韓商連は11年5月23日の第49回定期総会で「一般社団法人」の取得を決議した。そこには、民団中央本部(以下、民団)と緊密に協議するとの付帯条項があった。しかし、韓商連はその後一度も民団と協議せず、11月18日に経済産業省に「一般社団法人在日韓国商工会議所」の名義使用許可申請を提出、同24日に許可通知を受けた。組織の約束事を自ら反故にしたのである。
その経緯について、民団に正式な報告をしないまま12月9日、韓商連役員や地方韓商に対し、民団に報告済みであるかのような文面を盛り込んだ「一般社団法人資格取得に関する報告」を発送した。
韓商連の民団への公文は3日後の12日付である。文面は「今後、当会議所は、傘下団体から関連団体(協力団体)に転換することになりますが…」だった。ところが、26日付の公文では「今般の社団法人格の取得により/傘下団体から転換し、関連機関としての組織的関係になっております」になっていた。
社団法人が民団の傘下団体であることはコンプライアンス(法令遵守)に反する、という奇妙な言い分もさることながら、「予定」のはずの「転換(離脱)」をいつしか過去形に豹変させたことになる。
韓商連の朴忠弘会長も出席した26日の第20回中央執行委員会は、傘下団体からの脱退を「認定できない」と決議し、双方の代表が監督官庁である経産省の見解を改めて確認することにした。
翌12年1月12日、双方代表は経産省担当者と面談した。そこで経産省は▽民団が商工会議所法第4条の「特定団体」に該当するかどうかを判断する立場にない▽「特定団体」かどうかは民団と韓商連の内部問題だ、とする見解を表明した。つまり、「コンプライアンス違反」は当初から存在しないのである。
こうした手順を踏んだにもかかわらず、韓商連は1月16日の理事会で、傘下団体から関連団体への移行・転換を決議し、これを正式採択するための臨時総会を2月16日に開催するとした。1月20日には韓商連に配定されていた民団中央委員・代議員の「辞任届」を提出した。
民団は1月24日の第21回中央執行委で「韓商連は本団の基幹組織であり、一方的に傘下団体から離脱することは本団規約に違背し、同胞社会の分裂をもたらす」と指摘、「到底受け入れられない」ことを確認した。合わせて▽「辞任届」は受理せず返還する▽臨時総会の中止を要求する▽この問題の処置は中央常任委員会に一任することを決定、翌25日付の韓商連宛公文で、中央執行委の決定履行を促した。
この間、東京、宮城、愛知、神奈川、埼玉など地方韓商が「傘下団体離脱反対」を表明しただけでなく、民団各地方本部からも「一方的な離脱は明白な組織破壊行為だ。座視できない」とする怒りの声が広がっていた。
韓商連はそれらを無視し、2月8日の臨時理事会で臨時総会の開催を事実上強行するとしたほか、東京韓商に対してこともあろうに「傘下団体離脱反対」決議文の撤回と謝罪を要求、応じない場合は処分も辞さないことを決議、傘下団体離脱の既成事実化に固執した。
第21回中央執行委で処置を一任されていた中央常任委員会は2月15日の第43回会議で、一連の事態を総括し、規約第3条および傘下団体規定第6条5項に基づいて韓商連の直轄を決定。この日に開かれた第22回中央執行委がこれを承認した。鄭進団長は韓商連の正常化に向け、同日付で直轄会長に林三鎬副団長を任命した。
この日の午前中、林直轄会長ら担当者が韓商連事務所に赴き直轄公文書を伝達、事務所の明け渡しや事務引き継ぎなど直轄業務を遂行する旨通告した。しかし、旧執行部はこれを不法侵入として当局に通報、警視庁麻布警察署の警官4人が事務所に入った。
民団運動の中枢であり、全団員の精神的な拠り所である韓国中央会館に、日本の官憲を呼び入れたのは、民団史上でもかつて例を見ない悪質な行為である。ばかりか、事務所のカギを勝手に変えてロックアウトを決め込んだ(このため、事務所の接収は1カ月後の3月16日にずれ込み、正常化業務の妨げになった)。
