掲載日 : [2005-06-08] 照会数 : 5938
在日の思いのたけ歌集に…第1歌集「サラン」
[ 生活者の視点で言葉を紡いでいる金英子さん ]![](../old/upload/42a6b784b1367.jpg)
父よ還れ雷鳴とどろく夜を越え玄海灘へ友待つ国へ
福岡在住の2世・金英子さんが刊行
在日韓国人2世で福岡県飯塚市の金英子さん(44・歌人名=キム・英子・ヨンジャ)がこのほど、第1歌集「サラン」(文學の森社)を刊行した。初めて短歌を詠んでから30年。この歌集に収められた394首には、家族に対する深い思いや、在日韓国人として生きる英子さんの揺るぎない信念が伝わってくる。
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自分史 結晶させ、父の鎮魂も詠み込む
歌集の出版は英子さんの短歌ファンで、一昨年に他界した亡き父との最後の約束だった。完成後、父の霊前に供え、「約束を果たしたからね」と報告した。
これまでに朝日歌壇や現代歌人協会の全国短歌大会大会賞、NHK全国短歌大会特選などで入賞するたびに父は、「1冊の本になればいいな」と話していた。入院先の病床では、新聞に掲載された短歌を何度も読み返していたという。若くして海を渡り、異郷の地で苦労を重ねながら5人の子どもたちを育ててくれた。
1960年同県筑豊町生まれ。短歌との出会いは中学生のときにさかのぼる。教科書に載っていた若山牧水、与謝野晶子の歌に感動した。1年生の夏休みの終わりに、ふと五七五七七の言葉が浮かんだという。以来30年、1000首を超える短歌を書きとめてきた。歌の師を持ったことはない。
本名を名乗ったのは25歳からだ。高校3年のときに見た1冊の写真集がきっかけになった。夜間中学で学ぶ生徒たちのなかに、在日同胞の名前があった。「在日であることを隠さずに生きたい」と思った。
その後、青年会春季母国訪問団で初めて韓国を訪れた。だがそれは、在日韓国人に対する韓国人の、冷ややかな態度を目の当たりにする旅でもあった。
待つわれにイルボンサ ラムはあちらだと入国 審査官の言いたり
韓国語話せば返さるる 笑顔の眩し僑胞(キョ ッポ)と知らず
短期大学卒業後、就職できない時期が長く続いた。韓国人だからと断られたケースもなかにはあったが、詳しい理由は今でも分からない。その後、赤ペン先生と呼ばれる在宅で行う算数などの答案添削指導員を約6年間続け、90年に社会保険労務士の国家資格試験に合格。現在、福岡韓国商工会議所に勤める。
「心が揺れ動くとき、その気持ちが短歌に結晶します」。穏やかな心が曇ったときに、自分の気持ちを救ってくれたのが短歌だったともいう。
英子さんは5年前から、地元の日本人教師と市民団体の主催で1年に1回開催する「3・1文化祭」で、短歌とその背景にまつわる話を朗読する活動を続けている。
英子さん今、母語である日本語をより深めたいと思っている。母語とはその人と切り離せない、それなしではその人らしく考えることができない言葉だと考えるからだ。等身大の言葉を素直に投影させる英子さんの短歌は、人々の心をとらえている。
歌集を読んだ在日同胞たちから、電話や手紙が寄せられている。そんな反応に驚きながらも「在日同胞の一人として、思いが伝わったことが嬉しい」と喜びを隠さない。 出版を機に、正真正銘の在日韓国人として生きることが楽になったと話す英子さんの次の目標は、「歌文集」の制作だ。
(2005.06.08 民団新聞)