掲載日 : [2008-05-14] 照会数 : 9844
ルーツの誇り胸に抱き AHN MIKAさん
[ 「今後は在日韓国人として韓国のテレビや映画にも出演し活動したい」と語る安美佳さん ]
[ 06年の四天王寺ワッソで阿加留比売の大役を務めた
]
生まれ故郷(大阪生野区)を離れず
「触れ合い大切に」
93年、パリコレクションに初参加以来、ファッションショーや広告、映画・講演会出演など多彩な活動で注目されている在日韓国人2世のモデル、安美佳さん(36、大阪・生野区、AHN MIKA)。両親亡き後、語学留学のため1年間、韓国に暮らした。現在、同胞との触れ合いを大事にしながら、韓国に関わる仕事も精力的にこなす。両親に対する思い、仕事や夢などについて聞いた。
思い出の街で情報発信役も
目の前にさっそうと現れた安美佳さん。モデルになるべくして生まれたようなすらりと伸びた肢体。だが、その素顔はとても気さくだ。仕事を離れるとコリアタウンを自転車で走り回る。地域の人たちに気軽に声をかけ、アジュマ(おばさん)たちからも声をかけられ立ち話もする。
生野区で生まれ、6年前から生家に暮らす美佳さんにとってこの街は、思い出の詰まった大切な故郷だ。以前、生野コリアタウンのブログにあるコリアタウンマップの立ち上げに参加したほど。現在、テレビやラジオ番組にも出演し、韓国市場やコリアタウンなどをレポートし、多彩な情報を紹介している。
幼いころから明るい性格だった。美佳さんの天性の性格を見抜き、モデルの世界に導いたのは母親だった。母親は美佳さんに「あなたは笑顔が綺麗だからモデルになったらいい」といつも話していた。「あのころは笑顔になると母に誉められました。また日常生活で歩く姿勢や物をとる動作など身のこなしかたを教わりました」
パリコレ参加 一躍、有名に
だが、美佳さんが15歳のときに母親は病気で他界。高校卒業後、母親の言葉を信じモデルの道を選択した。モデル事務所に所属したが、最初はなかなか芽が出ずに、アルバイトをしながらオーディションを受けてきた。
18歳のとき、京都で出会ったドイツ人カメラマンの目にとまったのを機に、ロンドンで出版されているファッション雑誌で紹介され、93年にはパリコレクションに初参加した。
パリでコリアンモデルとして認められたことから、自身のルーツを痛感し、ローマ字表記にした名字で活動を開始。以来、個性的な表現力を持つ美佳さんに仕事のオファーは絶えない。
ファッションショーをはじめ、活動の場を広げてきた。美佳さんと韓国を結びつけたのは父親の存在だ。「父は韓国の文化を愛し、大事にしてきました。私が高校生のとき、四天王寺ワッソを見に行った父から、阿加留比売(あかるひめ)に出られるモデルにならないといけないといわれました」と当時を振り返る。
母国留学から活動は本名で
01年、美佳さんを傍らで見守ってきた父親が死去。同年、両親の遺骨を埋葬するため故郷の済州道に行ったが、会話ができず言葉の大切さを痛感。モデルとして順調に活動していたが、02年4月から1年間、延世大学校語学堂に留学した。
「文字と文字の間から両親の顔が見えてきました。両親のルーツに思いを馳せ、2人から自分が生まれてきたことを改めて認識しました。日本に戻ったら韓国に関係する仕事をしようと決めました」
留学後、「安美佳」という名前が愛おしく、在日韓国人に生まれたことを誇りに感じ、AHN MIKAの本名で活動することにした。不思議なほど韓国に関する仕事が舞い込んできた。04年にはレポーターとして四天王寺ワッソに初めて関わった。そして06年には父親の念願だった阿加留比売の大役を務めた。
今年11月2日に開催される四天王寺ワッソでは「最後まで残って一人でも多く観客の方たちと触れ合いたい。このお祭りではそれが大事」だと、国籍や人種を超えた真の交流について熱く語る。
今後は「在日韓国人として韓国のテレビや映画にも出演し活動したい」。美佳さんは多くの可能性を秘めている。
(2008.5.14 民団新聞)