掲載日 : [2008-04-16] 照会数 : 4834
祖国統一問題への視点(2) 在日同胞の立場から
[ 89年、ベルリンの壁崩壊を喜ぶ東西ドイツ市民 ]
避けたい「1民族2社会」
同質化が不可欠
権力の一元化に先行して
イエメンとドイツの教訓
南北統一は、国土を統合し、統治権力を一元化することだけで終わらない。南北社会の同質化を不可欠の要素とする。
国家は自然人としての個人の集合体ではなく、大小さまざまな利益集団を基礎単位とする統合体であり、高度に組織された機能体である。それぞれの国家は独自の体制の下で、独自の政治・経済・文化の体系を持ち、物理的な強制力として軍事組織・治安組織・官僚組織を独占する巨大な権力の構成体である。
したがって、国家と国家を統合するためには、政治体系・経済体系・文化体系の一元化を果たし、軍事組織・治安組織・官僚組織の一本化を成し遂げなければならない。それと平行して、国民的な合意形成を可能にする精神的な共通基盤の拡大が求められる。
これらがいかに必要であるか、しかしまた、いかに困難であるかは、超強大国として君臨したソ連邦の解体後、その構成国どうしが見せた戦争を含む混乱事態や、ことにユーゴ連邦解体後の戦乱や民族浄化など悲惨な現実が物語っている。
同一民族の場合でも例外ではない。1990年に南北が平和的な統合を遂げながら、一転して、実質上は北部による武力統一となったイエメンの実例をやや詳しく見ておきたい。南北とも、地域によってセクトは異なるが、ともにイスラム教国である。
指導者だけの合意 イエメン
北イエメン(1918年、オスマントルコから王国として独立。62年に共和制)は穏健な軍事政権が支配し、南イエメン(67年に英国から独立)は一党独裁の社会主義体制にあった。平和的な統一とともに政治結社や言論の自由化など、開放政策がとられただけでなく、統一から30カ月の暫定期間中は、旧南北の支配勢力が政権を対等に分け合っていた。
しかし、南北は統一後も別々に独自の軍隊と治安軍を有し、政治体系も相違を残していた。94年に入って、旧南北の支配勢力の間に内戦が勃発し、最終的には旧南イエメンの再分離派が敗北して終わった。統一イエメンは存続したものの、2カ月以上にわたった内戦は数千人の犠牲を生み、社会的、経済的に甚大な打撃と後遺症をもたらした。
当時のイエメンの人口は、南北合わせて1230万人ほどである。韓半島南北の5000万と2000万、合わせて7000万の人口規模はもちろん、60万と110万の軍事組織、大量破壊兵器を含む火力の集中度合いを考えれば、イエメンのような統一経過をたどるわけにはいかない。統一国家の担保となる韓国の政治的・経済的な蓄積を一挙に失わせ、わが民族を破滅させる。
現在のイエメンは、石油や天然ガスなど資源に恵まれながらも貧困国に位置づけられ、アラブ諸国では異例の議会制民主主義下にあっても政情不安が続いてきた。南北地域間の格差解消が政情安定の鍵とされている。イエメンのケースは、韓半島南北の統一方案論議に重要な示唆を与えており、「国家連合」と「連邦制」を論じる項でとくに参考にされるだろう。
地すべり的な吸収で ドイツ
やはり同じ民族で、同じく1990年に統一されたドイツの場合はどうか。ベルリンの壁崩壊から1年後のドイツ統一は、イエメンとはまた別の意味で、韓国に大きな衝撃となった。
瞬く間に崩壊していく東ドイツを吸収しての統一は、その後のドイツに経済的な困窮と「1民族2社会」と呼ばれる内部葛藤を噴出させた。東欧諸国では最も経済発展を遂げ、繁栄していた東ドイツですらそうであれば、最貧国の北韓を吸収せざるを得なくなった場合の韓国は、どのような事態になるのか。
ドイツの全人口8000万人のうち、西と東の人口比は4対1であり、国土も西が東の2倍あった。西ドイツの1人当たりGDPは約2万2000㌦で、東のそれは11分の5。韓国は人口で北韓の2倍強に過ぎず、国土は2割ほど狭い。ドイツでは豊かな西の4人がそう貧しくはない東の1人を抱えるだけで済むのに対し、韓半島では先進国になり切れていない南の2人強が、赤貧の北の1人を養わなければならない。恐慌をきたすことは明らかである。
国家統合の歴史にあって、ドイツは最も成功したケースである。なかでもスムーズな統治権力の一元化は、西ドイツ憲法下での総選挙を通じた直線的な統一作業が可能だったことによる。それでも、50万の西ドイツ軍と18万の東ドイツ軍の統合作業は、減軍にともなう失業問題の解消措置を含め,6年の歳月と莫大な費用を要したことには留意しておく必要がある。
ドイツは分断される以前に、ビスマルク時代からの統一国家のもとで、近代的市民社会を共有する生活経験を持っていた。87年に東西の自由往来が実現してからはいっそう、市民レベルでの相互理解が進んでいた。この相互往来実現は、東独政権を動かすほどの力が東独市民にあったことによる。
権力の統合で解決せぬ現実
さらに、無視できない社会的な要因として、西ドイツの左派勢力による東ドイツ執権党に対する厳しい批判があった。歴史的経験によって鍛えられた西ドイツ左派の原則性は、東ドイツのスターリニズム権力を社会主義への裏切りとして決して容認しなかった。その一貫した姿勢が東ドイツ市民に与えた影響は大きい。
国家統一、国民統合への土壌が豊かであるうえに、統治権力の一元化が速やかに進んだこのドイツでさえ、「1民族2社会」という現実が残った。ドイツの場合でもやはり、国土と統治権力の一元化だけでなく、社会の同質化がいかに必要であるかを見せつけている。
際立ち過ぎる北韓の異質性
南北が「資本主義」と「社会主義」の異なった体制の下に分断され、6・25韓国戦争を含む苛烈な抗争を繰り返しながら62年が経過したわが民族の場合は、なおさらである。
南は自由民主主義と市場経済主義体制を整え、豊かな経済力量と広い市民的空間を形成し、平和と人権、国際社会との協調を重視した普遍的な価値観が支配する国家へと発展してきた。
北は主体思想の呪縛によって、経済力を枯渇させるだけでなく、わずかな市民的空間さえ地下に押し込め、国際社会の普遍的な価値観に背を向けたまま、異質性を際立たせている。
しかもわが民族は、ドイツとは違って近代市民あるいは国民としての統一的な生活体験を持っていない。日本の植民地支配下で、擬似的に経験しただけである。民族的な心情を土台にしているとはいえ、統一国家の国民として、統合を果たしていく共通の基盤は脆弱と見なければならない。
(2008.4.16 民団新聞)