扶余郡林川面との友好都市協定記念
【宮城】奈良時代に日本初の黄金を発見し、聖武天皇に献上した百済王族の末裔、陸奥国守百済王敬福(むつのかみくだらのこにしききょうふく)を顕彰する第1回の催しが12日、地元の遠田郡涌谷町天平ロマン館前広場で営まれた。民団宮城本部(田炳樽団長)の役員をはじめとして、韓日両国の関係者100人余りが出席した。
忠清南道扶余郡林川面と今年3月に友好都市協定を締結した涌谷町が、町国際交流協会とともに記念事業として開催した。
扶余郡にはかつて百済の都が置かれていた。林川面と涌谷町は韓国から産金技術が伝えられたとの史実に基づき、91年から正式な友好都市協定締結に至るまでの22年間交流を重ねてきた。
涌谷町の安部周治町長は、「今後さらなる日韓親善の輪を広げていく」ことを約束。この日のため林川面から訪日した金成泰面長も「両町が友好的な交流の模範にとなるよう尽力していく」と決意を述べた。両町の間を取りもった李凡淵駐仙台総領事は、「両国の関係を良い方向に導くためにも、次世代の相互交流に努めていきたい」と今後の抱負を語った。
続いて、民団宮城本部が百済人の功績と望郷の念を両国民に伝えようと、04年8月に建立した「百済人望郷の碑」の前で玉串奉奠が行われた。
同碑の建立にあたって実行委員長を担った民団宮城本部の金正吉元議長は、「このような形で韓日の交流が継続し、発展していってほんとうにうれしい」と感慨に浸っていた。
(2013.10.30 民団新聞)