「金日成開戦」隠せず…「定説」(侵南)への〞反論〟なのに
和田名誉教授の〞新刊〟意識
異例の4回連載
1950年6月25日の韓国戦争勃発から62年が過ぎ、27日には休戦協定締結59周年を迎える。
総連の機関紙「朝鮮新報」は、節目の年でもないのに「朝鮮戦争を再検討する」と題した論文(白宗元・歴史学博士)を、6月25日付から4回にわたり掲載する異例なキャンペーンを始めた。
北韓軍による38度線全域での電撃的南侵で開始されたこの戦争で、同胞だけでも数百万人が死亡した。国土を荒廃化させたのに加えて、南北分断の固定化を決定的にし、南北1000万の離散家族を生んだ。
だが、北韓は、いまだに開戦・戦争責任を韓国および米国側に転嫁すると同時に「祖国解放戦争勝利」と美化している。
総連の朝鮮高級学校で使用されている歴史教科書「現代朝鮮歴史 高級1」も、「米帝のそそのかしのもと、李承晩は1950年6月23日から38度線の共和国地域に集中的な砲射撃を加え、6月25日には全面戦争に拡大した」「敬愛する金日成主席様におかれては、(25日の)会議で朝鮮人をみくびり刃向かう米国の奴らに朝鮮人の根性を見せてやらねばならないとおっしゃりながら、共和国警備隊と人民軍部隊に敵の武力侵攻を阻止し即時反撃に移るよう命令をお下しになった」「3年間の祖国解放戦争は、全朝鮮を占領し、さらにアジアと世界を制覇しようという米帝の侵略計画を破綻させた」としている。
「歴史は先の祖国解放戦争の時期、英雄的な朝鮮人民軍が米国の侵略に対し、即時に反撃に転じて3日の間に敵の牙城であるソウルを解放し、戦争から3年で挑発者たちを惨敗させた偉大な勝利を記録している」(2010年7月31日、朝鮮中央通信社の「告発状」)などとする、北韓の主張を忠実に教えている。
こうしたなかで、「朝鮮新報」は、「白宗元論文」の連載にあたり、「西側では、朝鮮戦争は北側が引き起こしたものとされ、その説が広く流布されている。朝鮮戦争についての地道な研究成果と新たに発掘した資料などを踏まえて、本紙にその『定説』に対する反論を寄せた」と強調している。
だが、「白宗元論文」は①選挙と李承晩の内戦挑発②戦争責任を転嫁する欺瞞と歪曲③国連の名で戦争を挑発した米国などの表題からも推測されるように、「定説」を覆すような新たな証言や資料の紹介もなく、「北側が戦争を挑発するということは全くありえない」「李承晩は、強大な米国の軍事力を背景に、全面的な内戦に火を付けた」などと、北韓の主張をそのまま繰り返し代弁するのに終始している。
また「『フルシチョフ回想録』はフルシチョフ自身が書いたものではない。記述には事実の歪曲が目立ち、矛盾するところがあまりにも多い」とし、その「信憑性」を問題にしている。しかし、公開された開戦に関する金日成とスターリン、毛沢東との事前協議などに関する旧ソ連の外交文書などについては一言半句もない。
重い旧ソ連資料
日朝国交促進国民協会のホームページを開くと同協会の事務局長(理事兼任)でもある和田春樹・東京大学名誉教授の「北朝鮮現代史‐抗日闘争から金正日の死まで」(岩波新書)が「協会の新刊です。是非お買い上げください」と大きく紹介されている。
今年4月に出版された同書の第3章「朝鮮戦争」の小見出しは「開戦許可求める北朝鮮」「スターリンのゴー・サイン」「金日成、ソ連・中国を歴訪」「三段階の作戦計画」「開戦」など。「開戦」の本文では「北人民軍への攻撃命令は、6月23日と24日に出された。そして軍事行動は25日未明に38度線の全線ではじまった。シトゥイコフ大使は26日にモスクワに報告している。(中略)6月25日は日曜日であり、北人民軍部隊の攻撃は韓国軍にとって完全に不意打ちだった」と記されている。
「朝鮮戦争全史」(岩波書店)の著者でもある和田名誉教授は、「ソウル新聞」(2010年6月16日付「韓国戦争60周年企画」)のインタビューで「韓国戦争は北韓が明確に武力で統一しようとの目的で南韓に侵入したものだ。北韓の南侵をスターリンと毛沢東が支持した。(中略)金日成が3度ほどスターリンに南侵(計画承認)を要請し、結局、スターリンがこれを受け入れ、韓国戦争が起きた」と明言している。
「朝鮮新報」が、異例の連載を、それも「『定説』に対する『反論』」として大きく紙面を割いたのは、直接の言及こそないが、和田名誉教授の新刊を意識したものと推測される。いずれにせよ「金日成が開戦」の史実は隠せない。当然のことだが、「連載」は、北韓の「反論」指示に対するアリバイ証明の域を出ていない。
(2012.7.11 民団新聞)