掲載日 : [2008-07-30] 照会数 : 5785
<歴史資料館>孫正義社長成功の秘訣 セミナーで朴一教授指摘
[ 孫正義社長 ]
差別ばねに才覚磨く
「1日1発想」課して
在日韓人歴史資料館(姜徳相館長)は5日、東京・港区の同資料館セミナー室で「孫正義(ソフトバンク社長)の企業家精神とエスニック・アイデンティティ」をテーマに第23回土曜セミナーを開いた。
講師の朴一教授(大阪市立大学経済大学院)は、「佐賀県生まれで3世の孫正義は高校生の時に語学研修で米国に行き、スケールの大きさに衝撃を受けた。すぐに日本の高校を中退、渡米したが、高校をわずか1カ月間で卒業した。そこで初めて本名を名乗り、伸び伸びと留学生活を送ったようだ。発明ノートを作り、1日1個のアイデアを課しながら、ビジネスの才覚を磨いた」と転機について説明した。
日本に戻り、どんなビジネスをすべきかを考えるための会社を起こした。あらゆる市場調査を行い、1年半かけて業種をしぼりこみ、パソコンソフトにたどりついたという。
朴教授は「25項目の成功条件・指標を課した内容が参考になる」と、次の具体例をあげた。①儲かる②やりがいがある③30年間伸びる④少ない資本でできる⑤ユニークなもの⑥10年内に日本一になれる⑦人を幸せにできる⑧世界中に拡大できる−−など。
店頭公開をするために日本国籍の取得を決断し、91年に民族名のまま日本籍を取得した。日本籍の妻に氏変更させてまで「孫」の姓にこだわったことについて、朴教授は「小さいころ、『朝鮮人』と言われて石をぶつけられ、目の近くを5針縫った。孫は『死ぬまで忘れられない』と語った。ここに韓国人としての原点がある」と指摘した。
また、「閉鎖的な古い手法を壊し、新しい経営手腕を発揮したのは、在日コリアンという出自が深く関わり、差別をばねにしたからだ」と結論づけた。
(2008.7.30 民団新聞)