掲載日 : [2019-04-17] 照会数 : 8231
「群馬の森」追悼碑訴訟…和解協議が難航'東京高裁
[ 献花台に花を供える支援者(高崎市労使会館) ]
【群馬】高崎市の県立「群馬の森公園」に設置された韓国・朝鮮人追悼碑「記憶・反省・そして友好」をめぐる東京高裁の和解協議が難航している。県は公園からの撤去を譲らない。一方、「守る会」は「旧陸軍の火薬庫があったこの場所に追悼碑が立っていることに意義がある」として一歩も退かない構えだ。
和解協議は1月から始まった。「守る会」は追悼碑を守りたいため「追悼碑の前での集いでは県当局と事前に協議し、実施する。あるいは参列を求める」など4つの条件を提示した。しかし、県は問答無用の撤去に固執し、物別れに終わった。
3月の第2回協議でも県側の基本姿勢に変わりはなかった。そのかわり、撤去にかかわる費用の負担と別の県有地の提供を提起してきた。これに対して「守る会」弁護団は「追悼碑を移しても保守系団体が納得しない、税金の無駄遣い」と反発して平行線のままだった。次回は5月15日の予定。
弁護団長の角田義一さんは「県とは和解を望んでいる。決裂すれば判決は早い。むちゃくちゃな論理を主張する県を勝たせるには、裁判所としても論理の組み立てが大変だろう。だが楽観はできない」と気を引き締めている。
追悼碑の設置は市民団体「朝鮮人・韓国人 強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」の請願を受けて、県議会が全会一致で趣旨採択したことから始まる。県は2004年3月、「公園施設」のうち「教養施設(記念碑)」として設置を許可した。期間は10年間。ただし、「設置許可施設については、宗教的・政治的行事及び管理を行わない」という条件を付していた。
市民団体は建立と同時に碑前で追悼式を行ってきた。ところが、12年ごろから碑文が「反日的」「自虐史観」などとする保守系団体の抗議の的となった。県側は「碑自体が紛争を起こしている」として守る会の設置期間の更新申請にも応じようとしなかった。
一審の前橋地裁は「政治的行事が行われた」などとする県側の主張はおおむね認めたものの、追悼碑撤去については「裁量権の逸脱がある」として認めなかった。
屋内で追悼集会…民団からも献花「いつか碑の前で」
「記憶・反省・そして友好」の追悼碑を守る会は6日、高崎市労使会館で第16回追悼集会を開催。日本人の支援者を中心に100人余りが駆けつけた。
裁判のために追悼碑の建つ「群馬の森」以外で集会を開くようになって今年で8年目。角田義一共同代表は「群馬の森で慰霊祭を行うことが犠牲者の慰めになる。来るべき日には駐日韓国大使館から大使を追悼碑に招きたい」と語った。
民団群馬本部の権在一団長は「追悼碑の前で集会が開かれる日の来ることを祈っている」と述べた。最後に全員が祭壇に献花した。
1939年から始まった「募集」「斡旋」「徴用」などによる戦時強制動員は、群馬県だけでも6000人以上と推定されている。
(2019.04.17 民団新聞)