各地で民団が大歓迎
8日の鳴海(名古屋市)からは一路東京を目指して、旧東海道をたどった。
「五月晴れ」の旧道にはところどころに江戸時代の面影を残す建物が残されていた。絞り染で有名な有松宿では、有松絞商工協同組合の近藤好彦組合長から絞り染で作られた朝鮮通信使の3本のノボリがプレゼントされた。
9日の岡崎からは韓国ウオーカーの朴允熙さん(大学教授)と成昌奎さん(38)、孫炳容さん(37=共に大学講師)が参加した。朴さんは宣さんの友人で、3回目。
民団岡崎支部支団長らの見送りを受けてスタート。松並木が所々に残っている。中でも「御油の松並木(豊川市)」は保存状態がいい。
ここでサプライズが起きた。韓国コースで大変お世話になった韓楠洙さんがニコニコ顔で迎えてくれたのだ。この宿場で休憩茶屋を営む伊藤武彦さんが第1次に参加して歩いた韓さんと親しくなり、サプライズを演出してくれたのだ。
10日の浜松まではこのウオーク最長の41㌔。うす曇の中、民団豊橋支部の見送りを受けて歩き出す。掛川市に入ると歓迎の横断幕を掲げて掛川日韓親善協会の高木市議らが雨の中で待っていてくれた。温かい名産のお茶と柏餅をいただき、ほっと一息ついた。
12日、掛川駅前での出発式では松井三郎市長が第2次に続いて見送ってくれた。日坂宿からのきつい上りを過ぎると一面の茶畑が広がり、心地よい風が吹いてきた。ゴールの藤枝宿では、藤枝玉虫愛好会の市民たちが歓迎してくれた。国立慶州博物館に保存されている馬具の修復にこの地の玉虫が提供され、韓国との縁が続いているそうだ。
13日、桜井幹夫副市長らの激励を受けて歩き出す。市職員が日韓の国旗の小旗を腰に差して歩く。昔のままの雰囲気の旅籠「柏屋」では韓服姿の女の子の「アンニョン!」の可愛い声に見送られた。
安倍川の橋では黄色の昔の韓服姿のサムルノリ隊の音楽で迎えられた。金成根団長ら民団静岡地方本部のたくさんの人たちが公園で迎えてくれ、冷たいスイカやお菓子をさしいれてくれた。毎回の大歓迎だ。この後、静岡県内では民団清水支部などの歓迎を受けた。
清水駅では劇的な出会いが待っていた。金重石さんと遠藤純代さんとの「半世紀を過ぎての初の出会い」だった。
金さんは中学時代に英字新聞を通して遠藤さんと文通をしていたが、1960年代の日韓国交正常化問題の騒動の中で、途絶えてしまった。金さんはこのウオークで清水を通るので、何とか会うことができないかと思っていた。このことがウオーク隊員を通して朝日新聞静岡版で紹介された。すぐに朝日新聞に連絡があり、この日の「出会い」につながった。
14日の交流日、静岡県庁を訪問し、天野一・静岡県朝鮮通信使研究会長に「通信使の道の世界遺産登録」に協力を要請した。民団などとの交流会が開かれ、最後にアリランを全員で合唱した。
15日、海を見下ろす薩埵峠の登り道を上がると、少し霞んではいるが、冠雪した富士山が現れた。「すごいねー」と言いながらそれぞれカメラを構える。韓国最高齢、76歳の韓棟基さんは「やー! いいですねー。この素晴らしい富士山を見たらもう東京までの全部を歩き終えた気分になったなー」と満面の笑顔。
17日はいよいよ箱根の峠越えだ。
(写真と文 金井三喜雄)
(2013.5.22 民団新聞)