掲載日 : [2008-06-23] 照会数 : 15634
「甲子園」への夢、追いかけて<京都国際>
[ 苦難の道のりを語る金安一後援会長 ]
「甲子園」への夢、追いかけて<京都国際>
金安一後援会長に聞く
◆「甲子園」への夢、追いかけて
【京都】第90回全国高校野球選手権記念大会(主催・朝日新聞社、日本高等学校野球連盟)が14日、沖縄大会を皮切りに始まった。今年、創部10年目を迎えた京都国際学園は今年の春季大会で初の4強入りを果たし、夏の地区大会では「上位をうかがう」ところまできた。野球部創部以来、「いつか甲子園に出る」との夢を追い続けている野球部後援会長の金安一さん(65)に苦難の道のりを振り返ってもらった。
現在の京都国際学園の前身、京都韓国学園が深刻な生徒数減少に悩んでいた10年前のこと。「学校起こし」にと、学校理事会で硬式野球部創設を建議したのが金さんだった。一部からは「金食い虫」といった反対意見も出たが、外国人学校硬式野球部として初めて高野連に加盟が認められたことで批判は吹き飛んだ。
金さんは実は、かつて甲子園出場の常連校だった大阪・市岡高校の出身だ。「スポーツを特色に出すことで生徒は増える」との確信を持っていた。廃校寸前のある高校が野球で甲子園出場を果たして学校起こしに成功したという新聞記事を見たことも後押しした。
◆部員わずか11人で発足…デビューは惨敗
監督には大阪商業大堺高校で捕手を務め、大学や社会人でも野球選手として活躍した金健博さんを据えた。99年、京都韓国学園硬式野球部は部員わずか11人で発足した。公式戦デビューとなった同年7月15日開幕の第81回全国高校野球選手権京都大会では、前年の甲子園大会準優勝校、京都成章高校を相手に0対36で完敗した。
創部3年目には大阪の某私立高校への入学が決まっていた李良剛君を引き抜いた。決め手となったのは「必ず甲子園に行く」の一言だった。野球部のキャプテンを務めた李君は、地区大会抽選でいちばんくじを引き、西京極球場では韓国語で宣誓をした。李君の宣誓は京都韓国学園の名前を全国に知らしめ、北海道や韓国国内からも野球留学が相次いだ。
◆創部5年目に8強…近づく「甲子園」
急きょ寄宿舎を増設した。02年12月には日本文科省から一条校として認可され、生徒募集に拍車がかかった。チームがベスト16を経てベスト8入りしたのは創部から5年目のことだった。
この間、野球部だけではなく、テニス部も今年、京都府大会を完全制覇し、インターハイ出場を決めるなど、活躍が目覚ましい。金さんは「スポーツは学園のイメージを変えました」と誇らしげ。いまはプロ野球界からスカウトが視察にくるほど。今年の春季大会ではベスト4入りを果たした。金さんは「必ず甲子園に行く。もういまはそう遠い夢ではなくなった」と胸を張った。
球児たちの暑い夏、京都大会は7月5日に幕を開け、21日まで西京極、太陽が丘、あやべの3球場で。注目の組み合わせ抽選は今月28日に行われる。
(2008.6.23)