掲載日 : [2008-10-01] 照会数 : 6491
フラッシュ同胞企業人<26>世界初「まるおり」完成
[ 1944年京都生まれの3世。定時制山城高校卒。20代で独立し、西陣織の機械を製作。1990年、J.T.Sタケムラ設立。息子2人、孫2人。 ]
西陣織の機械メーカー
J.T.Sタケムラの俊弘社長
京都の代表的な伝統工芸品、西陣織。多品種少量生産で独自の織物産業を発展させてきた。その織物機械を専門につくりながら、織物業者である織屋(おりや)を支えてきた。
ないものに挑戦
「20年ほど前のバブル時代、この業界は好況にわき、同胞の従事者が半数以上を占めたこともあった。しかし、バブルがはじけ、中国製品が輸入されると、斜陽産業と化した。同胞の織屋は数えるほどしか残っていない。機械メーカーは当社だけだ」。07年度の売上額は、全盛期の20億円台の10分の1にすぎないという。社員は10人。
戦後、韓国に帰国した祖父がやり手だったのとは対照的に、父親は金儲けが不得手だった。父を助け一家を支えるため、中学を卒業するや、食品関係の自動包装機械メーカーに勤めながら、定時制高校に通った。
機械工としての器用さを買われ、社長から「独立したら」と勧められた。同社の一角を借りながら、部品加工・組み立てなどの下請けとして武村製作所を起こした。23歳の若さだった。「どの下請けも同じだが、価格や納期が厳しく、働きづくめだった」
27歳の時、西陣織の帯をつくる機械の注文を受けた。それがきっかけとなり、完全に自立し、織物機械メーカーとしての道を歩んでいく。
バブルがはじけ、近年、織物業界が衰退する中で、新しい織物にチャレンジする。「カード織」や「タブレット織」と呼ばれる独特な織り方で、古くから伝わってきたが、手作業でしかできないため、趣味としての手芸や一部の専門家の間で知られているにすぎない。
13年前、この織物を機械化できないかと、顧客から注文を受けた。一度チャレンジしたものの、失敗。「機械の構造に問題があった」からだ。
だが、「カード織を知れば知るほど、不思議な出来上がりに魅了された」。そうでなくとも、試作品に対するチャレンジ精神は比類を見ない。「熟慮した結果、これほどやりがいのあるものはないとの結論に達した。将来性に賭けた」
周囲の反対を押し切り、5年間、改良に改良を重ねた末、完成させた。カード織を機械化したものを「まるおり」(円織)と称した。経糸に捩(よ)りが入ることで、凹凸の風合(ふうあい)があり、立体感がある。形が崩れにくく、幾何学的文様も可能だ。
「西陣織の技術を活かした手の込んだ織り方を融合させることもでき、可能性が大きく広がった」と、自信作に胸を張る。
現在、稼働中の機械は4台。「ほぼ完成状態。10台ほどつくれば、万全なものができあがる」。この織物を自社ブランド品「まるおり」として販売していく。04年、販売会社おりや(株)を設立した。代表は次男の健二氏。
業界再興めざし
初めてともいえる綿100%のスーツも織り上げた。綿は絹の3分の1の価格。透き通って凹凸があり、軽くて風通しがよい。東京ビッグサイトで15〜17日に開催されるジャパン・クリエーションに初めてお目見えする。
「京都から、世界に発信したい」。カード織は今なお欧州で人気があるだけに、機械の注文が期待される。織屋からの信頼は厚く、自身も「日本の伝統織物業界に活気を与えたい」と気概にあふれる。
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(株)J.T.Sタケムラ=京都市南区久世中久世町4‐66(℡075・934・5300)。
(2008.10.1 民団新聞)