掲載日 : [2009-01-28] 照会数 : 7875
<生活>共生教育に奮闘 北上飯田保育園
[ 各国の様子を知らせる北上飯田保育園のボード
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[ 井上裕美園長の見守る中、今年小学校へ上がるための練習をする年長児たち ]
対話の壁、補う通訳
保護者からの信頼第一に
園児の8割強10カ国の出身
「日本社会全体が、外国から来ている方を心から受け入れようという気持ちがない限りは、真の多文化共生社会は難しい」と話すのは、北上飯田保育園(横浜市泉区)の井上裕美園長。
同園は76年に100人定員の保育園として設立された。現在の定員は82人、園児の86・4%が外国にルーツを持つ。国籍は日本、ベトナム、中国、カンボジア、タイなど、10カ国の園児たちだ。
通園してくる外国籍家族たちの中で、道路を挟んだ園の真向かいに建つ、いちょう団地に暮らす人は多い。神奈川県では80年2月、インドシナ難民の定住受け入れ先「大和定住促進センター」が開設された。県ではその後、彼らに対する県営住宅入居要件の緩和措置をとり、いちょう団地に多くの人たちが入居したという経緯がある。現在は中国残留孤児家族も多い。
外国籍園児の在籍するほかの保育園も抱える共通の問題だが、北上飯田保育園でも保護者とのコミュニケーションの壁が立ちはだかる。「お母さんと本当の意味での理解が難しい」
そこで同園は、区に対して通訳を依頼。1週間に4時間、ベトナム語、中国語の通訳が園に来て保護者の対応にあたってもらった。また07年からスタートしたのが、外国籍保護者のコミュニケーションの手伝いをする「保育サポーター」だ。地域のボランティアたちが、月曜日から金曜日までの午後4時から2時間行うもので、保育園の行事や連絡、園児の状況などについて知らせる通訳を担う。
さらに「子育てサロン」のサポートは、毎週水曜午後2時から4時まで、保育園入所前の親子に集まってもらい、サロンに参加する子ども同士の交流をしながら、保護者同士の通訳を行う。
日本語が不自由なばかりに、外出も控えがちな保護者にとっては好評なようだ。井上園長は「保護者の方々は、同じ国の言葉で話して下さる方がいるだけで安心し、信頼します。始めたときは感謝されました」と手応えを感じている。
また職員たちは、6年間にわたって中国語とベトナム語の講座を受講。母語でのあいさつに園児も保護者たちも心を打ち解けるようになった。主任保育士の成勢祐美子さんは「でも発音が違うので難しいですね」といいながらも楽しそうだ。
戸惑うこともたくさん経験した。中国もベトナムも離乳食というよりも、ミルクは総合栄養として体にいいという思いは強く、大きくなるまで飲み続けることは多いという。そのために本来はそしゃくして食物を飲み込む状態にするが、歯はもちろん、舌やあごの運動機能が弱っているために飲み込みが困難になるえんげ障害を起こしてしまう。「離乳食を丁寧にやったり、元に戻したり、保育園や日本の食事に慣れるような取り組みはしています」
同園では日本の生活に早く慣れてもらうためのプログラムが多い。これは今後、日本に定住して暮らす人たちのために、できるだけ早く慣れてほしいという配慮からだ。 同時に、母語による歌の紹介をはじめ、家庭では母語での会話を勧めている。井上園長自身、親子間の言葉の断絶や学校に上がった子どもたちが、外国人であるということを隠しながら暮らす現状を知っている。
「困った時は相談どうぞ」
「多文化共生の究極の目的は共に生きるということだと思います。でも学校でも社会でも外に出たら困難なことは多い。卒園して何か困ったときにあのとき保育園で頑張ったな、あの先生は温かかったなと思い出して、頑張る力に少しでも役立てられたら嬉しい」
井上園長はまた、現在、子どもの保育で悩んでいる保護者に対し、困ったことがあれば連絡してほしいと話す。
北上飯田保育園(℡045・803・7889)。
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神奈川の2園の場合
今に続く課題 10年前に指摘
日本保育協会が、1999年12月20日から00年1月20日にかけて初めて行った調査をまとめた「保育の国際化に関する調査研究報告書」がある。
外国人児童の入所が多い理由・背景については、始めに歴史的背景により日本に居住することになった在日韓国・朝鮮、そして中国の国籍を持つ家族の存在を指摘。
さらに日本は80年代後半に法整備を進め、外国人労働者をはじめ、就学生、留学生などを受け入れてきた。また90年6月1日に在留資格を再編した改正法が施行され「定住者」の在留資格が創設され、労働力を求めていた企業などは、就労可能な地位の与えられた外国人労働者、とりわけブラジル、ペルーなど南米の日系人を大量に受け入れたことから外国人家族が増加した経緯に触れる。
「外国人保育の重視事項」では現在につながる課題として、「保護者・家族とのかかわり」「子どもの発育・発達への配慮」「人間としての相互理解」「異言語・異文化の理解」などがあった。
(2009.1.28 民団新聞)