掲載日 : [2005-09-07] 照会数 : 8572
銀座「清香園」が秘蔵のレシピ公開
[ 日本での韓国料理店の先駆者として86歳でいまも頑張る張貞子さん
] [ このほど発刊された銀座「清香園」秘蔵のレシピ『時の香り』
]
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張貞子さん…オモニの味守って53年
「子どもたちに、孫たちに伝えたい…」
◆『時の香り…素材生かす調理法』を出版
日本での韓国料理店の草分け的存在として、東京・銀座に「清香園」を構えて53年。半世紀を経てなお変わらぬ味を提供し続ける張貞子さん(86)がこのほど、秘蔵レシピを満載した初の著書『時の香り 清香園の韓国料理』(ブックマン社)を出版した。守り続けてきた母の味を子どもたちへ、そして孫娘へ託す準備が始まっている。
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「おかず」「伝統料理」「漬け物」「メインディッシュ」「デザート、乾き物」の5部から構成される「時の香り 清香園の韓国料理」には、素材を生かした調理方法にこだわるレシピの数々が紹介されている。
「韓国の伝統的な料理を崩したくない」という思いは今も変わらない。
現在も現役。「入院している時以外は、この店に必ず来る」と、夕方6時から11時まで仕事をこなす。料理はもちろん、張さんを慕ってくる常連客は数多い。
ソウルの名門の家に生まれた。韓国戦争の勃発した1950年、戦禍が広がるなか駐日韓国代表部の初代政治顧問だった夫を頼りに、4人の子どもとともに来日した。
◆今やグルメガイド定番の老舗
当時、日本ではホルモン焼きが中心で、本格的な韓国料理と呼べるものはなかったという。韓国の高官や親戚の強い勧めで、52年に韓国料理「清香園」を開店。焼肉を中心にカルビチム、タッチム、漬け物3種やスープなどの充実した料理を提供した。
創業当初、韓国人には欠かせないコンナムル(豆もやし)が手に入らなかったために自ら水耕栽培し、一日100本の豚足を買い求め、安全カミソリで毛を剃って調理をした。タン塩は張さんが西洋料理からヒントを得て創作した一品だ。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の高官や大使館職員などが訪れ、順調な滑り出しを切ったが、54年に火事で焼失するという苦い経験も味わった。
本の出版は「韓国料理は読んで習うものではない。四季折々、塩漬けも変わる。これを計りで量ることはできない」からと何度も執筆依頼を断ってきた。
だが決心が付いたのは、張さんの店を継ぐと言った大学4年生の孫娘のために、本を残そうと思ったからだ。その孫娘は「社会勉強をしないとオーナーになれない」と卒業後、数年間会社勤めをはじめるという。
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日本の食文化に革命
張さんは53年間の料理人としての人生を誇りに思うと話す。「韓国料理店のない時に店をはじめ、10年目くらいからあちこちで、焼肉店ができてきた。日本に来て食文化に一つの革命をもたらしたという気持ちです」 抱負を訪ねると、「これから健康を維持しながら第2部を発行して、孫がきちんと跡を継いでくれたらね」と嬉しさを隠せない様子だ。孫娘から第2部を発行してほしいというリクエストがあったという。
(2005.09.07 民団新聞)