
【兵庫】解放直後の46年に「国語講習所」の一つとして開校し、62年まで存続した宝塚韓国小学校の同窓会が11月30日、民団宝塚支部会館で開かれ、当時の教師と卒業生ら24人が51年ぶりに再会した。宝塚市にも民団系の韓国小学校があったことが忘れられていくなか、当時の貴重な資料を残したいと、同校「記憶を記録する実行委員会」が04年から準備してきた。
同校は1920年代に始まった武庫川改修工事に携わる同胞が集住していた良元村伊子志(りょうげんむらいそし)と呼ばれた地にあった。川の西岸に位置し、最後の第4番目の工事現場であったことから「よんこば(四工場)」と呼ばれた。
開校当初の名称も四工場朝連宝塚支部朝鮮学院。48年の民団宝塚支部結成と同時に宝塚韓国小学校に改称した。
実行委員会代表の宋炳國さん(宝塚支部前支団長)は、「1世の人たちが残してくれたこの学校を記憶に残していかなければ。今しかできないと思った」と開催に至った胸の内を語った。
展示会場にはセピア色に変色したなつかしい校舎や卒業式の写真など34点を展示。展示写真の3分の2は宋さん自身が持参したという。姜先源同窓会会長が、「みなさんの協力のもと、今日を迎えることができた。昔の小学時代を思い出して楽しんでほしい」とあいさつした。
参加者が久しぶりに歌った校歌は、資料の中から見つかった断片的な内容をもとに、当時の記憶をたどりながら旋律を楽譜にしたもの。開校当初に教壇に立った全光洙さん(86)も大阪から駆け付け、一緒に校歌を口ずさんだ。
参加者の1人、民団三重本部団長の申載永さん(67)は、「小学4年まで通った。学校の周りは野原ばかりで、楽しく遊び回った思い出がある。とても懐かしい」と当時の写真に思いを馳せていた。
申点粉さん(63、川西市)は同校最後の卒業生。「同級生のみんなや先生に会えるので胸がはやった。なにを着ていこうかと思うと、昨日はすぐに寝つけなかった」と童女のような笑みを浮かべた。
55年から3年間、同校で教鞭をとった具文浩さん(79)も、「一人ひとり生徒の顔を見て話をしていくと、思い出がよみがえってくる。当時は満足に教材も整えることができず、胸が痛かった」と話した。
参加者は実行委員会から配られた思い出のいっぱい詰まった手作り写真集に見入りながら、婦人会宝塚支部がこの日のために準備した心づくしの料理を囲んだ。
(2013.12.11 民団新聞)