
【埼玉】武蔵国に高麗郡が建郡されて間もなく1300年。郡域の中心となる日高市では先人の文化遺産を地域活性化につなげようと、民間レベルの記念事業委員会が発足。節目の年である16年の「建郡祭」に向けてさまざまな事業を行っている。11月30日には日高市実行委員会と一緒になって歴史シンポジウムを開催した。市民の関心は高く、会場の市文化体育館ひだかアリーナは600席がほぼ埋まった。
地域活性化へ官民一体
シンポでは当時の朝廷が上総(かみ、転じてかずさ)国をはじめとする東国7カ国に住む高麗人1799人を日高市を中心とした地域に再配置した理由、移住当初の支援体制などが学際的に明らかにされた。
この地に高麗郡が建郡されたことを歴史的に証明するのが遺跡の存在だ。基調講演に立った日高市教育委員会の中平薫さん(文化財担当)によれば、弥生、古墳時代の遺跡が見つからないのに、716年建郡後の奈良時代からのものが目立つ。常陸国新治窯跡の須恵器が出土していることも続日本紀の高麗建郡の記述と一致するという。
高麗人は開発が望まれていた無人の荒野に当時の先端技術を持って分け入り、定住していったようだ。そうしたことは馬の存在を示す鉄製の轡(くつわ)、銅碗、鉄斧、貴重品を保管していた錠前などの遺物で明らかにされている。
文字と関わりのある漆紙や墨書土器、円面硯も見つかっていることからも中平さんは、「古代の役人が住んでいた」と見たてた。
「東アジアと日本の政治状況から」と題して基調講演した荒井秀規さん(慶應義塾大学専任講師)は、朝廷が703年、高麗郡の初代郡司となる高麗王若光に「いまの東京都知事と神奈川県知事を合わせたのに匹敵する」かなり高い従五位下の地位を授けたことに着目。いったんは滅んだ高句麗王家を日本で復興させることが目的だったのではないかと推測している。
11年発足の高麗郡建郡1300年記念事業委員会は、東アジアを中心とする平和・友好の絆づくり、県西部の地域活性化事業とともに、歴史観光文化事業も目的の一つに掲げている。
建郡1300年の16年には「建郡祭」と併せ「高麗郡1300年&若光物語」(仮称)の映像化および、1年間を通じての県西部地域「高麗郡歴史さんぽ博」(仮称)を開催しようと模索している。
Q&A形式 解説冊子発行
高麗郡建郡1300年記念事業委員会と同記念事業日高市実行委員会はこのほど、『早わかり高麗郡入門Q&A』(43㌻非売品)を発行した。
1問1答形式。高麗郡の広さ、高麗郡の役所はどこにあったのかといった素朴な疑問から、郡の役割、古代の大事業だった寺院を3つも造営できたわけなど、かなり踏み込んだ事項まで簡潔に解説している。編著は高麗郡建郡1300年記念事業の一つとして9月に誕生した高麗浪漫学会。会長は元埼玉県立博物館長の高橋一夫さん。
(2013.12.11 民団新聞)