掲載日 : [2009-04-29] 照会数 : 11282
善隣友好の交流各地で 21世紀の朝鮮通信使
[ 韓国国内で若い女性たちの歓迎に応えるウオーカー(左) ] [ 5人の民団ウオーカー 「第2次21世紀の朝鮮通信使 ソウル−東京友情ウオーク」に参加。安東市(慶尚北道)を歩く5人の団員 ]
在日同胞5人参加
ソウル−釜山−対馬−福岡−広島−岡山−大阪
5月20日 東京ゴールめざす
民団などが後援の「第2次21世紀の朝鮮通信使 ソウル‐東京 友情ウオーク」(日本ウオーキング協会、韓国体育振興会など主催)に参加した5人の民団ウオーカーたちがソウルを発ち、日韓のウオーカーと交流しながら5月20日の東京ゴールを目指す。(文・写真 金井三喜雄)
江戸時代に12回におよんだ「朝鮮通信使」は、各地で善隣友好を深めた。その通信使を現代によみがえらせ、新たな日韓の友情を育もうと第1次のウオークが2年前、第1回からちょうど400年という節目の年に行われた。ソウルから東京までの1129㌔を延べ1593人が参加した。民団からも2人が加わり全コースを歩いた。
4月1日、ソウルから歩き出した日本隊ウオーカーは25人で平均年令は66歳、韓国隊は11人で平均年令は58歳。今回の特徴は何と言っても民団からの参加者が2人から5人に増えたことだ。
初参加の4人はいずれも昨秋の民団新聞の広告を見ての参加。李恵美子さん(大阪府=主婦、60歳)は第1次に続く。鄭一男さん(宮城県)は元サラリーマンで68歳、高富江さん(静岡県)は酒店を経営する67歳、安貞一さん(滋賀県)は元喫茶店経営者で66歳。4人はいずれも在日2世。天野梨絵さん(埼玉県)は日本人男性と結婚した主婦で62歳。初参加の4人はいずれも長距離ウオークの経験はなかった。
鄭さんは宮城県からソウルまで歩きたいとかねがね思っていたが、実現しなかった。「慶尚南道が親の出身地で、その近くを歩くのも参加した動機。用意した3足の靴のうち、長距離に適していると進められた靴を履いて歩いたが、幅がせまく足を痛めてしまった。仲間の適切なアドバイスで歩けるのがうれしい」と長く伸びた白いヒゲ顔で話す。
安さんは慶尚南道晋州市が故郷だ。両親が生まれた韓国を自分の足で歩いて見たいと参加した。「韓国の景色を見て空気を吸って、父や母はこんな雰囲気の中で育ったのか、と実感した。山の形は丸みを帯びて、空はとても広いと感じた」。真っ黒に日焼けした顔は精悍そのもの。いつも長い隊旗をかついで先頭付近を歩く。
高さんは済州道が親の出身地。とにかく両親の生まれた韓国を「知りたい」と若い頃から思っていた。朝鮮通信使の「善隣友好の交わり」に心を引かれ、「通信」の意味が「よしみを交わす」とうい事が気に入った。亡くなった娘さんの名前が「芳実(よしみ)」だったからだ。
「サポートする韓国スタッフのやさしい気持ちが伝わってきて、2世として嬉しい」と涙ぐむ。
天野梨絵さんはソウル出身で、アメリカ留学中に日本人男性と知り合い結婚した。「夫のお金で私だけ楽しんでいる。感謝している」と微笑む。「足にマメが出来てとても苦しいが、日本人・韓国人・在日韓国人がともに協力しあって母国を歩くのはとても素晴らしい。できることならもっと若い人に沢山参加して欲しい」と話す。
父祖の地歩く喜びひとしお
天野さんには別の「役目」がある。日韓間の通訳だ。到着地での日韓の両隊長の挨拶や、歓迎してくれる首長のあいさつなどを的確に両国の言葉に翻訳してくれる。李恵美子さんは「とにかく感動した前回の韓日の仲間のウオーカーと再会して、喜びと感動をまた味わいたい」と連続参加した。前回の経験を生かして、通訳のほかに日韓の習慣の違いなどをウオーカーに伝えたりして、相変わらず「接着剤」の役目を楽んでいる。
今年の韓国の春は暖かく、各地で満開の桜に出会った。「こんなに韓国に桜が咲いているなんて知らなかった」とは高さん。桜の後はピンクのモモの花にも出会った。友人たちを案内して韓国をたびたび旅行している鄭さんにとっても驚きだった。
今回は各地で毎日のようにデイリー参加者が多いのも特徴だ。慶尚北道永川市では日本語を学ぶ大学生たち20人が参加。「もっと若い人が歩いていると思った。みんなハルモニやアボジたちばかりなのに、こんなに元気に歩くなんて」と驚きながら日本語の会話も楽しんでいた。
28日に大阪出発…1日参加も可能
一行は4月22日に対馬に船で移動して日本に入った。福岡まで船、福岡からはゆかりの地、下蒲刈(広島県呉市)、鞆の浦(同福山市)、牛窓(岡山県瀬戸内市)を貸切りバスで移動し、28日には大阪から再び歩き出した。大阪からは1日参加が出来る。
問い合わせ(℡03・5256・7855)日本ウオーキング協会.
(2009.4.29 民団新聞)