旧執行部は2月20日、朴忠弘、慎三範、康正亨の3氏を設立社員に「一般社団法人」として登記を強行した。設立総会を開いて定款を確定した後に登記するとの自らの立場を、ここでも放棄したことになる。本稿はこの時点以降、旧執行部側を便宜上、「社団法人」もしくは「社団」と呼ぶ。
2月22日の民団第66回定期中央委員会は直轄措置を圧倒的多数で承認。直轄執行部は韓商連の歴代会長や顧問らとの意見交換を重ね、3月27日の第1回以来、計6回の組織正常化委員会を経て5月18日、韓商連第50回定期総会を開催、会長に元会長の洪采植氏を選出した。総会には25地方韓商のうち23地方から理事・代議員(定数163人中113人。委任状35人)が参席。2月23日の第52回定期中大会で選出された呉公太団長はこれを受け、その場で直轄解除を宣言した。
「社団」側は3月28日、東京地裁に「事務所明渡に関する仮処分命令の申立」を行った。裁判に訴えたのは、「傘下団体離脱ありき」の論理が初めから成立せず、自らのシナリオでは民団と太刀打ちできないことを自認するものにほかならない。
一線を越える禁じ手に打って出た「社団」に対する民団社会の憤激は強く、4月18日の第52期第1回中央執行委は、関係者の処分を団長に一任。7月11日の第2回中央執行委は「社団」を「反民団組織」と規定した。これらを受け、監察委員会は12年6月11日までに、朴忠弘、金淳次、慎三範、崔鐘太の4氏を除名した。4氏とも監察委員会の事情聴取要請を拒絶している。
「社団」は12年10月23日までに、中央団長や実務担当者を被告として「建物明渡等請求」「処分無効請求」「損害賠償請求」「名称使用禁止請求」などの本訴5件、仮処分3件を起こした。在日韓国商工会議所、在日韓商などの名称を使用するな、除名処分を撤回せよ、莫大な「金員を支払え」というものである。
これにとどまらない。11月21日には呉団長、鄭進前団長、洪采植会長、実務者など計7人を被告訴人として、不動産侵奪罪・威力業務妨害罪を適用し厳重な処罰を求めるとした告訴状を警視庁に提出した。
こうした提訴や告訴は、「民団組織において規約の条項に抵触し、規約に基づいて処分された者は、当該問題に関して不服があっても、司法に提訴してはならない」とした民団の「規約運用に関する見解統一」に真っ向から反する。また、大使館の3次にわたる収拾案が一貫して示した基本姿勢「裁判等による日本関係機関を通じた解決不可」をも無視するものだ。
大使館は11月20日、▽両団体との業務協議および協力中止▽両団体主管の公式行事不参加▽両団体の役職名義で関係者を本国政府・駐日公館の行事に不招待▽両団体の幹部を褒章・民主平和統一諮問委員などへの推薦から除外などとする内部文書「韓商連問題関連対応措置」を出した。
これで、「社団」ばかりか韓商連までが本国政府によって「紛争団体」の烙印を押されたことになる。民団とその傘下団体にあって、このような不名誉は初めてのことだ。
13年に入っても、12年10月から本格化した複数の裁判が同時進行中であり、膠着状態を打開する見通しはたっていない。それでも、4月24日の第51回定期総会には理事・代議員定数116人中114人(委任状54人)が出席。洪会長は、「韓商連の直轄解除からほぼ1年。この間、千葉、栃木、福岡の韓商が復帰し、長野韓商が新設された。再建が着々と進んでいる」とし、「『社団』側は中央団長を告訴するなど公権力に訴えているが、民団と一体になって裁判を勝ち抜き、完全正常化を成し遂げる」と覚悟を新たにした。
この日採択した決議文は、「社団」側のなりふり構わない告訴・提訴や各種嫌がらせを糾弾するとともに、全国の良識ある商工人に対しては、民団の傘下団体として50年の歴史を正当に継承する韓商連に結集するよう呼びかけ、さらなる前進の意思を固めるべく、「創立50周年記念式典」の早期開催に邁進する決意を表明した。
(2013.5.22 民団新聞)