい。
(2005.04.27 民団新聞)