復興を信じて前へ…同胞被災者・道は険しくとも
東日本大震災から4年目の11日、甚大な被害を受けた宮城、岩手、福島の同胞被災者に聞いた。復興が遅れていることは何度も報じられていた。しかし、返ってきた言葉は、意外なほど前向きなものが多かった。立ち止まって後ろを振り返るのではなく、前を向いて少しずつでも歩いていくのだという。生活再建はまだ、胸突き八丁のさなかだ。
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宮城
李賢淑さん(58)はご主人と宮城県牡鹿郡女川町でほたてとホヤの養殖をしている。震災では数千万円にのぼる損失を出したが、公的な支援を受けていまは仕事も順調だ。しかし、借入金の返済にはあと10年はかかる見通しだという。
仕事は夜明け前の2時からだ。午前零時からというときも珍しくない。「仕事をするのが楽しみ。落ち込んでいる暇などない。落ち込んでいたら自分自身が負けてしまう」。
日本政府の定めた集中復興期間は来年3月でいったん終了する。支援がどうなるのか、それだけが気がかりだ。
金日光さん(40)は仙台市で暮らす新定住者。震災時の津波で最愛の妻を亡くした。いまは幼い子ども3人の成長を楽しみに、発電所の土木現場で働く。
昨年、初めて民団の組織学院東北教室に参加してから在日の友人が増えたという。懇親会では久しぶりに明るい笑顔を見せた。現在は団員だ。
金さんを誘った民団宮城本部の姜恵美子局長は、「組織学院で同世代の在日の友だちをつくってほしかった。在日とつながってくれれば、みんなでフォローできるから」と話す。
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岩手
岩手は陸前高田、大船渡、釜石などの海岸地区は依然として事業を再開しようにも、土地の確保がままならない状態が続いている。
そんななか、釜石市の海沿いで営んでいた焼き肉店を津波で失った咸民さん(60)は、震災から3年を経た昨年4月、ようやく建築許可と資金確保のめどが立ったことから新築着工。7月に新規開店した。
規模は震災前と同程度で、オープン時には、近隣の同胞や民団役員を招き開店祝いを兼ねた食事会を開催した。「ちょうど還暦の年。第2の人生が始まるんですね」と目を細めた。
大船渡市で全壊した焼き肉店を震災の年の12月に復活させた高浩暎さん(46)も「店は順調」。ただし、借入金の返済にはこれから10年はかかるそうだ。
山田町で被災し、宮古市の仮設住宅で暮らす朴夏博さん(65)。住宅の近隣に開設した小さなテーブル2つだけの中華飯店は、「お昼はお客さんが入りきれないほど」。
山田町に新たな家を建て、焼き肉兼中華料理の店を再開するのが夢だが、いまはちゅうちょしている。「店が軌道に乗るころには70歳を過ぎてしまう。食べ物商売は大きくもうかるわけではない。これまでに投資した1000万円の回収もまだだし」
大船渡市で経営していた遊技場を失った洪啓子さん(60)は、4年前からストレス性の胃腸炎に悩む。現在は回復傾向にあるが、薬はいまも手放せない。新たな事業に欠かせない土地のかさ上げと区画整理が思うように進まないからだ。
「遊技業をする気はない。なにをするか、いろいろ考えている。青写真もできて明るい兆しが見えたら、当初の計画が変わって引き戻されたり、一気にトーンダウンしてしまったり。でも、へこたれて手をこまぬいているわけにはいかない。負けてたまるものかと思っている」。
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福島
福島は地震と津波の同じ被害を受けた宮城、岩手とは違い、原発事故の影響でこれから何十年も先を見通せない。
元ゴルフ場のキャディ、張賢淑さん(54)は原発から半径8㌔圏内の浪江で被災。いまは南相馬市内のコンビニでパートをしている。
お客は除染作業員が多い。売れ筋はダントツで弁当類。台所が小さくて思うように料理ができないと、近くの仮設住宅からもたくさんの買いもの客が訪れる。時給は2年半が経過して現在は780円にアップ。仮設住宅で家賃がかからないことから、これでもなんとか生活できている。
パート仕事は生活のためだけではない。「家にひとりいるのもなんだし、勤めに行くと気が晴れる。無理してでも自分で自分の気持ちを明るくするしかないんです」。
年間放射線量が高く、帰宅困難区域になっている浪江町の自宅は除染が進み、来年の2月には避難解除となる。しかし、張さん自身は「戻れるといっても戻らない」と話す。
朴三貴子さん(52)は南相馬市で被災し、現在は兵庫県で避難生活を送っている。半壊した住宅はそのまま。家財道具は津波で家を流された近隣の住民に「どうぞ使ってください」と譲った。避難先で新しい家財道具をそろえたため、「出費がすごいかかった」。自主避難したため、東京電力からの補償もない。生活はぎりぎり。教育費のかかる子どもたちが奨学金が受けられたらうれしいという。
(2015.3.18 民団新聞)
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