掲載日 : [2005-09-07] 照会数 : 9093
関東各地で大震災追悼行事
[ 多数の犠牲者が出たことが確認された中村橋で犠牲者を偲ぶフィールドワーク参加者
]
[ 横浜・宝生寺での慰霊法要(上)と民団千葉・船橋支部のチェサ
]
◆横浜・虐殺現場で追体験…作文手にフィールドワーク
【神奈川】横浜市内で3日、関東大震災と朝鮮人虐殺の実相に迫るフィールドワークが行われた。これは「ヨコハマハギハッキョ」の一環。会場の南吉田小を出て当時の住民が逃げまどった経路をたどり、虐殺の現場を訪ねるというもの。市立中学の社会科教員、後藤周さんが中・高校生らを案内した。
この日のため後藤さんが準備した資料は、昨年9月に同小学校から「再発見」された震災作文集「震災記念綴方帖−南吉田第2尋常小学校(現在の南吉田小学校)」からの抜き書きと現場地図。
「小さな証言者」たちは震災直後の12月、避難先で朝鮮人虐殺の実相をありのままに記録していた。
「巡査が『朝鮮人が刃物を持って来るので来たら殺してください』と言ってきた」「2日目には『山・川』と言って朝鮮人を調べ歩いていた」「3日、商業学校行く道−道やら川に朝鮮人の死体がころがっていた」。これらはほんの一例だ。
一行に加わっていた市職員は「作文に出てくる朝鮮人騒ぎがまったく具体性が欠けるのに対し、虐殺の場面はとてもリアルだった。その対照的なところを実際に現場を歩くことで身近に追体験できました。この痛ましい悲劇は忘れてはいけない、伝えていかなければならないと思いました」と話していた。
後藤さんは「今に生きる私たちの歴史の反省としてしっかり根付かせるため今後もフィールドワークを続けていきたい」と述べた。
◆同胞慰霊碑前で…神奈川本部
【神奈川】民団神奈川県本部(殷鍾七団長)は1日、横浜市南区堀の内町の真言宗宝生寺境内、「関東大震災 韓国人慰霊碑」前で犠牲同胞の霊を弔った。法要には同本部から殷団長をはじめとする民団と婦人会の役員ら60人余りが出席した。
宝生寺での法要は、震災直後にリヤカーを引いて、野ざらしになっていた同胞の遺体を引き取って葬った社会事業家で、同胞の救済団体「愛隣園」を主宰していた故李誠七さんが、当時の佐伯妙智住職の協力を得て1924年から始めた。
当初は世論を慮ってか李さんが造位した白木の位牌に「虐殺」の文字は無かったものの、46年9月1日に改造して「虐殺韓国人諸霊位」とした。現在の碑は地元の在日同胞有志が寄付を集め、70年に建立したもの。
◆地域貢献誓う…船橋支部
【千葉】民団千葉・船橋支部(崔 支団長)は1日、支部会館でチェサ(祭祀)を行い、犠牲同胞の冥福を祈った。民団千葉県本部と各支部役員ら60人が参席した。
祭祀台には婦人会船橋支部心づくしの山の幸、海の幸が供えられた。初めに崔支団長がひざまづき大礼をした後、「関東大震災の教訓から学び、一層日本人との平和交流確立に向け尽力する」との追悼辞を読み上げた。
先輩から虐殺の様相を伝え聞いたという金清次民団千葉県本部顧問は、「逃げまどい、絶壁に追いつめられところを鳶口で惨殺された。まるで獣扱いだ。事実をありのままに次世代に語り継いでいく。そのためのチェサだ」と述べた。
(2005.09.07 民団新聞)