韓国に関する学際的研究の拠点、福岡市の九州大学韓国研究センター(センター長・松原孝俊教授)。「海峡あれど、国境なし」をスローガンに掲げ、国際的拠点として2000年の開設以来、シンポジウムやフォーラム、海峡圏カレッジ、東アジア共同体研究などを展開しながら、次世代韓国研究者を育成してきた。
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海外12大学と連携…独立建物は韓国風の装いに
九州大学内に建てられた韓国研究センターは、2階建ての延べ面積269平方㍍。太極旗を象徴する赤・青の色使いで外装を施し、韓国の伝統的文様を表現した窓格子などを取り入れた。韓国研究センターとしての独立建物は珍しい。
金鍾泌総理の提言が契機に
きっかけは、1998年、金鍾泌国務総理の来日。鹿児島韓国名誉総領事を務める14代沈寿官の薩摩焼400周年を記念し、小渕恵三首相とともに鹿児島県で植樹を行った。金総理は帰途、福岡に寄り、九州大学で講演した。その中で「韓国研究センター」の必要性を強調。そのメッセージに感動した大学関係者は実現に向けて動き、00年に開設した。金総理の力添えで毎年2000万円、5年間で計1億円が拠出された。「この恩は忘れられない。いかなる環境にあっても継続する覚悟だ」(松原教授)
幸運だったのは、2002年のサッカーW杯韓日共催。未来志向の関係を築こうという機運が起こった時期で、両国の交流が深まり、かつてないほど緊密な関係になった。さらに両政府は05年を「韓日友情年」に定めた。それに向けて文部省が予算化し、04年に九州大学に韓国研究センターの建物を築くとともに、東京大学に「朝鮮・韓国研究科」を設置した。
韓流が後押し市民の関心も
それまでセンターの社会的認知度は低かったが、05年を境に毎年、政治、経済、歴史、文化、社会といった多種多様のシンポジウムやワークショップを企画することにより、裾野が広がった。韓国ドラマなどのいわゆる韓流が後押しし、一般市民の認知度を高めた。
松原教授は「昨年がちょうど韓流10周年だった。それ以前は社会とのつながりを求める発想はなかったが、いまや学問的成果をいかに社会に貢献させるかが重要で、社会と共鳴するような研究テーマが求められている」と時代の変化を強調した。
05年には海外大学とのネットワーク化を図った。ソウル大や米ハーバード大、北京大など12カ国・地域との交流を進めることにより、幅広い分野の研究が進んだ。韓国研究の国際拠点として、世界から学者たちが集う。また同センターは、世界各地の韓国学専門研究を支援する韓国学中央研究院(前身は韓国精神文化研究院)の「海外韓国学中核大学育成事業」に日本で初めて採択され、昨年から、韓国学を学習・研究する大学院生を対象に奨学金を提供している。
学科開設に影落とす「分断」
ところが、開設以来10数年経てなお、国立大学に総合的な韓国研究センターを擁するのは九州大学1校にすぎない。現代韓国研究や韓国語学科はあるものの、断片的な扱いだけだ。関係者はこの10年間、歴史や文化など総体的な「韓国研究科」を設けるよう要望してきたが、残念ながら実現できないでいる。
その理由として考えられるのが、「南北分断」。韓国・朝鮮学科のいずれを設けても、関連団体から反対の声が起きるのは必至と、松原教授は分析する。しかし、「南北が統一されれば、文部科学省は研究科を増やしていくだろう。隣国との交流の必要性を認識しているからだ」と、それに備えて専門家を養成するためにも、政治状況とは無関係に、早急に関連学科を創設することの重要性を指摘する。「いっそのこと、韓流学科にでもしてはどうか」と訴える。
さらに「現在のとげとげしい韓日関係を融和するのは民間力だ」と強調する。最近、ユネスコの世界無形遺産に和食とキムジャン文化が同時に登録されたのを受け、韓食を通じて韓流旋風を巻き起こしたいという。
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次世代交流で成果…釜山・福岡海峡圏カレッジ
11年からは、釜山大学と九州大学の国際共同教育プログラム「韓日海峡圏カレッジ」をスタートさせた。「韓日海峡人の育成」を目的に、双方の新入学生50人ずつ計100人を選抜し、1週間ずつ釜山と福岡で相互交流する。
昨年が3カ年計画の最終年。参加する学生たちは夏休みの交流を前に、事前学習として2カ月間、両国の政治・経済・文化、英語と相手国の言語などを学んだ。
船とバスを乗り継ぎ、互いのキャンパスまで3時間半。釜山と福岡を往来することでまず実感するのが「近さ」だ。「韓日海峡圏の共通課題への挑戦」をテーマに、同じキャンパスで同じ授業を受ける。小グループに分かれ、公害や環境汚染、エネルギー、教育、文化などを討議し、プレゼンテーションを行った。
