掲載日 : [2015-09-09] 照会数 : 6324
在日同胞3代老舗奮闘記<1>韓国食品第一物産
[ 3代目社長の姜恵蘭さん ]
解放直後の混乱期、在日同胞1世は限られた資本を手にアイデアと努力で起業した。親の背中を見て育った2世は事業を受け継ぎ、新たな発想でさらに発展させた。なかには3世世代に代替わりし、まったく違った発想で未来を切り開こうとしている老舗も出てきている。そうしたなかから4社を紹介する。
伝統の味手放さない
「東上野キムチ横丁」は東京都内で最も長い歴史を誇る「コリアンタウン」だ。焼肉店を含め約20店舗がひしめく。キムチ専門店の第一物産は創業55周年の今年、黄恵蘭社長(40)が母親の姜姓に改姓した。「祖父母から受け継いだ発酵食という伝統の味を守り、新しい食文化を創っていく」という決意の表れでもあった。
東上野で「コリアンタウン」が生まれたのは、解放から間もない48年ごろのこととされる。「上野親善マーケット」として焼肉店・キムチ店・肉店・民族衣装店が集まったことに端を発する。
第一物産は、姜庚喜夫妻がわずか5坪の店で創業したのが始まり。恵蘭さんの母親でもある姜恩順さんが2代目を継ぎ、78年に法人化。全国各地のスーパー、百貨店で催事事業を展開するなど、急速に事業規模を拡大してきた。
姜恩順さんは口にこそ出さなかったが、一人娘を後継者にと期待していたようだ。一方、恵蘭さんは朝早く玄関先から出て行く忙しいオモニの背中しか思い浮かばない。「もっと一緒にいてほしかった」という。母親への尊敬の念と見捨てられたような寂しさ。恵蘭さんの母親に寄せる思いは複雑なものがあった。母親への反発から20代で家を飛び出し、英国に語学留学。留学生活は5年間続いた。結果的には恵蘭さんが稼業を冷静に振り返るいい機会となった。
外国にいても、幼いころから慣れ親しんだキムチだけは手放せない。シェアハウスで生まれて初めてキムチを漬けた。何回も失敗を重ねた末、ようやく満足のいく白菜キムチが仕上がった。酸味が出たころを見計らってキムチチゲを作ったところ、ルームメイトの評判に。チーズ、ワイン、ピクルスなど、ヨーロッパの発酵食についても研究を重ねていった。
恩順さんが脳内出血で急死したのは05年6月のこと。恵蘭さんが日本に戻ってから1年半後のことだった。遺品を整理して娘を思う母親の心情を初めて思い知り、黄姓のまま社長業を引き継いだ。
あれから10年。恵蘭さんは母親のてがけた事業のいくつかを整理した。何十億という売り上げ至上主義から離れてみると、肩から余分な力が抜けた。従業員を前に黄から姜へと改姓すると宣言した。新しい第一物産の歴史を刻むのだと心ひそかに決めた瞬間だった。
(2015.9.9 民団新聞)