掲載日 : [2008-02-06] 照会数 : 6188
<寄稿>MINDAN文化賞 旅立ちを祝う
[ 朴一
大阪市立大学大学院教授
中央民族教育委員会副委員長 ]
確実に育つ担い手
在日文化の継承・創造代弁
1月26日、記念すべき第1回目の「MINDAN文化賞」の授与式が、東京港区の民団中央会館で盛大に行われた。式典には、受賞者やその家族のみならず、100人を超える民団関係者が駆けつけ、受賞者を祝福した。当初から「文化賞」の提言、設立、運営、審査に関わってきた一人として、実に感慨深いものがある。
「MINDAN文化賞」の設置が最初に問題提起されたのは、2001年11月、当時の金宰淑団長の下で「新しい時代の在日社会と民団の方向性を模索する」ために設置された「在日同胞21世紀委員会」の部会報告である。同委員会の1部会として設けられた「人・文化づくり部会」のメンバーだった映画監督の呉徳洙氏は、同年12月に神戸で開催された「未来フォ‐ラム」において、「在日独自の文化」を「100年にわたる在日の歴史を踏まえ、そこから派生したさまざまな事象を主題にした表現作品」と捉え、「その可能性を切り開くためには、在日文化賞の設定が必要である」と呼びかけた。
それから6年、鄭進新団長の下で再編された中央民族教育委員会で、ようやくこうした提言が実を結び、「在日の歴史を現在から未来に継承し、在日に関する研究者や文化人を発掘する」という目的を掲げて「MINDAN文化賞」が実現することになった。
とはいえ、文化賞にどういったジャンルを設けるか、審査員を誰にお願いするか、どういった基準で選考するか、果たして応募作品は集まるのかなど、今回の文化賞の概要が決まるにまでには、中央民族教育委員会で多くの論争や葛藤があったのも、また事実である。 しかし、同委員会の不安は危惧に終わった。文化賞のジャンルとして、今回はすでに実施されていた「親孝行をテ‐マにしたエッセイ(民団孝道賞)」部門に加え、論文、詩歌、写真の計4部門が設けられたが、北は北海道から南は九州のみならず、韓国からも応募が殺到し、応募総数は640点にのぼった。
こうした反響の大きさは、在日文化の継承・創造に対する在日コリアンの熱い思いや期待を代弁するものであり、各分野における在日文化の担い手たちが確実に育っていることの証しでもある。 実際、応募作品の中には、優れた作品が多かった。審査委員の一人、金時鐘氏は、「最終選考に残った各作品の特質は、たまさか書いた程度の趣味の域のものではさらさらなかった。これだけの質と量を広く募れるだけの下地が同胞社会にあっての文化賞だったのだと、改めて思いを深くした」と述べているが、論文部門の審査に加わった私もまったく同感である。最優秀作は残念ながら出なかったが、2本の優秀作やその他の作品から「在日社会への新たな提言」として教えられる部分も少なくなかった。 「MINDAN文化賞」は、『在日コリアンの歴史教科書』の作成・出版や在日韓人歴史資料館の開設と並んで、「在日文化の継承と創造」という新たな役割を民団が担うことを宣言した記念すべき文化事業である。こうした事業を維持していくには大変なエネルギ‐とコストを伴うが、ぜひこれからも賞の質を維持しながら、同賞を継続・発展していただきたいものである。
最後に今回の審査員として、詩人の金時鐘氏、写真家の裴昭氏、立教大学の李鐘元教授など、日本社会の各分野で活躍する高名な先生方の御協力を頂けたことで、「MINDAN文化賞」の魅力は著しく高まったと自負している。
ご協力頂いた審査員の先生方と、協賛企業の皆さまに改めてお礼を申し上げたい。
(2008.2.6 民団新聞)