また、フィールドワークとして、釜山では新羅時代の古墳や壬辰倭乱(文禄・慶長の役)、朝鮮通信使、韓国戦争などの関連遺跡、福岡では太宰府天満宮や福岡タワー、博多町家ふるさと館などを見学した。
インターンシップの体験も行った。釜山ではポスコや大宇造船、MBC、福岡では九州電力や住友商事、NTT西日本などの企業をそれぞれ訪問した。人気のあったのが文化体験講座。チョゴリや浴衣を着たり、チャンゴやテコンド、茶道、博多人形の絵付けなどを習った。
2週間ともに過ごし心通う
学生たちの伝達手段は、英語やボディランゲージ、携帯電話による翻訳などさまざまだ。つたない言葉でも互いに理解しあおうと努力した。中身の濃い2週間をともに過ごすことで、心を通わせたと感じた参加者は多かったにちがいない。別れる際には、プレゼントや手紙を交換しながら、ほとんどの学生たちが涙した。
昨年12月に報告会が行われた。学生たちの感想から、海峡圏カレッジを通じていかに多くのことを学んだかを知ることができる。
実際の体験で広げた世界観
「実際に行き、自分の知らなかった世界を見ることができた」「自国を見直し、他国を理解する契機になった」「先入観を持つべきではなく、一般の人々とも話し合い、反日や嫌韓という考え方が偏見だとわかった」「メディアの情報は偏りがちなので、自分でそしゃくすることが必要だ」「現在の韓日関係を動かすヒントは朝鮮通信使にある」「EUのような共同体をアジアに組織できないか」「交換留学したい」「18年平昌冬季五輪と20年東京夏季五輪ではさまざまな協力をすべきで、自分たちも懸け橋役を担いたい」等々。
松原教授は「互いに顔の見える交流ができた。長く付き合える友情を育んだのが最大の成果」と自負する。
予算が確定すれば、今年からは、参加大学を6校にし、人数を増やす。期間も5年間に延ばす。韓国側は釜山、高麗、延世の3大学、日本は九州、西南学院、鹿児島の3大学の予定。テーマはこれまでと同じ「海峡圏の共通課題」だが、ソウルや鹿児島県などにも足を運ぶ。
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「在日コリアンセンター」国交50周年に実現を
両国の挟間で苦闘した人々
九州大学では以前から在日コリアンに対して強い関心を持っていた。松原教授は「朴槿恵大統領が常々、『過去に対する正しい理解を』と語っているが、両国のはざまで苦労した人々の歴史をきちんと記録し、後世に残していくことは大切な仕事だ。九州大学では在日コリアン研究センターを創設したいと考えている。日本国内にはまったく無いのだから。ある意味では、在日コリアンに対する恩返しともいえよう。米国の場合、大学ごとに少数民族の研究センターを設けている」と、創設の意義について強調する。
現在、九州大学ではいくつかの文庫を有し、在日コリアンや韓日関係の優れた資料を所蔵している。まず、辛基秀文庫。大阪に映像文化協会や青丘文化ホールなどを設立した辛氏は、生涯を通じて朝鮮通信使の資料収集に努めた。ドキュメント「江戸時代の朝鮮通信使」は通信使研究の基礎を築いた映像作品として知られる。さらに、記録映画「解放の日まで‐在日朝鮮人の足跡」「映像が語る『日韓併合』史」など、貴重な資料を遺した。フィルムのほかに蔵書数も3000近くを数える。
梁三永文庫には、戦後の韓日関係を網羅した新聞スクラップ集や、在日社会で発行された雑誌類、韓国・韓日関係論に関する膨大な書籍を有する。また、韓日会談や引揚関係の重要な外務省資料の森田芳夫文庫などを所蔵している。昨年4月から4カ月間、米バークレー大学の在日コリアン研究家、ピーター・リー先生を招聘するなど、国際的ネットワークを通じた研究にも余念がない。
準備は整った民団と連携も
在日コリアンセンターを開設する準備は整っているものの、まだその機運が熟していないという。九州大学は、来年の韓日国交正常化50周年を大きなチャンスと考えている。単なるセレモニーだけで終わらせずに、ぜひこの機会に立ち上げたいからだ。そういう意味で今年が正念場だ。節目の50周年を見据え、関連シンポジウムなどを開いていく意向だ。
松原教授は、東京の民団中央本部内に併設されている「在日韓人歴史資料館」にも強い関心を示す。05年の「在日100年」を期してスタートした資料館には、▽日本への渡航事情▽関東大震災時の受難▽強制連行と植民地期の歴史▽解放後の差別撤廃や人権擁護運動などを展示している。「同資料館との連携はもちろん、民団をはじめ在日コリアンの皆さんにも研究センターの実現に向けていい知恵を出してほしい」と呼びかけている。
(2014.1.1 民団新聞)