掲載日 : [2005-09-28] 照会数 : 7421
【故郷の家①】…京都にも建設の要望強く
[ (上)民族衣装を着た慰問者と談笑するハルモニたち ]
[ (上)ハラボジの誕生会、(下)食事を介助してもらうハルモニ ]
高齢者に憩いの場
堺・神戸に次ぎ3番目 尊厳ある生活守ろう
社会福祉法人「こころの家族」は、堺、神戸に次いで京都に3番目となる特別養護老人ホーム「故郷の家」づくりを進めている。京都には1万人を超す同胞高齢者が居住し、実現を心待ちにしている。
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社会福祉法人「こころの家族」(尹基理事長=韓国社会福祉法人共生福祉財団名誉会長)は、日本全国10カ所の建設を夢に、かねてから在日コリアンと地域日本人の高齢者が共に暮らすことができる、共生の特別養護老人ホーム「故郷の家」づくりを進め、日本で初めて大阪府堺市(1989年10月)に建設、次いで神戸市長田区(2001年2月)に開設した。
今回、3番目となる京都での建設に向けては、在日コリアン高齢者生活支援ネットワーク・ハナの共同代表で、京都で在日コリアン福祉に奔走しているNPO法人京都コリアン生活センター「エルファ」の鄭禧淳理事長から「京都にも緊急を要するお年寄りが多い」との話があったことが契機となった。
現在、在日コリアンの高齢者は全国で9万人を超え、そのうち6万人が制度的な無年金状態に放置され、困難に直面していることから、「故郷の家」では、こういった現実を踏まえ、人間の尊厳をもって生きる社会、すべての者に暮らしよい社会づくりに邁進している。
京都の在日コリアンは約5万人で、大阪、東京、兵庫、愛知についで5番目に多く、高齢者も1万人以上という。制度的無年金問題と合わせて、老人ホーム建設が急務とされる。
特に今回の建設地となる南区東九条は多住地区で、差別と偏見の中、苦労してきた在日のお年寄りたちが「老後は、この地・京都に住んで良かった」と思えるよう、「故郷の家」が地域の福祉センターとして、地域国際文化交流を進め、相互理解とこころの国際化に寄与することになる。これは、今後の日本の介護人材育成や供給においても、意義が大きい。
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「原点は田内千鶴子」韓日つなぐ福祉の輪
「故郷の家」運動の背景
1928年、若き伝道師・尹致浩氏が韓国・木浦に孤児院「木浦共生園」を設立。38年に奉仕活動をしていた日本人女性・田内千鶴子さんと結婚。53年、韓国動乱で行方不明になった尹氏の志を継いだ田内さんは、韓国孤児3000人を育て、68年木浦で生涯を閉じた。国籍は日本でも韓国人になりきっていた、故・田内さんの最後の言葉は「梅干が食べたい」だった。
故田内さんの遺志は、長男である尹基氏(現「故郷の家」理事長)に受け継がれた。77年には、母の悲願であった職業訓練院を開設し、共生福祉財団へと発展させた。82年に母の国・日本に事務所を開設した。
84年、死後13日ぶりに発見された在日コリアン高齢者の孤独死や、遺体の引き取り手がないといった新聞記事を目にし、老いて故郷を思い、さびしく過ごしたであろうお年寄りの姿に、亡き母の姿を重ねた。悲しい出来事を繰り返させないよう、在日韓国老人ホーム建設を朝日新聞紙上で提唱、波紋が広がった。
85年、「在日韓国老人ホームを作る会」を発足させ、募金活動を展開。89年に、大阪府堺市に日本で初めての在日韓国人のための老人ホーム「故郷の家」を開設し、2001年には、神戸市長田区にも開設した。
「古都での実績を良き先例に」
環境福祉学会アドバイザー・ソーシャルインクルージョン研究会の炭谷茂会長(環境省事務次官)の話 社会から排除された人たちや、お年寄りの孤独死といった孤立をなくし、人間としての尊厳を守り、社会に復帰させることがソーシャルインクルージョンの理念。まだ日本では、それほど浸透していないが、韓国ではその意識が高まっている。「故郷の家・京都」でその理念を実践するにあたり、古都・京都の伝統ある地域の中で、新しい考え方を取り入れ、その理念を実践し、どのような形で展開していくのか、とても楽しみにしている。「故郷の家・京都」が、今後のソーシャルインクルージョン理念の、具体的に目に見える事例になるだろう。
ソーシャルインクルージョンとは ソーシャル(Social)とは「社会の」「社会的な」、インクルージョンとは(Inclusion)「包含」「包括」といった意味で、貧困や失業などで「排除」された人々や、独り住まいのお年寄りや精神的に「孤立状態」にある人々を、積極的に社会に引き入れるよう活動し、地域から排除をなくすため、町全体あるいは学校単位などで面的な活動を展開、一人ひとりが人間らしく生活できるようにする運動だ。イギリスやフランスなどヨーロッパ諸国では、近年の社会福祉の再編にあたり、その基調となる理念として位置づけられている。
(2005.09.28 民団新聞)